「翻訳フォーラムシンポジウム2016」レポート 講演4 高橋さきの「翻訳再考 ~翻訳のおとしあな~」

update:2016/08/29

翻訳者が日本語を作り上げてきた

特許と科学系書籍を中心に、30年以上にわたり翻訳に携わってきた高橋さきのさん。『翻訳のレッスン』では、「レッスン4・訳文づくりと日本語の『読み・書き』」と題し、訳文を作るときに待ち構えている日本語の「落とし穴」を詳しく解説している。今回の講演では、本の内容からエッセンスを紹介する形で、落とし穴にはまらないための注意点を話した。

写真:高橋さきのさん

最初のテーマは「翻訳の原風景」。翻訳における日本語の「文体」を作り上げてきた先人たちといえば、二葉亭四迷や坪内逍遙といった作家の名が思い浮かぶかもしれないが、彼らに加えて近年、注目されているのが岸田吟香だという。岸田吟香は日本初の和英辞書『和英語林集成』の編纂に携わった人物で、「まるで21世紀の文章と変わらないほど読みやすく、素晴らしい文体を書く」と高橋さんは評する。吟香はまた、海外記事を翻訳して載せる新聞も創刊している。

「翻訳は、作家に限らず、辞書作りの現場に携わった人や、実務的な文章を書いた人たちが作り上げてきたもの。そして、日本語の文体は、今でも私たち翻訳者が作っています。日本語に何か変化が起きるときは、まっさきに翻訳の分野で起きると言っていいと思います」

翻訳の先人たちが日本語の文体を作り上げてきた一方で、現代は機械翻訳という新たな形態が登場している。翻訳業界は今後どう変わるのか、自分たちの仕事はどうなるのか、と心配する翻訳者は少なくないだろう。しかし、高橋さんは、機械翻訳が及ぼす影響は「翻訳業界」だけでなく「日本語全体」にまで及ぶのだと警鐘を鳴らす。

「機械翻訳がもし受け入れられたら、広く日本語の文章の質がその水準でいいということになってしまうでしょう。それを食い止めるかどうかが、私たち翻訳者の役割。20年後、30年後の人々が『言葉のプロである翻訳者たちはあの時、何をしたのか』と今を振り返るかもしれません。そのことは、きちんと受け止めておかなければいけないと思います」

一人三役の翻訳現場

二つめのテーマは「翻訳の現場、現場の翻訳」。高橋さんは、翻訳を「原文となる文章の発生現場とは別の現場で生産され、産物は翻訳現場とは別の現場で使われるもの」と定義する。つまり、翻訳には原文が書かれる現場、訳文が作られる現場、訳文が読まれる現場という三つの現場が存在する。その三つの現場から見た眺めをすり合わせ、訳文という形にするのが翻訳者の仕事ということだ。

では、訳文で実現すべきことは何か。それは、原文言語で読んだ人が描くイメージと、訳文言語で読んだ人が描くイメージを、できるだけ一緒にすることだと高橋さんは言う。

「人を中心に整理すると、原文の書き手、原文の読み手、訳文の読み手という三者がいます。翻訳者は、原文世界と訳文世界を行ったり来たりしながら、読み手として原文を読み、書き手の意図を理解し、訳文がどういう風に読まれるかを考えます。いわば一人三役の、大変な作業をしているのだと思います」

また、「原文は翻訳の指示書」だとも言う。「何を伝えるかだけでなく、どう伝えるかも、実は原文に書いてある。原文の中にあるそうしたことを読み取って訳した訳文からは、書き手の頭の中が見えてくるはずです」。

「ずれ」を戻すのが翻訳者の仕事

三つめのテーマは「翻訳産物としての訳文」。ソース言語とターゲット言語を比較したとき、語彙の意味が一対一で対応することなどないのは、少しでも翻訳経験のある人なら承知しているだろう。このため、単語単位で訳した場合は、原文と訳文の間に必ず乖離が生じる。ただし、どの程度乖離しているかは、翻訳の形態によって異なる。高橋さんはこれを、乖離の度合いと、原文理解の度合いを軸にとってマッピングした。

写真:高橋さきのさん

直訳や逐語訳、ミラートランスレーションのように、右から左へ訳していくような翻訳の場合は、無意識のうちに乖離が生じてしまう。一方、超訳や翻案といったリライト案件は、原文を読めた上で意図的に意味を乖離させている。最も「たちが悪い」のが勝手訳だ。勝手訳とは、原文を咀嚼することなく適当に情報を抜き取り、それを基に自分の頭の中で再構成した勝手な内容を文章化したもの。原文の内容をきちんと読めていないのだから、元の意味からは相当程度乖離してしまっている。

一方、いわゆる「通常の翻訳」では、原文を読み取り、さらに翻訳過程で生じる乖離をできる限りなくしていく。

「直訳や逐語訳は原文に忠実だと言われることがあります。でも、辞書に載っている語彙で訳す限り、確実にずれは生じます。私たち翻訳者は、そのずれをちゃんと戻すという作業でお金をもらっているのです」

「変な文章」によって翻訳力が壊れる

最後のテーマは「翻訳のこわさ」。高橋さんは、「原文と訳文、それぞれの言語内でできていることができなくなるのが翻訳」と話す。

「原文言語と訳文言語のそれぞれなら読めるという読解レベルだけでは、ついつい原文に引っ張られて妙な訳をこしらえてしまいます。原文に引っ張られないだけの『翻訳の土台』が必要。勘ではなく、理論的に整理しなければなりません。そうして整理したことを身につけて自動運転ができるようになれば、そこには頭を使わずに、もっと先の部分で頭を使うことができるわけです」

写真:高橋さきのさん

翻訳者の場合、原文を読み取る力があることは大前提だが、それでもなお「妙な訳文」をこしらえてしまうことがあるそうだ。妙な訳文のうち8割は「ブチブチ訳」「キョロキョロ訳」「ウラギリ訳」「モヤモヤ訳」「ノッペラボウ訳」のいずれかに分類できるのだという。

ブチブチ訳とは、前後を考えずに一文単位で訳した結果、訳文ごとにブチブチ切れている文章を指す。キョロキョロ訳は、目や耳をどこに置いて読めばよいのかが伝わってこない、あるいは誤って伝わってくる訳文だ。ウラギリ訳は、内容や強調箇所などについて予測できない、あるいは予測が裏切られる訳文のこと。モヤモヤ訳は、「いつ」起こったのか(テンス)、「もう終わったのか、まだ続いているのか」(アスペクト)などがモヤモヤした訳文。そしてノッペラボウ訳は、単調でメリハリがなく、頭に入ってこない訳文だ。これら五つの「妙な訳文」については、『翻訳のレッスン』に詳しく記載されているので、一読を勧めたい。

最後に、高橋さんは現代の翻訳作業に潜む危険を指摘した。

「機械翻訳による訳文や、翻訳メモリー収載の訳など、『変な文章』ばかりを作ったり見たりしていると、翻訳に必要な調整能力が壊れ、仕事を続けていけなくなってしまいます」

機械翻訳のポストエディットという新たな仕事も発生している今、翻訳者には、自分がどのように翻訳にかかわっていくか、どのように日本語に向き合うのかを、真剣に考えることが求められているのかもしれない。

取材・文:いしもとあやこ
写真:森脇誠

Profile

写真:高橋さきのさん

高橋さきの

(たかはし・さきの)

東京都出身。東京大学農学系研究科修士課程修了。以来、特許と科学系書籍の翻訳に従事。翻訳フォーラム共同主宰。共著書に『プロが教える技術翻訳のスキル』(講談社)他、訳書に『できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか』(講談社)、『猿と女とサイボーグ──自然の再発明』『犬と人が出会うとき──異種協働のポリティクス』(共に青土社)などがある。

◎高橋さきのさんのTwitterアカウント
@sakinotk

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