2016.10.25 Tue

第8回 片山 恵さん 「フィリピンの人々の温かさに包まれて」

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PROFILE

片山 恵さん。北海道出身。2009年にオーストラリア、その後、フィリピンとアメリカで日本語を教える。現在、早稲田大学大学院の修士課程に在籍しながら、留学生に日本語を指導している。



オホーツク海に面した北海道の斜里町(しゃりちょう)、知床の大自然に囲まれて育った片山 恵さんは大学時代の夏休みに帰省した際、アルバイト先の農園で1人のフィリピン人女性リンちゃんと知り合った。 「イチゴを並んで摘みながら、リンちゃんといろいろな話をして意気投合したんです。スナックで働きながら、日本人のご主人とのお子さんを育てている明るい女性でした」。

大学を卒業後、就職難で高校の教員になる夢をかなえられなかった片山さんは道内のホテルで働き始めた。
「ホテルには中国人のスタッフが多くいて、中国語と日本語を教え合っていました。そのうち、日本語を教えられれば、世界中で生活しながら働けるかもと思ったんです」。

3年間働いたホテルを辞め、2008年、オーストラリアのシドニーに渡った。
 「日本語教師の養成講座に通い、修了後はその学校で半年間、若い女の子たち4人に日本語を教えました」。
 
09年10月に帰国、翌年5月には派遣プログラムでフィリピンに赴いた。
「リンちゃんの印象もあり、どんな国なのか行ってみたかったんですよ」。

フィリピンでは09年から高校での外国語教育が重視され、日本語を教える学校が増え始めていた。片山さんにはフィリピン人教師の行う日本語の授業を支援する役割が与えられた。
 「マニラにある2つの高校に派遣されました。1つはヴァレンズエラという地域にある裕福な生徒が通う進学校で、コンピューターを使った授業が行われていました」。

もう一つの学校はかつて“スモーキーマウンテン”と呼ばれるゴミ山が広がっていたトンド地区にあった。
 「ニワトリや野良犬、裸の子どもたちが駆け回っていて、外でトイレを済ます人も多い貧しい地域でした。でも、生徒たちは底抜けに明るくて、新しい文型や表現を教えると、その言葉を使った即興のミニドラマを発表してくれるんです。また、男子生徒の半分ぐらいはゲイの子ですが、周りは普通のこととして認めていました。彼らがムードメーカーになってくれるので、クラスの雰囲気が良く、みんな笑顔で授業を受けていたのが印象に残っていますね」。

2つのホームタウン

11年3月に帰国すると同時に、米国への派遣事業に申し込み、8月からアイオワ州の高校に派遣された。
 「フィリピンと比べ、日本語教育を取り巻く環境は厳しいです。でも、アメリカ人の先生たちの、外国語教育によって異なるものの見方や考え方を受け入れられる人間を育てたいという信念が伝わってきました」。

13年6月に帰国し、11月には再びフィリピンのマニラに飛んだ。
 「帰ってきた! そんな感じでしたね。この国の人々の親切さには人を引き寄せるパワーがあるんです。申し訳ないからと断ってもいつも食べ物を持ってきてくれる先生や生徒たち。小銭がなかったら、『お金はいいよ!』と笑顔で言ってくれる乗合タクシーの運転手さんとか」。

2回目のフィリピンでは、日本で看護師や介護福祉士として働く希望を持つ人たちへの日本語の集中レッスンを行い、15年5月に帰国した。

7年間で、シドニー、マニラ、アイオワ、マニラと海外を渡り歩いてきた片山さんだが、帰国するたびに斜里町に戻っている。そこでは、スナックで働くリンちゃんが、片山さんの海外での体験談を聞くのを楽しみに待っている。

取材・文◆村上 充

DATA
※国際交流基金2012年度日本語教育機関調査結果より
フィリピン
日本語学習者数32,418人
日本語教育機関177機関
日本語教師数556人



2010年に派遣されたフィリピンのトンド地区の公立高校で。3,000 人の生徒を収容するため、午前に通う生徒と午後に通う生徒とに分けられていた














☆本記事は、語学学習や異文化情報が満載のクラブアルク会員誌『マガジンアルク』にも掲載されています。



http://www.alc.co.jp/jpn/article/aitoheiwa/img/womanFIX_360x70.jpg

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