2017.03.16 Thu

第11回 トニー中田さん 「世界を舞台に教えて、踊って、楽しんで。」

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PROFILE

トニー中田さん。愛知県出身。2013年に電機メーカーを早期退職し、日本語教師の養成講座で学ぶ。アルゼンチン、スペイン、トルコで約1年、ミャンマーで約2年日本語を教えてきた。



2016年12月、一時帰国中のトニー中田さんに渡された名刺には、ビジネス・コンサルタント、日本語教師、ダンス・インストラクターと3つの肩書が記されていた。

「ミャンマーでは、平日はコンサルタント、週末は日本語教師として働いていました。そして、週末の夜はダンスクラブに踊りに出掛ける。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の主人公トニーみたいでしょ(笑)」。

大手電機メーカーで働いていた中田さんに転機が訪れたのは4年前。早期退職し、世界各地で働くために日本語教師の養成講座に通った。最初に教えに行く国として選んだのはアルゼンチンだった。

「なぜならタンゴの本場だから(笑)。ブエノスアイレスの大学で教えている日本人を紹介されたので、会いに行って話をすると『トニーさんって面白いですね。アシスタントとして日本語を教えてみませんか』と誘ってもらえたんです。仕事でもダンスでも、募集は待たずに直接会って、自分を売り込むのが得意だったんですよ。昼は語学学校でスペイン語を学び、夕方は大学で日本語を教え、夜はタンゴ三ざ ん昧まい。カルチャー教室でも日本語を教えました」。

半年後、スペインのマドリードに渡り、プライベートで日本語を3カ月教えた。もちろん、フラメンコ修業も忘れない。実は日本代表としてラテンダンスの世界大会に出場する実力の持ち主なのだ。

続いて、トルコのイスタンブールに移動し、知り合いのトルコ人が経営するレストランで従業員に日本語を3カ月教えた。

踊る日本語教師、ミャンマーに

15年、ミャンマーのヤンゴンにある日本語学校で働き口を得た。

「募集要項に、日本語指導の他に、歌やダンスも教えられる人とあったので、興味を持ったんです。経営者に直接会いに行き、誠実で信頼できる人物なのか確認しました。契約もしっかりと交渉し、学校の事業部長も兼任し、現地企業のコンサルタントもできるようにしてもらったんです」。

芸は身を助くというが、ミャンマーでもダンスは大いに役立った。

「ホテルのショーで、忍者の衣装でサルサを踊ったこともありますし、教室でもよく踊りました。『趣味は何ですか』というテーマの授業で、『私の趣味は……』と踊ってみせると、興味を持った学生たちが日本語で頑張って質問してくるんです」。

ダンスと出合ったのは高校時代。
 
「実は女の子と手をつなぎたくて、社交ダンスの教室に通い始めたんです。当時は奥手だったんですよ(笑)」。

軽い気持ちで始めたダンスだったが、すぐに夢中になり、社会人になった時はダンスの同好会を社内で設立した。宴会などで率先して踊っているうちに『ダンスの人』として名前が広まり、気が付けば、社内外でトニー中田と呼ばれるようになっていた。

ミャンマーでの生活は昨年末で終え、今年の2月からはスリランカのコロンボで日本語を教えている。

「来年はサルサの本場、キューバのハバナで日本語を教えていますよ。まず宣言して、動くんです。いつか行きたいなあ、なんて言っている人は一生そこには行けない。宣言し、実行する。それだけなんです」。

今年還暦を迎えるというトニーさんだが、今でも4時間休みなく踊り続けられるという。熱いロマンと冷静なビジネスマインドを両立させながら、踊る日本語教師・トニー中田の世界ツアーは続く。


取材・文◆村上 充

DATA
ミャンマー
日本語学習者数3,297人
日本語教育機関44機関
日本語教師数194人
※国際交流基金2012年度日本語教育機関調査結果より



ミャンマーの教え子たちと日本で再会。「彼らの頑張っている姿がエネルギーをくれるんです」












☆本記事は、語学学習や異文化情報が満載のクラブアルク会員誌『マガジンアルク』にも掲載されています。



http://www.alc.co.jp/jpn/article/aitoheiwa/img/womanFIX_360x70.jpg

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