執筆 越智道雄

卒業の朝
2004年3月シャンテシネにて公開
配給:東宝東和
卒業の朝
The Emperor's Club
監督:マイケル・ホフマン
出演:ケビン・クライン、エミール・ハーシュ

名門、聖ベネディクト校で教鞭をとるウイリアム・ハンダートは、もの静かながら、生徒の人格形成こそ教師の使命と信じていた。しかし、上院議員の御曹司セジウィック・ベルが転校してきた日から、ハンダートの中で何かが変わり始める。神聖な学び舎の伝統を平然と破り、権威に食ってかかるベルは、そのカリスマ性で学友を磁石のように引き寄せる。その言動にハンダートは手を焼くものの、なぜか彼に惹きつけられてしまう‥‥。


プレップスクールの学園ドラマ

 全寮制の高校は日本には存在しないが(例外は宮崎県五カ瀬中・高校)、英米ではおなじみである。この映画は、アメリカの私立全寮制高校、プレップスクールが舞台だ。ハンダートという教師が、セジウィック・ベルという反抗的な生徒に手を焼き、相手が卒業した25年後に再会、トップ企業の経営者に出世したその生徒が、こと人間形成については結局、失敗作だったことが分かる苦い結末になっている。

 元々、イギリスのパブリック・スクール(イートン校などが有名)をモデルに19世紀、主にニューイングランドに作られたのがプレップスクールで、アイヴィ・リーグへの進学校だったため、プレップスクール(予備校)の名がついた。有名なものは、ブッシュ父子が出たフィリップス・アンドーヴァ、フランクリン・ローズヴェルトが出たグロトン(ともにマサチューセッツ州)、今大統領予備選の目玉になっているジョン・ケリーが出たスンポールズ(ニューハンプシャー州)などがある(拙著『ワスプ(WASP)』中公新書・参照)。映画のセント・ベネディクト校は、架空の学校である。

 パブリックスクールもプレップスクールも、19世紀の英、20世紀の米と、「世界帝国」が世界に展開させる人材を少年時代から鍛練するための教育機関で、公共精神を植えつけるべく、8歳くらいから親元と切り離し、全寮生活で鍛えぬいた(親元へ帰れるのはクリスマス休暇だけ)。この教育方法は「イン・ロコ・パレンティス(親に代わって)」と呼ばれたが、根底には家族は私利私欲の塊で、公共精神扶植ができない集団という認識があった。小人数教育に徹し(1クラス15名が限度)、グロトンなど全校生徒数が300名に満たない。そのため授業料と寮費は年間3万ドルにもなるから、上流層でないと負担できなかった。

 キリスト教は重要な精神陶冶の手段だったが、プレップスクールはいずれもプロテスタント、中でもアングリカンが基本で、カトリックはまったく別の教育システムを用意していた。アングリカンは支配層の宗派で、アメリカではエピスコパリアン(監督派)と呼ばれ、上流WASP層の宗派になった(日本では聖公会)。

 さて、公民権運動やカウンターカルチャー(ヒッピー革命)の洗礼にいち早く反応したこの教育機関は、直ちに「共学化」、中流子弟や有色人種子弟の大量受入れを可能にする奨学金制度などを用意、エリート主義を上流以外にも拡大した。この映画のプレップスクールでは、まだ共学化が行われず、カウンターカルチャーの多様性も見られないが、インド系の生徒がスター生徒になるなど、有色人種の台頭は描かれている。

 ハンダートはギリシャ=ローマ史の教師で、「ミスター・ジュリアス・シーザー・コンテスト」という晴れ舞台を設定、平常授業をそのコンテストへの予選に還元、生徒の勉学意欲を持続的に高める方式を守っている。コンテストは予選を勝ち抜いた3名によって争われる。コンテストは長い伝統があり、マーティン・ブライズという生徒の父親は、かつて「ミスター・ジュリアス・シーザー」の栄冠を勝ちえて、校内のホールに写真が飾られている。ブライズは当然、自分も栄冠を勝ち取ることが、この父親に対する自己証明になる。

 このように、プレップスクールでは先祖代々入学する習慣が確立しており、子孫は先祖が学んだ痕跡がキャンパスの至る所に残っていることに励まされる。

 しかし前述のセジウィック・ベルは、ウェスト・ヴァージニアという田舎州を地盤とする連邦上院議員の息子で、初めてこの学校に入学してくる。さらに前述のインド系の学生ディーパック・メータも、有色人種なるがゆえにこの学校では初めての存在である。

 長髪で反抗的なベルにハンダートは手こずらされるが、これは映画から欠落しているカウンターカルチャー、つまり史上最大の若者反乱の臭いを彼によって代用しているのかもしれない。ハンダートは思い余ってベルの父親である上院議員に相談するが、議員は「息子の型作りはわしがやる。あんたは読み書きを教えてくれれば十分だ」と釘を刺す。

 これは明確な「イン・ロコ・パレンティス」の否定で、田舎州ウェスト・ヴァージニアでは私利私欲の塊である家族、その家長が子供の躾(しつけ)を独占する古い教育システムが残っているわけだ。

 万策尽きたハンダートは、何とかしてベルをコンテストの渦に巻き込むことで教化しようと焦る。そのため、密かに3位のブライズを4位に落として、ベルを最終候補に残すのだ。コンテスト会場には全学の教員・生徒だけでなく、コンテスターたちの父兄も招待される晴れ舞台なのだが、ベルはここでカンニングをやっていることをハンダートだけに見破られ、教師は難問を課してメータを優勝させる。

 25年後、引退していたハンダートに、トップ企業の社長に出世したベルから、もう一度コンテストを開催してほしいと依頼がくる。その条件に、母校の図書館の拡張費用を寄付するから、拡張部分に父議員の名を冠することと言ってきた。前述のように、高額な教育費を負担できない中流子弟を受け入れる奨学金制度があるが、これらはOBの寄付が基礎になっている。成功したOBにとって、母校への寄付は大変な名誉なのだ。

 ベルは母校とは違う高級リゾートに会場まで用意して、25年ぶりの雪辱戦が展開される。今回は、同級生とそれぞれの妻子が見物である。ところが、ここでもベルはカンニングをハンダートだけに見破られ、難問を課されて再びメータが優勝する。しかし、ベルはけろりとして、その場で物故した父親の跡を継いで上院議員に立候補すると宣言する。結局は、それが目的だったわけだ。

 密かに再度のカンニングを咎めるハンダートに、ベルは父親譲りのあらゆる「カンニング」の手を駆使して、アメリカ政治を動かして見せると豪語する。ところが、ベルの長男が父親の醜い豪語を立ち聞きしていたのだ。これはベルには最大の苦痛となるだろう。

 また、ベルの恥知らずぶりは、プレップスクールによる「帝国」の人材養成が必ずしも上首尾とは行かず、かつての大英帝国同様、アメリカも世界制覇にしくじる根本的原因を窺わせる。

 他方、ハンダートは会場で密かに、25年ぶりにブライズに3位から4位に落とした自分自身の「カンニング」を告白するのだが、ブライズは愚痴も言わずに恩師を許す。

 その後、初老のハンダートはベルの教育の失敗にもかかわらず気力を奮い起こし、セント・ベネディクト校で再び教鞭をとり始める。すでに同校も共学化している。そこへある日、遅れて入学してきた生徒が駆け込んできて、ブライズと名乗る。ハンダートが思わず窓外に目をやると、あのマーティン・ブライズが両手をポケットに突っ込んで教室を見返りつつ去っていくのが見えた。

 生徒が自分の息子を自分に預けてくれたのだ。これは教師冥利に尽きる話だが、私は前述のフィリップス・アンドーヴァでトム・リーガンという実在の国語教師にハンダートの面影を見た。彼こそは、かつての教え子らが自分の子供らをぜひともリーガン先生に習わせたいと懸命に子供らを母校に合格させたがる教師だったのである。

 しかもマーティン・ブライズは、自分を裏切ったハンダートを許したばかりか、わが子まで母校に送り込んできた。このことにこそ、プレップスクールの教育にすべてを賭けてきたアメリカ指導層の悲願が共鳴していると思われる。

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