文 宮脇孝雄
 J.D. Salinger
J・D・サリンジャーは1919年ニューヨーク生まれ。十代から小説を書きはじめ、結構な数の短篇を雑誌に発表しているが、公認の単行本は、『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)、『九つの物語』(1953年)、『フラニーとゾーイー』(1961年)、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア―序章――』(1963年)の四冊しかない。日本では『ライ麦畑――』の村上春樹による新訳が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の題で2003年に出て、新しい世代の読者を獲得した。
[Nine Stories]
by J.D. Salinger

年齢にかかわらず楽しめる
新鮮さが魅力の短篇集

 「きみにはホールデン・コールフィールドの悲しみがわかるか?」

 ある夜、かなり遅くなって電車に乗っていたら、そんな言葉が聞こえてきた。今から20年くらい前のことである。見ると、私より少し年上と思われるサラリーマンが、少し離れたところで吊革につかまり、部下らしき若い女性と話をしていた。「きみはホールデン・コールフィールドの……」。酔っているらしく、上司は少しもつれる口調で繰り返したが、若い女性はぽかんとしていた。何をいわれたのか、わからなかったのだろう。

 高校時代、英語の先生が、J・D・サリンジャーという作家のことを話してくれた。1970年か71年のことである。ライ麦畑がどうのこうのという長篇もあるが、Nine Storiesという短篇集もあって、これがなかなか面白いという。禅の思想の影響を受けた人で、ある短篇には松尾芭蕉の俳句も出てくるらしい。

 さっそく書店に行ってみると、あったあった、『九つの物語』というのが角川文庫から出ていたし、大きな本(ハードカバー)もあった。大学のそばの本屋だったので、ペーパーバックの原書も並んでいた。そして、英語で読むといっそう面白い、という先生の言葉を思い出して、生意気盛りの高校生は原書を買うことにした。

 題名どおり、9つの短篇が収められた本で、辞書を引き引き読みはじめたが、とうてい田舎の高校生に理解できるような文章ではない。たとえば、「ヨショト氏」という日本人かマレーシア人かわからない人物が登場するDe Daumier-Smith's Blue Period(新潮文庫版の訳題では「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」)という短篇に、

 Except under pretty rare circumstances, in any crisis, when I was nineteen, my funny bone invariably had the distinction of being the very first part of my body to assume partial or complete paralysis.

 という箇所が出てくるが、この中の「funny bone」の意味がわからない。滑稽な骨? なんだ、それ。というわけで、あの英語の先生に聞いてみたら、「はっきりはいえないが、これにはいやらしい意味がある」ということだった。

 あとにparalysis(麻痺)とあるので、なるほど、funny boneとは、縮こまったり、緊張したりする体の一部か、などと思ったが、とんでもない嘘を教わったものである。今ならわかるが、ご承知のように、これは「ユーモア感覚」という意味で、

 「きわめてまれな場合を除いて、何かの危機に直面すると、19歳のころの私には、決まってユーモアの感覚が、体のほかの部分よりも早く、部分麻痺か完全麻痺を起こすという特徴があった」

 と解釈しなければならなかったのだ。

 


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