「翻訳フォーラムシンポジウム2016」レポート 講演2 深井裕美子「翻訳を始めよう」

update:2016/08/01

受注前に細部まで確認を

通訳・翻訳者として長年活躍し、翻訳学校で講師も務める深井裕美子さん。今回は「翻訳を始めよう」と題し、依頼を受けてから実際に翻訳を始めるまでのプロセスに的を絞って、スムーズに仕事を進めるためのヒントを紹介した。

「仕事の依頼を受けたら、引き受けて良いか考える必要があります。それを判断するために、クライアントに確かめておくべきことには何があるでしょうか?」。深井さんが会場の参加者に尋ねると、さまざまな声が上がった。

写真:深井裕美子さん

まずは、どういった内容の仕事か、分量はどのくらいか、納期はいつか、といった項目が基本的な確認事項になる。

「納期については、『1週間でお願いします』というような場合、いつから数えて1週間なのか、具体的に何月何日の何時までなのかをはっきり聞いておきましょう。海外からの依頼なら、どの地域の時間を基準にするのかも重要です」

ほかにも、確認しておくべき点が多数挙げられた。ターゲットとする読者は誰か。文体やスタイル、使用ツールの指定はあるか。既訳や用語集があるか。原文・訳文の受け渡し方法は何か。個人での仕事か、チームでの仕事か。在宅かオンサイトか。意外かもしれないが、何語から何語へ訳すのかが分かりづらい依頼もあるそうだ。英日なのか日英なのか、字幕翻訳なのか吹替翻訳なのかといったごく基本的なことでも、事前に一言聞いておけば安心できる。

そして、最も重要な確認事項ともいえるのがギャランティーだ。単価はもちろんのこと、締め日と支払時期、支払い通貨、税込・税別のいずれか、振込手数料をどちらが負担するのかなど、細かい部分まで最初に確認しておくと、後々のトラブルを回避できるという。

「特に仕事を始めたばかりの人のなかには、お金の話はしづらいと感じる方がいるかもしれません。でも、ビジネスですから、やはり料金を最初に確かめておくことは大事です。基本的には、税別価格で請求します。売り上げが1,000万円以下の個人事業主でも、消費税はのせて請求するのが原則です。税込価格にすると、今後、消費税が上がったときに本体価格が下がってしまいます」

自分の作業スピードを把握する

仕事の詳細をひととおり確認したら、引き受けられるかどうかを判断しなくてはならない。

「即答を求められることも多いのですが、その際に慌てなくて済むよう、日ごろからやっておきたいことがあります。それは、『作業スピードの把握』と『辞書やPC環境の整備』です」

深井さんの講演では、このうち前者が取り上げられた(※後者については、後日公開予定の高橋聡さんの講演レポートで紹介)。自分の作業スピードを把握するには、①原文ワード数、②訳し上がり文字数、③所要時間、④ワード数/時間、⑤原文:訳文比、の5項目を、日ごろから記録しておくといい。「エクセルの表を作っておき、一つ仕事をする度に書き入れておくのがお勧めです」と、深井さんは言う。

図:普段から記録を取る
スライド作成:深井裕美子(※以下のスライドも同様)

④はワード数を所要時間で割ったもので、自分が時速何ワードで訳すのかを知ることができる。すると、「来週までに1万5,000ワードの翻訳をお願いします」などと言われた際に、それが実現可能かどうかをすぐに判断できる。⑤は原文何ワードが日本語の何文字に相当するのかを表す比率で、例えば深井さんの場合、英語160ワード対日本語400字が平均的な数字だ。

図:人によって違うけれど、だいたい

「普段は160ワードなのに急に100ワード、200ワードと増減したら、訳し抜けや、同じ文を重複して訳してしまったというようなミスが発生している可能性が高いです。通常の状態を把握しておくことで、こうした異常事態に気づきやすくなります」

断るときはポジティブに

自分の作業スピードも勘案した上で、いよいよ実際に仕事を引き受けるかどうかの回答をする。「できないと判断したときは、断る勇気も大切」と、深井さんは言う。

「駆け出しのころは、何でも『やります』と言ってしまいたくなるかもしれません。でも、手に負えなくなってしまったら自分もつらいし、相手からの評価も下がる。次の仕事につながらなくなってしまいます」

図:決断!

断る際のポイントは、「ポジティブに断ること」。例えば、「残念ながらそれはお受けできませんが、こういった案件ならできますので、その際はぜひお願いします」などと言えば、次につながる。あるいは、その案件に適した別の翻訳者を紹介してもいい。クライアントは喜び、「またぜひお願いします」と関係が続いていくはずだ。そのためにも、翻訳者同士で、日ごろから互いの得意分野を共有しておくことが大切だという。

作業効率を上げるコツ

実際に仕事を引き受けたら、「まずは原文と訳文について調べてほしい」と深井さん。原文については、出典と掲載媒体、筆者、目的、既訳の有無を調べる。また、原文が紙ベースで支給されたときは、電子版の入手もしておきたい。ワード数を数えたり、頻出用語を検索したりする際の手間が大幅に減るからだ。

図:原文について調べる

訳文についても、使用目的や掲載媒体、ターゲット読者を調べておこう。さらに、「その業界のスタンダード」も確認しておくといいそうだ。例えば、文末を「です・ます調」にするか、「だ・である調」にするかといった細かな仕様も、通例さえ知っておけば悩まずに済む。

図:訳文について調べる

「仕事を引き受けたら、いち早く訳し始めたいと思うかもしれません。でも、こうした調べ物を先にしておくと、後がすごく楽になるんです」

最後に、深井さんは「図書館を活用してほしい」と話し、「レファレンス協同データベース」を紹介した。これは、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースだ。全国各地の図書館では、「○○について知りたいのだが、どんな本を調べればよいか」といった利用者からの問い合わせに対し、調べ物のプロである司書が最適な本を探して紹介する。その結果がこのデータベースに集約されており、誰でも無料で検索することができるのだ。もちろん、自分が図書館へ行って司書に問い合わせをすれば、その結果も蓄積される。

図:図書館を使う

「翻訳に取り掛かる前に、原文・訳文について調べる。そして、図書館のリソースを活用する。そうすることで、仕事の効率がグンと上がると思います」と深井さん。翻訳の仕事を始めたばかりの人にとってはもちろん、ベテラン翻訳者にとっても、仕事の基本をもう一度見直すきっかけを与えてくれる講演だった。

取材・文:いしもとあやこ
写真:森脇誠

Profile

写真:深井裕美子

深井裕美子

(ふかい・ゆみこ)

東京都出身。上智大学外国語学部フランス語学科卒業。JR東日本を経て(株)ネスト。テレビ、映画、演劇、音楽関連を中心に翻訳に携わる。主な作品に戯曲「淋しいマグネット」、写真集『リュリシーズ』(平凡社)、映画『樹海のふたり』(英語字幕)、『バイリンガルコミックス忠臣蔵』(講談社)などがある。1996年より翻訳学校で教えている。

深井裕美子さんのWebサイト
「翻訳者の薦める辞書・資料」

講演レポート