
「NAFL(ナフル)日本語教師養成プログラム」(以下NAFL)誕生から25年の歩みを、日本語教育の歴史とともに振り返ります。
日本の経済発展とNAFLの誕生
日本語学習者の急増と日本語教師のニーズの高まり
世界に広がる日本のポップカルチャー
縮まる日本とアジアの国々の距離
大震災を乗り越えて、日本語教師に求められるもの

- 1983年 「留学生10万人受入れ計画」発表
- 1985年 プラザ合意で円高ドル安へ
- 1984年 日本語能力試験開始
- 1987年 NAFL誕生
1987年4月にNAFLは産声を上げました。まずはNAFLが生まれた背景を、時代を少し遡って見てみましょう。当時の日本は、そして日本を取り巻く世界はいったいどんな状況だったのでしょうか。
日本は1950年代半ばから高度経済成長が始まり、石油ショックを経て、70〜80年代後半も高い経済成長を維持していました。海外からは、日本は円を安く抑えて輸出を伸ばしているのではないかとの批判が上がり、G5(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)のプラザ合意により急激な円高が進むことになります。85年から88年の3年間で、1ドルは263円から120円へ。一挙に円の価値は倍以上になったのです!
この円高を背景に日本企業はどんどん海外へ進出し、日本の車や家電製品が世界のいたるところで見られるようになりました。日本のアニメやテレビドラマがアジアを中心に放映され、世界で日本に対する関心が高まり、日本語学習者が増えていきました。
このような中、高い経済力に見合ったヨーロッパ並みの留学生数を受入れようという「留学生10万人受入れ計画」が発表され、世界各地で日本語能力試験が行われるようになりました。日本語学習者の急増に、日本語を教える日本語教師の養成が追い付かず、それならば優秀な日本語教師を養成できる通信講座を作ろう、そして世界の人たちの日本語を学びたいという声に応えよう、との想いからNAFLは生まれました。


- 1988年 日本語教育能力検定試験開始
- 1989年 元号が昭和から平成に変わる NAFL受講者1万人突破!
- 1990年 入管法改正。日系南米人の入国増加 NAFL受講者2万人突破!
- 1992年 外国人登録者数が総人口の1%超え
- 1993年 世界の日本語学習者約160万人に NAFL受講者3万人突破!
1987年に開講したNAFLは、当時日本国内の大学に開設されていた日本語教員養成の副専攻課程の教育内容を踏まえながら、1988年から始まった日本語教育能力検定試験の内容を反映させて、改良を重ねていきました。
日本語教育能力試験が始まってしばらくの間、その問題は公開されておらず、試験終了後に試験問題が回収されてしまうため、複数のアルク社員が受験をして試験問題を記憶し、試験終了後にディスカッションを行い、それを毎年NAFLに反映させていきました。そのような地道な努力を重ねていく中で、「NAFLは日本語教育能力検定試験対策として効果がある」という声が徐々に広がっていきました。
この当時、日本各地では、日系人をはじめとしたニューカマーと呼ばれる外国人が増えていき、その人たちの日本語のケアを行う日本語ボランティアの活動が全国的に広がっていきました。日本語教育はそれまでの留学生を中心としたものから、対象も内容も大きな広がりを見せました。海外での日本語学習者はさらに増え続け、160万人を突破しました。


- 1994年 マレーシアでラジオ日本語講座開始
- 1995年 ブラジルでテレビ日本語講座開始 NAFL受講者4万人突破!
- 1996年 ジェトロ・ビジネス日本語能力テスト開始
- 1997年 NAFL10周年
- 1998年 長野冬季五輪開催 NAFL受講者5万人突破!
世界の日本語学習者が160万人を突破したといっても、その数は学校で学んでいる人たちの数でした。日本人が英語などの外国語を学ぶ場合もそうですが、実は一番数が多いのは、学校に行って学ぶ人たちよりも、毎週・毎朝、ラジオやテレビなどの外国語講座で学ぶ人たちです。世界中で日本語講座の放送・放映が始まり、その数を含めると、日本語学習者は1,000万人以上ともいわれました。
また、日本語の普及には、日本のマンガや、テレビで放映される日本のアニメや、テレビドラマなども大きく貢献しました。日本のマンガが海外で本格的なブームになったのは、アジアでは90年代初め、西欧では90年代半ば、そして北米では2000年代からです。今でも多くの日本語学習者に日本語を学んだきっかけを聞くと、その多くは日本のマンガ、アニメ、ドラマであり、日本のポップカルチャーの隆盛が日本語学習者の裾野を広げたのは間違いありません。


- 2002年 サッカー日韓ワールドカップ共同開催 NAFL受講者6万人突破!
- 2003年 留学生10万人受入れ計画達成、世界の日本語学習者約235万人に
- 2005年 愛知万博開催
- 2007年 NAFL20周年
- 2008年 留学生30万人受入れ計画発表
世界最大の日本語学習者数を誇る韓国も、以前は歴史問題などがあり「近くて遠い国」でした。日本と韓国がこれだけ近くなったきっかけは2002年に行われたサッカー・ワールドカップの共同開催でした。また、韓国国内では当時の金大中大統領の日本の大衆文化の開放政策、そして日本では今に続く韓流ブームの火付け役となった『冬のソナタ』が放映されました。
日本は、中国や韓国、台湾など、アジアを中心とした多くの国・地域から留学生を受入れることで、「留学生10万人計画」を達成しました。そして次の目標として留学生30万人を2020年をめどに受け入れようとしています。
一方、2003年度の日本語教育能力検定試験から出題内容が改定され、今の日本語教育能力検定試験につながる5区分(「社会・文化・地域」「言語と社会」「言語と心理」「言語と教育」「言語一般」)による区分けになりましたが、NAFLはいち早くこの改定に対応しました。


- 2009年 世界の日本語学習者約365万人に NAFL受講者7万人突破!
- 2010年 日本語能力試験5レベル化
- 2011年 東日本大震災
- 2012年 NAFL25周年
世界の日本語学習者のさらなる増加により、海外からは日本語能力試験の実施回数を増やしてほしいという声が大きくなりました。そのような声に応え、日本語能力試験は7月と12月の年2回実施されることになり、またレベルも細分化され、年間の応募者数は全世界で100万人に迫る勢いになりました。
一方、日本経済は1990年代から長い停滞期に入りました。世界の市場では韓国や中国などの新興国に押される場面も増えてきました。2011年には日本は長らく守ってきたGNP世界第2位の地位を中国に譲り渡しました。
そのような中で2011年に発生した東日本大震災は日本語教育にも大きな影響を与えました。日本にいた外国人が一時的に帰国し、また日本へやってくる外国人も減りました。しかし、震災直後に全世界から寄せられた温かい励ましのメッセージは、日本と海外がこれまで以上に近く、深くつながっていることを実感させてくれました。つなぐものは「ことば」であり、つながるのは「人間」です。そしてその最前線に立つのが日本語教師です。海外で日本語を学ぶ人たちにとって、いちばん身近な「日本人」とは、自分に日本語を教えてくれた「日本語教師」なのです。
大震災後も海外で日本語を学ぶ人は増え続けており、優秀な日本語教師が不足している現状は変わっていません。これからも、熱意に満ちた専門性のある日本語教師を育てるために、NAFLは進化していきます。
参考:NAFL日本語教師養成プログラム1巻「日本語教育の現状」、同21巻「世界と日本」