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苦手なりの受験英語

 

2006年8月26日

英語ダメ人間のなり方(14)

前回までのLLのお話を読んでいかがでしたでしょうか?


これは推測で言うのですが、ここを読んでくださっている多くの方にとって私の当時の苦しみが「ピン」ときていないのではないかと思います。
「え~? だって暗誦できればいいんでしょ? そんなのわけないでしょうに。 なにをそんなに苦しんでいるの?」…そんな感想なのではないでしょうか?
当時の(英語ができる)同級生にもよくそう言われました。 当時の他の英語の先生にもそう言われました。 というか英語が好きで得意な人のほとんどはからそういう感想しかもらえませんでした。


ここに大きなギャップがあります。私はこの「口頭テスト・暗誦テスト」がどうしてもできなかったのです。
このへんの話も関係するのですが、こうした例文覚えが楽にできない人は苦手になり、できる人は英語が得意に成りやすいのだと思います。
これは「才能」だと私は思っています。運動能力と同じです。足が速い人は、別に練習しなくても足が速いのです。


私は高1のとき、この口頭テストのために、全ての精神力を使いました。英語以外の科目を捨てて、代わりに口頭テスト対策に全力を傾けました。
「英語以外の科目を捨てて」という意味がわかりますか? 得意だった科目の勉強時間も全部捨てて、全部口頭テスト対策に明け暮れて、、、、、
お陰で全科目で成績が下がったのです。おまけに情熱を掛けた口頭テストで合格点を取れなかったのです。嫌で嫌でどうしようもないことをアレだけやったのに「無駄骨」もいいところです。それどころか高1のときは【落第の危機】にさらされました。
口頭テストが私の喜びを全て奪い取り、代わりに莫大な苦痛を与えてくれたのです。




数年前、この悪魔がお亡くなりになったという話を聞きました。私は赤飯を食べました。




先日、高校の部活の同窓会でこのN先生のことが話題になりました。私は興奮して「N先生がやっと死んだ」と喜んでいたら、英語が得意だった友人Hはポツリとこう言いました。


「N先生って誰だっけ?」


英語の得意なHにとって、私が人生で最も憎悪したN先生など、もはや記憶の片隅にも存在していなかったのです。これが私にとってどれだけ受け入れ難い事実かわかってもらえるでしょうか? だから私は英語が好きで得意な人間を奈落の底に沈めたいのです。


ところで私はこのとき「英語が得意な人が決してわからないポイント」を見た気がしたのです。


私が人生で最も苦しみもだえた「例文記憶学習」は、英語が得意な人にとってはなんでもない。
もっと言えば
英語が苦手で困りに困っている人にとって「例文記憶学習」がどんなに苦しい作業であるのか、できない作業なんだ! …ということを、「(英語が好きで得意なはずの)普通の英語の先生」は決して理解してくれない。


ここここも参照


だから英語が苦手な人は簡単に得意になれないのだと思います。


ちなみに英語が得意になった今、「口頭テストのようなことをやれ!」と言われも、私には「できない」自信があります。私はどうしても例文の暗記ができないのです。


(今回の感想を得意な人にぜひ聞きたく思います。よろしければコメントをお願い致します)


次の更新は月曜日です。

Comments

> 教育学勉強中さん
過去記事へのコメントは大歓迎です。ありがとうございます。

私にとってここで受けた体罰は「英語ができないのは体罰を受けるほど悪いことなのか?」と大いに考えるきっかけとなりました。ただ記憶力が下がるのでは、暗記科目と体罰は相性がわるそうですね。
ふむふむ。教師と呼ばれる人たちの中には生徒にひどいトラウマを植えつける人がいますね。そして彼らはそれを少しも悪いことだと思っておらず、むしろ善行をしたと思っていると思います。

今更昔の記事にコメントしてしまってすみません
でも他人事とは思えなかったのでコメントさせて下さい
自分が小学生の頃通っていたピアノ教室は出来ないと罰を与える教室でした
そのせいで大人になった今でもピアノが大嫌いです
なのでとてもお気持ちが分かります
自分はあのピアノ教師の事を一生許しません

ちなみに大学で出会った心理学の先生の話では
体罰を与えられる環境は常に緊張している状態になり記憶力が下がるらしいです
そして体罰を与える教え方は教える側が頭を使う必要が無く馬鹿でもできる為、体罰は無能な教師である証拠だとも言っていました
自分が今教育学や心理学を勉強しているのは子供の頃に出会ったむかつく教師たちへの憎しみからです