2016.07.25 Mon

第7回 平田未季さん 「シリアで知った“親日”の意味」

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PROFILE

平田未季さん。北海道出身。JICAの青年海外協力隊としてシリア(2005年)とイエメン(07年)で日本語を教える。14年より秋田大学の国際交流センターで留学生に日本語を指導している。



高校時代に読んだトルコ人の親日ぶりを紹介したエッセーが平田未季さんの海外への想いに火を付けた。
 「大学に入ったら、外国語を学び、憧れのトルコやトンガのような親日国に行きたいと思って、壁にトルコ語のアルファベット表を張って受験勉強をしていました。合格後、海外で生活するために護身術でも習っておこうかなと躰道(たいどう)という武術部に入ったら、毎朝6時から筋トレするような厳しさで、武道に明け暮れる日々を送ってしまったんです」。

日本代表にも選ばれるほど部活動に熱心に取り組んだため留年してしまったが、在学中に日本語教育の修士課程が開講。言語学の研究で修士号を取得した。その後、青年海外協力隊に合格し、2005年にシリアに派遣されることになった。
 「シリアと言われた時は、シチリアのことかなと思ったくらいの知識しかなかったんですよ(笑)」。

〝普通の生活〟をもう一度

活動の拠点となったダマスカス大学日本研究センターでは99年から日本語教育が行われ、大学生の他、社会人や高校生もやって来ていた。
 「みんな勉強熱心で、授業が終わっても『もっと日本語で話したい』って、教室を去ろうとしないんです。夏休みが始まる前には一斉に『いやだー!』って反応で、日本語を学ぶことを心から喜んでいました」。

日本文化を紹介するイベントも積極的に企画した。大勢で歌った経験がないと聞いて結成した合唱クラブはスタート時には10人程度だったが、3カ月後に『翼をください』を発表した時は50人を超えていた。

ところで、大学で身に付けた護身術が役立つ場面はあったのだろうか。
 「私がいたころのシリアは日本と同じくらい安全でした。財布を落としても、拾った人がJICAの事務所に届けてくれて。困った人を助けてくれる、人情に厚い人が多い国なんです。同僚のシリア人日本語教師は、初代の協力隊員に習った卒業生で、会計士としても働きながら、熱心に学生や私たちの面倒を見てくれました。彼女や学生たちに会い、『◯◯人は』ではなく、名前で呼び合える関係こそが、簡単には揺るがない『親日』なんだと気付きました」。

07年8月に帰国したが2カ月後には欠員が出たイエメンに協力隊員として赴き、半年間日本語を教えた。そして日本の大学院に戻り、博士課程の研究に取り組んでいた11年3月、シリアで政府に対する大規模なデモが発生。紛争は泥沼化し、これまで人口の半数に当たる1100万人が住む家を失い、480万人が難民として他国に逃げているという。
 「泥まみれになって逃げている人々の姿をニュースで見ても、私の知っているシリアの人たちの姿とあまりにかけ離れていて実感が……。協力隊員の派遣は切り上げられ、同僚だったシリア人女性も今は日本語を教えていないそうです。スカイプで教え子と話をした時には、『先生、また勉強したいです。私たちの生活が変わってしまったと思いたくないんです。みんなで日本語を学んだり、歌ったりしたのは平和だったころの象徴です。あのころの普通の生活をもう一度送りたいです』と言われ、掛ける言葉もありませんでした」。

内戦から5年がたち、悲惨な話が次々と伝わってくるが、平田さんは豊かな文化を持ち、優しく温かい人々が住んでいた本来のシリアを日本で伝えたいと思っている。親しいシリア人の顔を思い出しながら。

取材・文◆村上 充

【DATA】
※国際交流基金2012年度日本語教育機関調査結果より

シリア
日本語学習者数250人、日本語教育機関2機関、日本語教師数9人

イエメン
日本語学習者数40人、日本語教育機関1機関、日本語教師数2人

2005年、シリアのダマスカス大学の日本語クラスの学生と










☆本記事は、語学学習や異文化情報が満載のクラブアルク会員誌『マガジンアルク』にも掲載されています。

 


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