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タイに滞在する時間が長くなるにつれて、そしてタイのことを深く知るにつれて、タイに抱いていた感情が徐々に変化していったというのは、ワタシに限らず、在タイが長い外国人なら多かれ少なかれ経験していることではないかと思う。人間でもそうだけれど、長所ばかりで短所がまったくない人なんていうのはいないからだ。
でも、そんな今でも、「ああ、やっぱりタイっていいなあ」と、ワタシに思わせてくれる日常のワンシーンがある。それは、市場や屋台で買い物をするときの、タイの人たちとのなにげない触れ合いだ。そこでは特別な会話が交わされるわけでもないし、向こうが売り手でワタシが買い手という関係でしかないのだが、そこをあとにするとき、ふしぎとほんわかと温かい気持ちにさせられることが多い。それは、売り子のおばちゃんたちが、ワタシの顔や買うものを覚えていて、それが用意されるのを待つ間、世間話ともいえるような雑談を交わせることが理由かもしれない。
こんな「タイっていいなあ」を最初に感じたのは、タイ語学校に通いながら日本語情報誌の編集部でアルバイトをしているころだった(第8話参照)。そのころ住んでいたアパートの近くに、夕方になると晩ご飯用のお惣菜などを売る屋台が軒を連ねる通りがあった。そこのカノムヂーン屋台で、ワタシはほぼ毎日のように晩ご飯を買っていた。カノムヂーンとは、米粉でできたタイの発酵そうめんである。酸味のある香りのする真っ白な麺に、雷魚の身をほぐして作ったカレー汁や、グリーンカレーなどをかけて、生野菜を好みで加えて食べる料理なのだ。出来合いのタイのお惣菜はひと通り食べ尽くしてしまっていたワタシは、このカノムヂーンが珍しく、またもともと麺類が好きだったことから、夕方になると自然にこの屋台へ足が向いていた。
麺を食べながら生野菜がたくさん摂れるからなのか、なぜかカノムヂーンは女性に好まれる。西の空が、水彩絵の具を散らしたようなグラデーションの闇に染まるその時間には、Tシャツに短パン、サンダル履きの若い女性が次々とその屋台の前でカノムヂーンを買い求めていた。ナムヤーと呼ばれるカレー汁にはいくつか種類があり、自分の好みのナムヤーを注文して、写真にあるような生野菜をビニール袋に好みの分だけ詰めていく。
ある日、その屋台に行くと、いつもは順番待ちをしている女性たちがひとりもいなく、売り子のおばちゃんもいつもと違う人だった。いつも買う雷魚のナムヤーを頼むと、ちょうど袋に入ったものがそこにあり、「これでいい?」と聞かれ、断る理由もなかったのでそれをもらうことにした。ところがアパートに帰って袋を開けてみると、いつも数個は入っているルークチン(肉や魚のすり身で作るつみれ)がひとつも入っていなかったのだ。ワタシはこのルークチンが好きではないので、そのことは特に気にせずに食べてしまった。
それから数日後のこと。そのカノムヂーン屋台に行くと、いつもの売り子のおばちゃんがいて、ワタシの顔を見るなり、「この前はごめんね、ルークチンが入ってなかったでしょ」と謝ってきたのだ。おばちゃんは、「あれはね、ルークチンが嫌いな常連さん用に分けといた袋だったのよ」と続ける。ワタシは、おばちゃんがワタシというお客の存在を意識していたことに驚き、そして自分が渡してもいないのに、ルークチンが入らないナムヤーがワタシの手元に渡ったということを把握していたことに驚き、そして、過去のことをほじくり返してお礼を言ったり、謝罪したりすることの少ないタイ人が、数日前のことを謝ってくることに驚いた。おばちゃんとワタシはそれほど多くの言葉を交わす仲ではなかったし、確かに頻繁に通ってはいたものの、常連とかお得意様とか呼ばれるほどの買い物もしていなかったはずだ。なにせ、そこのカノムヂーンは一人前がたったの15バーツ(約40円)だったのだから。
はたから見ればつまらないことかもしれないし、それほど感動するような話ではないかもしれないけれど、ワタシは日常生活のワンシーンの中で、こんなふうに心が温かくなることが単純に嬉しかった。それは、ワタシが2回目のタイ旅行で財布を無くしたときに、優しくしてくれたタイの人たちの心情を、間接的に感じることができたからともいえる。
ここ最近の間、似たような感情をワタシに抱かせてくれるのは、会社帰りに買う豆乳屋台のおばちゃんである。ワタシは4種類ある具を全部入れて、シロップを入れたものを2袋買うのだが、おばちゃんはそれを覚えていてくれて、ワタシの顔を見つけるなりいそいそとビニール袋に具を入れ始める。おばちゃんとのやりとりは、会話というよりもほとんどおばちゃんの独り言で、ビニール袋を閉じるときの輪ゴムが指にくい込んで痛いだの、夕方は6時から売り始めるけれど、朝も6時から同じ場所で売っているだの、おばちゃんの旦那は午前2時に起きて豆乳を作り始めるだの、豆乳を袋に詰め終わるまでのほんの数分の間の、別にどうということはない会話なのだが、おばちゃんがワタシの買うものを覚えていてくれて、しかも常連さんっぽく扱ってくれることに小さな喜びを感じている。
ほかにも、マンションの近くの注文食堂のおばちゃんだったり、勤務先近くのフルーツ屋台のおねえさんだったりが、ワタシがそこで買いものをしたことをちゃんと覚えていて、声をかけてくれたり、料理を作ったりしてくれる。彼らには共通点があって、決してワタシの素性を根掘り葉掘り聞いたりすることはない。豆乳屋台のおばちゃんに至っては、屋台の前で日本人の友人と出くわして、日本語で長々と立ち話をしたことがあるにも関わらずである。外国人だからという理由ではなくて、ほかのタイの人と同じように扱ってもらえることが何よりも嬉しいし、そんな下町っぽい人情を肌で感じられる瞬間が、「やっぱりタイっていいなあ」と思わせる最大の理由なのかもしれない。
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