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苦手なりの受験英語

 

2008年2月25日

文法の必要性の有無(9)

今日は
「才能がはっきり区別できない中間ぐらいの人」
について書きます。


「才能」と言ってもばらつきがありますよね。例えば100m走を想像してください。
100mを11台で走れる人、12秒台で走れる人、13、14、15、、、となりますよね。
11秒台で走れる人のほうが速く走れる才能があり、15秒台のほうが才能がないことになります。
12、13、14秒台の人もいるわけです。それぞれ微妙に才能に差があるわけです。


英語も同じように才能に差があると私は思っています。そして「才能がはっきり区別できない中間ぐらいの人」も一概には「ひとくくり」にはできないと思います。12、13、14秒、のようにそれぞれに差異があり、それぞれ別の物だと思っています。


それでも、やや無理気味に「才能中間派」をまとめてみます。「ひとくくり」は難しいので「3つに」分けてみます。


中間派の3種類
1)中学までは楽しかったのに…派
2)突然文法が気になった派
3)文脈でなんとかなるよ派


1)中学までは楽しかったのに…派
ここでいうAタイプの典型です。
中学までは英語が楽しく、それほど困らなかったタイプです。
大概の英文は、文法なんか全然意識しなくても、読めました(中学までは)。
中学時代は「ちょっとぐらい意味が変でも概ねOKだなあ~」という感じですね。


ところが、高校に入って困ったケースです。
今まで(中学時代)「ちょっとぐらい意味が変かもしれないが概ねOKだった」のに、なぜか徐々に「概ね」どころか半分ぐらい、いやいや、30%ぐらいしか意味が文の意味が分からなくなってしまったのです。
年度が進むに連れて困った度合いが強くなった感じです。
こういう人は「あれ? 今まで上手くいってたのに? なんで?」と困惑するはずです。
この頃になると、多少難しい文法事項が出てきます。ところがこの説明がチンプンカンプン。
「キー! よくわからなーい!」という感想を持ち、文法を嫌がります
そして「今まで(中学時代)だって文法なんてよく分からなかったけどなんとかなったから、これから先も何とかなるはずだ」と思うわけです。
ところが、全然全く何とかならない。文法はやりたくない(嫌い)。。。。。
困ったあああああ……!!!
 …というタイプです。
このタイプの原因は「才能が高校で枯渇した所為」です。


ちなみに「才能が高校で枯渇しなかったタイプ」は…
今まで「ちょっとぐらい意味が変かもしれないが概ねOKだった」、そして高校でも「概ね」OKの状態をキープした。多少困るのも無くは無いが概ね平気。
「中学までは楽しかったのに…派」よりも才能があったため、そのまま高校でも大丈夫だったのです。


2)突然文法が気になった派
「1)中学までは楽しかったのに…派」とよく似ています。ですから才能が枯渇し始めた人もいます。ですが、枯渇しない人でもこのタイプが存在します。
あるとき突然に自分が持っている「英語的なカン」に対し、「文法的な根拠」が気になってしまったのです。まるで目の前に突然お気に入りのタイプの異性が現れたようなものです。「気にするな!」と言われたってそれは無理というものですw
色々なパターンがありますが
・これって、文法ではどう考えるのだろうか? とふと思ってしまった
・うん? この訳例が作れない! え? 文法で考えると作れるんだ! ああ~ホントだ! へ~~~なるほど~~~ 今まで気にしていなかったけど、気にしたほうが良い側面があるかも…
と、気になってしまったのです。このタイプはどちらかというと理系が多いです。そして文法にそれほどの「嫌!」という不快感が無かったタイプがこうなりやすいです。


3)文脈でなんとかなるよ派
このタイプは上の2つとは違います。どちらかと言えば才能があるほうです。
国語も得意・読書量も豊富な理系、という人がなりやすいタイプです。
このタイプは文法が嫌いです。
英文の意味を「文法以外の知識」と「文脈」で作り出してしまいます。
英語も言語ですから、文法は違えど、述べたいことなどは同じはず。それならその述べたいことを前後関係などから導き出してしまおう、という読み方をするのです。
ここで読書量や国語力が生きてきます。豊富な読書量と自信のある国語力を駆使することで、文法を知らなくても、文脈から正しい意味を作り出してしまうのです。
だからこのタイプは、文脈がない英文だとトタンに意味が分からなくなるタイプです。文脈の無い「たった1文だけ」のケースだと、ほんのちょびっとだけ複雑な英文でも意味が取れなくなる場合があります。
例えば
The suggestion which I made was rejected
だったら、このタイプの人は
「提案が拒絶される」か「拒絶する提案」かの2択を考えて、どちらが正解かが分からない…という感じです。
(正解は提案が拒絶されるほう。訳例や解説などはこちら
このタイプの人は、この英文の前後に文脈があると「私が作った提案は拒絶された」とちゃんと作れるのです。


しかし、文脈があっても文構造が複雑な長い文英文だとお手上げです。そもそも文法を知らないので、複雑な英文だと文脈だけでは対応できなくなってしまうのです。
このタイプは「別に英語を極めよう」とは思わず、「ある程度ちゃんと読めれば良い」と考えます。そしてそれには自信があるのです。
そしてこのタイプの人は「ある程度ちゃんと読む」ということは文法知らなくても可能なのです。(でも文法問題を出すとほぼ全滅ですw)


ここを読んで下さっている人の何人かはこれに当てはまる人もいるかもしれません。
どうでしょうか?


中間派は他にもタイプがあるような気がします(そういうことを私は研究しています)。以上は現在私が見つけたタイプとしておきます。


次回はこの1)、2)、3)タイプについてもう少し書きます。
木曜日の更新予定です。

Comments

>理系の大学院生さん
ふむふむ。
理系の大学院生さんは「(1)」ではなく、「平均的な(1)よりも、はるかに才能がある(1)」であるように私には感じられました。

というのは、前にいただいたアンケートで

>このことについて、学校の英語の先生から↓このように言われた場合
>「なんでそんなところが気になるの? 気にせず丸ごと覚えちゃえば良いじゃん。そのほうが楽ジャンか!」
>⇒(1)気にせず、丸ごと覚えることが楽がどうか?
…という質問事項で

 「つらいというほどではない」

というお返事いただいたからです。
(1)タイプの典型例のお返事は「つらいというほどではない」ではなく、「楽ではない」というものなんです。
「つらいというほどではない」と「楽ではない」は似ていますが違うと思っているのです。

「つらいというほどではない」⇒どちらかというと嫌ではない。むしろ覚えれば役に立つから覚えたい
「楽ではない」⇒どちらかというと嫌がっている

だと思うのです。どうでしょうか?
典型的な(1)タイプは、短い英文なら何とかなるものの、長くなると覚え難い・嫌だ、と感じられるのではないかと思ってるのです。
もしくは嫌じゃないけど、試してみたら、文まるごと1文は覚えられなかったとか……


この中間派の(私の個人的な)研究は、まだ始めたばかりです。
今のところは、大体こんな感じではないのか、と思っています。

なるほど,中間派ですか.確かに私は英語を好きな人と嫌いな人の性質を持ち合わせているような気がします.

英語がそれほど得意ではなかった受験生の頃を思い出すと,基本的には(1)に該当しますね.(3)が多少入っていたかもしれませんが,いわゆる読書量はほとんどゼロだったはずです.

文法はけして嫌いではありませんでしたが(並べ替え問題とかは比較的得意だった),文法の知識を長文読解に用いることについて若干の拒否反応があったような気がします(そんな面倒なことをするだけの理由がわからなかった).英文に対して「日本語の意味」を考えることに相当強い抵抗を持っていた(これは今でも持っている)ことと関係があるかもしれません(※).

「読む」ときは基本的に感覚だけで読んでいます.もっとも,頭でっかちなどで文の構造が読み取れないときは文法の力を借りることもあります.「書く」ときは常に文法を気にしています.さもないとろくでもない文になってしまうので.

[※に対する補足]
これは私自身が読むときのポリシーであって,たとえば英文の意味するところを(他人に)日本語で説明することに関しては何の抵抗もありません.

>おらむーさん
ふむふむ。ご意見ありがとうございます。素晴らしいポイントをお考えだと思います。

>つまり、This is a pen. を「これ である ひとつ ペン 。」と一語一語を日本語に置き換えるやり方のことです。

むしろ「これが英語の苦手な人がやる方法」であると思います。そして【苦手な人の場合】それが「間違っている方法である」とは思っていません。

>再三話題に上がっている「英語なんて簡単ジャン」派の人たちはどうかというと、意味の塊の語句を見出す能力が飛びぬけて高いようです。
最近はチャンクというのがハヤリですね。
>例文で言うと、「which I made が一塊で“私が作った(した)”って意味」と一発で見抜きます。

おっしゃるとおりだと思います。「これができる人が英語の才能が豊富な人だ」と思っています。

先のアンケート↓で
http://www.h2.dion.ne.jp/~e-kirai/anke01.htm

このことについて、学校の英語の先生から↓このように言われた場合
「なんでそんなところが気になるの? 気にせず丸ごと覚えちゃえば良いじゃん。そのほうが楽ジャンか!」
⇒(1)気にせず、丸ごと覚えることが楽がどうか?

を聞いています。

これらが「楽」か「楽ではない」かを聞いているのはまさに「そのポイント」の説明のために作ったアンケート項目なのです。

つまり、英語の才能が乏しい私のような人間は、「which I made が一塊で“私が作った(した)”って意味」と見抜けません。これをまとめて覚えていない(覚えられない)ためです。
つまり、which、I、 made、のようにぶつ切りにしか「できない」のです。速く走る才能が無い人間に「100mを11秒台で走れ!」と言われてもできっこありません。それと同じで、我々のような英語の才能に乏しい人間はそれ(「which I made が一塊で“私が作った(した)”って意味」とまとめて覚えること)ができないのです。
しかし、才能がある人は11秒台で走れるのです。才能がある人は、 「which I made が一塊で“私が作った(した)”って意味」とまとめて覚えることが造作も無いことなのです。

 さらにさらに! 
(A)「The suggestion which I made was rejected を“私が作った提案は拒絶された”って意味」と覚えること
(B)「which I made が一塊で“私が作った(した)”って意味」このくらいのチャンクぐらいを覚えること

(A)でも「楽」と感じられるでしょうか?

実は才能がずば抜けてある人は、(A)でも楽なのです。足の速さで例えれば11秒台の人ですね。
これが中間派だと、(A)はやや難しく、概ね(B)までで楽だと思っているのです。足の速さで例えれば13秒台の人です。
※補足:(A)が楽と感じる人からすれば、(B)は造作も無いことなのか、返って難しく感じるのかのか…わかりません。今後研究してみたいと思います。

そして、足の速さで例えれば、15秒台の人は

(C)which、I、 made、のようにぶつ切りにしか「できない」

という具合です。

1)中学までは楽しかったのに…派 
おそらく、多くは(C)と(B)の中間ぐらいが楽な人」と私は考えています。どちらかというと(B)です。(B)なのですが、何らかの事情で「上手くかたまりが把握できなくなってしまった」と私は推測しています。おそらくは、扱う1文が長くなりすぎて切れ目が分からなくなって混乱してしまったのではないかと推測しています。

2)突然文法が気になった派
これは、「多くは(B)と(A)の中間ぐらいが楽な人」、と考えています。とてつもなく長い英文のとき、さすがに全部覚えるのは難しくなった。さて困った、意味が分からなくなった、切れ目がわからん。切れ目が気になる、どうしよう? ああ、文法で考えると切れ目が分かるのか! へぇ~。
という具合です。

3)文脈でなんとかなるよ派
は、正直分かりません。今おらむーさんの意見を伺って、「そうかもしれない」と思い始めています。
国語ができて、なおかつ文法は嫌いなので、単語の数珠つなぎを文脈でやってのけてしまうのかも知れませんね。
今後の調査課題ができました。ありがとうございました。
m(_ _)m

なお、ちっともウザくないですよ~(^^)♪
「なんでそんなに細かいことを考えているの?」と言われるほうが9999兆倍ウザいです。
\(`へ´ )/=3

たびたびコメントすみませんw
ちょっとウザイかなw

MouthBird氏が挙げられている中間派に共通するのはいわゆる「単語読み」の弊害ではないでしょうか。あるいは「純粋逐語訳」というべきかもしれません。
つまり、This is a pen. を「これ である ひとつ ペン 。」と一語一語を日本語に置き換えるやり方のことです。

MouthBird氏が、3)文脈でなんとかなるよ派 で考察されている通り、国語力のある人はこれに適当な(と思われる)助詞をつないで日本語として意味のある文に変えることができます。

そうすると例文のような The suggestion which I made was rejected を「その 提案 所の 私 作った であった 拒絶される」と日本語に“分解”して、そこから本来の英文とは無関係に日本語の文を再構築するために、「提案が拒絶された」なのか「拒絶される提案をつくった」なのか区別できず、“文脈に頼る”という荒業をやってのけるようになります。

そして本文中の3つのタイプの違いというのは、「実は英語と日本語は別々のものである。英単語が日本語に一対一で対応しているのではない」という事実にいつぶち当たるか、その時期の差ではないかと思うのです。
もう少し言うと、その壁に当たった時の時期と対応の差ということになりましょうか。

1)中学までは楽しかったのに…派
2)突然文法が気になった派
の違いは、「英語を日本語に一対一に分解しても読み取れないことが目立ってきた、その際には実は文法が役に立つ」と気づいたとき文法を取り入れられるかどうかの違いではないでしょうか。
3)文脈でなんとかなるよ派 はその際に文法ではなく文脈を頼りにすることを選んだ、ということなのではないか、と考えています。

では、再三話題に上がっている「英語なんて簡単ジャン」派の人たちはどうかというと、意味の塊の語句を見出す能力が飛びぬけて高いようです。
最近はチャンクというのがハヤリですね。

例文で言うと、「whichi I made が一塊で“私が作った(した)”って意味」と一発で見抜きます。
本人にしてみると、文法的な根拠とかはあまり、というかほとんど考えていないようで、「一回読んだらまず意味がはじめにわかる。“なんでそう訳せるのか”と聞かれたらそのとき考える」そうです。
…うらやましい。

まあとりとめがなくなりつつあるのでこの辺で。ではでは。