伝わりやすい英語:Plain English
野田総理のネット動画
ネット上に「政府インターネットテレビ」(http://nettv.gov-online.go.jp)というサイトがあります。内閣官房と内閣府の広報室が共同運営するもので、「総理の動きや政府の重要政策を動画で紹介」しているサイトです。英語で配信されている動画もありますので、ぜひご覧ください。
そこに、今年の1月末に開催されたダボス会議に、野田総理が日本からテレビ会議で参加した時の動画があります。最初と最後に英語であいさつし、本論の部分は日本語で話し、その間、英語字幕が画面下に映るという形式です。世界各国から震災の際に寄せられた支援に対しお礼を述べ、日本の復興の進捗(しんちょく)状況や今後の展望について論じています。字幕翻訳の助けを借りながら、映像によって、文字だけでは伝わらないさまざまなメッセージを各国の代表者は感じ取ったのではないかと思われます。
Readability(読みやすさ)の問題
この野田総理の動画を見ていて気になったことが1つあります。それは、字幕の英語が分かりにくいことです。そこで、字幕の英語を全てマイクロソフト・ワードに打ち込み、Flesch Reading Ease Test という「文章の読みやすさ」を評価する機能を使ってみました。ワードでは2回クリック(校閲 ― スペルチェックと文章校正)するだけで計算してくれます。スコアと評価は、0〜30 (very difficult)、30〜50 (difficult)、50〜60 (fairly difficult)、60〜70 (standard)、70〜80 (fairy easy)、80〜90 (easy)、90〜100 (very easy)となっています。この計算方式を考案したRudolf Fleschは、60以上を「平易な英語(Plain English)」と定義しています。米国の多くの州では、一般消費者のための契約書に平易な英語を使うことを求める法律を制定していて、その定義として Flesch のスケールを採用しています。
さて、野田総理の字幕英語のスコアはというと……、 39.9でした。“difficult” なのです。ちなみにオバマ大統領の3年前の就任演説は63.9 (standard)、ヒラリー・クリントンの国連世界女性会議(1995年)での演説は56.8 (fairly difficult)、スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ(2005年)は72.5 (fairly easy) です。
長い文、難しい語句
野田総理の字幕英語の読みにくさは、文の長さと難しい語句にあります。例えばスピーチの最初の方にこんな1文があります。
「世界各国からの温かい支援を受け、被災地のインフラや経済は確実に立ち直りつつあり、首都圏を含めた被災地以外では、震災前の日常が戻っています」。
このスピーチに、こんな英語字幕がつけられていました。
Through the cordial assistance provided by countries around the world, both the infrastructure / and the economy of the disaster area are undergoing recovery in no uncertain way, / while the metropolitan Tokyo area and other areas / outside the disaster zone have already returned to the ordinary living they enjoyed before the quake. (51 words. 斜線は字幕画面が変わるところ)
日本語ではかなりゆっくり聞こえる野田総理の話も、英語字幕では15秒間で 51 words にもなり、それがたった4枚の英語字幕になっています。つまり、1枚の字幕あたりの情報量が多いために、理解するのが難しくなっているのです。これを音声の速度に置き換えると、CNNの早口キャスター並みです。かつ、この4枚の字幕すべて合わせてようやく文章が成立するという長い一文になっています。主述関係や従属関係が分かりにくくなるのに加え、構文に沿った分割ができにくくなっています。また、字幕画面が切り替わる場所も、不自然な所がいくつかあり、読みにくくなっています。例えば、最初の区切りは3語前の both の前で、また、3つ目の区切りは4語後ろの zone の後でなされた方が理解しやすいでしょう。
難しい語句については、この一文にはほとんどありませんが、3行目に in no uncertain way (確実に立ち直りつつあり)という表現があります。二重否定で「確実に」を意味するものですが、ノンネイティブスピーカーには分かりにくい表現です。are undergoing recovery in no uncertain way を簡単に are recovering steadily としてはどうでしょう。より多くの人に容易に理解してもらえます。
Plain English と翻訳者
翻訳者としては、当然ながら、安易に「平易」だけで進めるわけにはいかないでしょう。発言者の日本語は発言者が選択した言葉ですから、その選択を尊重しつつ翻訳作業をしなければなりません。発言者の1文が長ければ、それには長くして言う理由があったのかもしれません。難しい文言を使っていれば、簡単な言い回しをあえて選ばなかった理由があるのかもしれません。ただ、そうは言っても、翻訳したものが“difficult” では元も子もありません。翻訳者は、このジレンマをどう調整したらいいのでしょう。
先述の Flesch Reading Ease Test の計算式にはポイントが2つあります。1つは Words per Sentence(センテンスの長さ)です。長いセンテンスは分かりにくいということ。2つ目は Syllables per Word (単語の長さ)です。長い単語には難しいものが多いということ。このことから、取りあえずは、この2点で調整するとよいでしょう。
発言者の日本語を十分に吟味した上で、特に理由のなさそうな長い文はバッサバッサと短くし、同様に、特に理由のなさそうな難しい文言は平易なものに置き換えて翻訳する。発言者自身に、1人でも多くの人に伝えたいという気持ちがあるならば、理解してもらえるはずです。