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苦手なりの受験英語

 

2006年11月 2日

直訳と意訳と訳例と意味(10)

I had to walk around, lookng for a stand ashtray.
Instead of resting, I was just tiring myself.


この訳例として、ここ訳例3


スタンド灰皿を探した。
休みたいのに歩いてた。


を今日は考えてみたいと思います。


単語1つ1つを考えるとどうでしょうか?例えば
I had to walk around, lookng for a stand ashtray.
の "walk"に対応する訳はありますか?


また
Instead of resting, I was just tiring myself.
のどこにも"walk"という単語がないのに訳例3には「歩いていた」と書いてあります。


だからこの訳例3はなんか変かな?という見方もあると思います。


ただ全体を通してみると
I had to walk around, lookng for a stand ashtray.
Instead of resting, I was just tiring myself.

が言わんとしていることは
「スタンド灰皿を探した。
休みたいのに歩いてた。」

ということに相違ないと思いませんか?


だからこれは「訳例」ではなく「意味」として私は考えています。


ただし、これが立派な「訳例」の1つとして通用するケースがあります。例えば「映像翻訳」の場合です。映画や何かの字幕などがそれに当たります。字幕の場合、字数制限があります。音声とあわせるため、長い和訳例は書けないのです。その際は「スタンド灰皿を探した。休みたいのに歩いてた」であればどうでしょう?短く簡潔に表現していないでしょうか?つまり、受験英語ではなく「翻訳」の場合、訳例3がむしろ好ましい場合があるのです。


ただ受験英語の場合は(特殊なケースを除いては)、このような訳例3は許されないと思います。
ただ「こうした訳例をする場合もあるのだ」ということは知っておいても良いと思います。


次回(土曜日)はいよいよBくんの読み方の考察に入りましょう。長くなりそうです。お覚悟くださいませ!

Comments

>かえでさん
いつもコメントありがとうございます。

得意な人のイメージが変わっている様に見えますか? うむ~そう見えるのか~。うぬ~自分では変わらないつもりなのだが、かえでさんがそうおっしゃるなら、そう見えるんだろうなあ~。


もう少し(私が考えている)得意な人の解釈法…を詳しく書く必要があるかもしれません…(細かくなるなあ…トホホ)
ただ、今回のテーマとはずれるような気がするんで、次回かそれ以降のテーマにしたいと思います。(もしかしたら今回のテーマ内で収まるかもしれませんが…)


引き続きお楽しみにしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

マウスバードさん

長文のお返事ありがとうございます。
基本的にマウスバードさんのお考えと私の考えは大きく違わないのだと思います。(マウスバードさんも英語の得意な人に対するイメージが変わって来ていませんか?)
ただ私の場合は、英語をまったく知らない子に一から教えてうまくいった経験があるものの、英語の苦手な人に教えた経験がないということが違うのだと思いました。
つまり、時間が十分にあって、英語を初めから教えることができるなら私のやり方でうまくいくのは分かっているのですが、
一年ぐらいで結果を出さなければならない英語の苦手な人に通用するかは未知の世界です。

以降のブログも楽しみにしています。

>かえでさん
いつもコメントありがとうございます。
またしてもお返事が遅れてしまいました。ごめんなさい~


>英語の苦手な人が「私はスタンド灰皿を探しながら歩き回らなければならなかった」という正解の訳文がつくれても、それだけで安心してはいけません。文法を理解して構文把握ができていなければ、たまたま日本語をこねくり回してできた正解だったかもしれないからです。
>はじめの構文把握をしただけのフレーズ訳の段階で、誰か(先生など)に「あっているよ!文法を理解して構文把握ができでいるのがこれだけで分かるから大丈夫だよ。これを直訳にしたり意訳にしたりするのは英語力の問題ではなくて日本語力の問題だからね。」と言われたら、安心(納得)できませんか?


ふむふむ。そうですね。それできっちり「意味」を読み取っていて、また偏差値が少なくとも50はあれば問題ないと思います。ただ「偏差値30~40台だった頃の私」というものさしで考えると不安が残ります。どうしても、「私はスタンド灰皿を探しながら歩き回らなければならなかった」といった「(それなりに正しい)日本語(の語順)」が提示して欲しい感じです。その理由の1つは「悪い癖が付きまくっていた」からです。


極端なことを言うと↓こうです。
「私は、歩き回らなければならなかった、探しながら、スタンド灰皿を。」
を正しく並び替えましょう!…と先生が(昔の)私に言ったとします。
昔の私が“並び替え”をすれば、
「私は歩き回って一つの灰皿を[持って]立って見ていた」
という訳例作ってしまうでしょう。。・゚・(ノД`)・゚・。
もちろん並び替えていません(これが上で言っていた「悪い癖」です)。先生がちゃんと文法を教えても、熟語などを解説しても、それでも(昔の)アホなマウスバード君は文法よりも「(間違った)自分の感覚」を通常優先してしまうのです。ちなみに自分では<文法や熟語を無視した感覚はなく>「ちゃんと踏まえている、並び替えている」つもりなんです(もちろん実際は無視しています)。


実際、昔教えていた<英語ができない生徒>の多くはこれと同様でした。昔の自分を見るようでしたw。
だからそういう場合、私は「よ~く見てもう1度考えよう。これらを“単純に”並べ替えるんだよ。文法も踏まえるんだよ~、熟語も踏まえるんだよ~」と言います。やり直しをさせる時間、考えさせる時間もタップリ与えます。
そうすると「あ、そうか!」と言って、ようやく文法どおり、熟語を踏まえて「私はスタンド灰皿を探しながら歩き回らなければならなかった」と素直に「並べ替えて」作るようになったのです。
このとき例外なく英語の苦手な人は「へ~」と感嘆の声を上げます。なぜなら彼らには「単純に並べ替えて、それなりに正しい順番にして、正しい日本語の訳例にして、『それが正しいよ!』と言われた経験がなかった」からです。必ず「妄想」が入り、無理やりな日本語を作ろうとしていたためです。


それともう1つ!
特に「ピリオドまでが長い英文」の場合が気になります。
【2つ】考えたい要素があります。


1:長い文で「仮に正しくBくん訳例ができていた」として、また「先生のお墨付きがあった」としても、正しい語順(正しい直訳例)に並べられているかどうか怪しい、と思うのです。上で挙げたように、「短くても並べ替えられない」かもしれません。まして「長かった」らどうでしょう? 短い場合よりも「悪い癖」がバンバン噴出しやすく、正しく並び替えるのは困難だと思います。というか、実際そういう生徒(部分で区切られているのはあっているのに、正しく並び替えられない)を私は見ています。もちろんこういう生徒は少数派です。私の概算だと100人いたら3~10人ぐらいだと思います。ですが、<そういう生徒がまさに「英語が苦手になる」>と思います。私はその1人である自信があります。


2:きちんとした訳例(直訳でも可。ただしBくん訳例ではなく、日本語として正しい順番)ができると「苦手な人は自信になる」と思うのです。
英語の苦手な生徒でも、学校の授業中に当てられて「訳しなさい!」と強要されてきているはずです。この場合、しどろもどろになりながら無理な訳例を作り、先生や友人に白い目で見られてきているはずです。そういう経験を積み重ねているはずです。英語が苦手な人は、短い英文ですら満足に正しい訳例が作れないのです。
まして長いものがあったら「うわ~」と思い「絶対正しいものなど作れない」と思います。訳例作りに着手するのでさえ勇気が要り、普通は作りません。基本的に「最初からさじを投げる」はずです。
しかし、こういう人には「自分でもこんな長い英文の訳例が作れる!」という実感が得られたらどうでしょう? こうした実感を私は与えたいのです。自信につながると思うからです。
その場合Bくんの訳例だと、すみません、私ではどうにもまだまだ不安なのです。【たぶんここをかえでさんは納得しにくいのではないか】と思っています。


もしかしたら、ここが「ポイント」なのかもしれません。なぜなら<今現在の私>でも「私は、歩き回らなければならなかった、探しながら、スタンド灰皿を。」という訳例では(気を抜くと)不安を覚えます。【私はこういう感覚の持ち主】なのです。ですがこれはそうは簡単に直るようなものではないと思うのです。こうした感覚の持ち主であるのは私だけでしょうか? 少数ながら確実にいると私は思います。「こういう人が英語が苦手になってしまいやすい」のではないかと思います。


だから、苦手な人は「最初からBくんの訳例を目指すべきではない」と私は思うのです。「Bくんの訳例を考えるべきは、ある程度自信がついてきた後」、つまり、「中級者レベルになって以降」だと私は思っているのです。

マウスバードさん、おはようございます。

いよいよB君の読み方ですが、それに関係して、直訳と意訳と訳例と意味(7)の英語が苦手な人についてのコメントを引用させてください。

 文法や熟語を知っていれば、「私は、歩き回らなければならなかった、探しながら、スタンド灰皿を。」とできるでしょう。ですが、このままでは日本語として通じているか、英語が苦手な人なら不安を覚えます。 
「私はスタンド灰皿を探しながら歩き回らなければならなかった」
となって、ああ、日本語として意味が通じた! とできれば【50%ぐらい】は安心できます。まだ50%です。いや25%ぐらいかな? もっと少ないかもしれません。なぜなら「この訳例があっているという自信が<誰か(先生など)に「あっているよ!」というお墨付きをもらうまで>根本的には英語の苦手な人には全くないから」です。

という説明はよくわかりました。付け加えるとすれば、英語の苦手な人が「私はスタンド灰皿を探しながら歩き回らなければならなかった」という正解の訳文がつくれても、それだけで安心してはいけません。文法を理解して構文把握ができていなければ、たまたま日本語をこねくり回してできた正解だったかもしれないからです。

それでしたら、はじめの構文把握をしただけのフレーズ訳の段階で、誰か(先生など)に「あっているよ!文法を理解して構文把握ができでいるのがこれだけで分かるから大丈夫だよ。これを直訳にしたり意訳にしたりするのは英語力の問題ではなくて日本語力の問題だからね。」と言われたら、
安心(納得)できませんか?

私が訳さないことにこだわっているのは、英語にかける時間が同じならば、なるべく大くの時間を、文法を理解して構文把握をする練習にあてたほうが英語の力がつくと考えているからです。もちろん試験対策として訳す練習も必要ですが、それは基礎的な構文把握力がついていないと、日本語をこねくり回す練習になってしまいますから。

次回のB君の読み方の中でマウスバードさんのお考えを聞かせてもらえたらうれしいです。