文 田丸公美子

晴耕雨読

 外国語が堪能な人がなる職業と思われがちな通訳だが、実は豊かで正確な母国語を身につけていることのほうが必須条件だ。最近その日本語の乱れが著しい。

 先日、会議場で受付の美人に「すみません、通訳ブースを見せていただきたいのですが」と頼んだときのこと。彼女にっこり笑って「ブースを拝見なさりたいのですね」と来た。私は「はい、ご覧になりたいのです」と答えたい気持ちを必死で抑えていた。

 敬語と謙譲語はとりわけまちがいやすいものの一つだ。地下鉄内では「不審な荷物をお見かけ致した方はお申し出ください」とアナウンスが流れ、テレビの料理番組では、「どうぞ戴いてください」と料理を薦めている。話し言葉のプロたるアナウンサーの日本語も乱れつつあり「挙式を挙げる」や「今の現状」などの重複する表現にうんざりしていたら、最近「薫風香る5月」と言ったキャスターにも遭遇した。先日など「Bさんはあわあわと語りました」とテレビから聞こえてきて文字通り泡を食った。“淡々と”原稿を読む若い男性には、後で誰か注意してあげたのだろうか。

 通訳講座で教え始めて、日本語の貧しさに更に暗澹とすることが多くなった。“酒池肉林”を知らない生徒が多くいたときには叫んだ。「イタリア語の通訳を標榜する人が酒池肉林を知らないなんて!」イタリアのイメージともいえる熟語を指してそう言うと、追い討ちがかかった。「先生、“ひょうぼう”って何ですか」もう頭を抱えるしかない。式典での私の挨拶訳を聞いたある生徒は、「先生の真似して“足元のお悪い中御足労いただき”というフレーズ使ったら、後で怒られました。雨の日しか使わないって知りませんでした」。名士の挨拶文原稿を配り翻訳させたときにも驚いた。「東京駅から宮城に向かう道で」の“きゅうじょう”を大多数の生徒が“みやぎ県”と訳出していたのである。皇居だというと、「聞いたこともない」と反対にブーイングを受けてしまった。大卒の三十代でこのありさま。二十代はどうなっているか思いやられたのだが、その実態を目の当たりにする機会が訪れた。

 英語ぺらぺらの若い帰国子女がイタリア人役員のアテンドについたのだが、彼女は英語も日本語も、そして態度もすべてアメリカの学生生活そのものの「友達モード」であった。私がイタリア人来賓の言葉を、「父上は引退なさって晴耕雨読の生活を送っていらっしゃるそうです」訳すと、すぐに「セイコウウドクってなーに?」えらい人もいる場で平気で話に割って入ってきた。「分らない言葉は、黙って書き止め、帰宅後辞書をひくのよ」こう言いたいのを抑え、私は彼女に「性交有毒」と走り書きしたメモを渡した。そして小声で彼女の耳元でささやいた。「“やりすぎは毒だ”ってことなの。あなたみたいな若い人は人前では絶対言わないでね」「エー、ウッソー」嬉しそうに笑いかつ感心して聞いていた彼女、私の言い付けを守ってくれれば人前で恥はかかないはずなのだが。


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