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苦手なりの受験英語

 

2009年2月 2日

高校の英語の授業を英語でしたら…(2)

高校の英語の授業を英語でしたら…
「高校の英語の授業を英語でしたら」の続きです。


今日は「現場を知らぬ偉い人の妄想(ファンタジー)」を紹介します。


今、日本で「高校の英語の授業を英語でしよう」としている偉い方は、たぶん崇高な理想、ちがった、幼稚園レベルの妄想を持っていると思います。
概ね↓こんな考えをお持ちなのではないでしょうか?


・日常レベルで英語が普通に普及している国は、高等学校で普通に英語で英語の授業がなされている。
・つまり高等学校の英語の授業が英語でできるレベルでなければ、英語が普及しているとは言えないではないか!
・中学ならばともかく、高校になったら英語で授業ができるはずである!
・実際そのようにしている高校は既にある。つまり可能である。
・英語の授業なのに、英語で行われないのはそもそも変ではないか!
・英語の普及のため、高等学校で普通に英語で英語の授業がなされるべきである!


ま、こんな感じじゃないですかね?


いやあもう、素敵な妄想(ファンタジー)をありがとうございます…という感じです。
きっと、太平洋戦争の開戦決定もこんな感じで決まって実行されたんでしょうな~と思いました。
大戦前、日本の参謀本部の「現場を知らぬ偉い方々」の考え


 日本ならアメリカと戦っても勝てるはず、という過信、いや「思い込み(信念)」があった。
 だったら戦うべきだ、開戦やむなし!
 アメリカの非道を正すべし!


という結論になったような素地があったはずです。
その結果はどうなりましたかね? どれだけの若い命が失われて、かつ、負けたのでしょうか?


これも同じじゃないですかね?
つまり、文部科学省にいる「現場を知らぬ偉い方々」の発想は


 今の日本なら高等学校の英語の授業が英語でできるレベル、という過信、いや「思い込み(信念)」がある。  
 だったら、そうすべきだ! 英語の授業が英語ですべきだ!
 もっと日本で英語を普及させるべし!


って感じじゃないですかね? (邪推ですけどね)
結果はどうなるでしょうね…


もっとも、彼らにもし↑このことを問い正すと、彼らは↓こんな感じなことを言うと思います。


「過信だと? そんなことはない! 十分できる!」
「実際、そうしている高校もある。それに英語で英語の授業なんて英会話学校では普通にしていることではないか!
「だったら、できないほうがおかしいではないか!」


概ね↑こんな感じじゃないですかね? どうでしょう? そこの偉い人? 違いますかね~?
私に言わせれば、ここに大きな「状況判断ミス」があると思います。これは、太平洋戦争における日本の参謀本部の「現場を知らぬ偉い方々」が抱いた「状況判断ミス」と同質だともいます。
当時の状況判断を正しく行えば、日本はアメリカと戦ったら必ず負けるのは分かりきっているはずでした。
ところが偉い方の
「勝てるはずだ」という「思い込み」
が、状況判断を狂わせ、開戦に踏み切り、日本は負けたのです。


高校の英語の授業を英語でしようとするもくろみ」も同じだと思います。
現在の状況判断を正しく行えば、高校の英語の授業を英語でしたら、より英語が普及しないと思います。
しかし偉い方の
「できるはずだ・その結果普及するはずだ」という「思い込み」
が、状況判断を狂わせ、高校の英語の授業を英語でしようとしているのだと私は思います。


日本は、偉い人の状況判断のミスの所為で戦争に負けたのです。


次回は「偉い人の状況判断の甘さ」について書く予定です。
次回は木曜日です。


(↓目次はこちら)
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Comments

>Dr. Sさん
>安保闘争の話を持ち出したのでは、安保を当時の首相である岸信介が進めたのに対して、孫でその強い影響下にある安倍晋三がTOEFLを進めているという点でのアナロジーを意識したのでしょうか。

単純に「あれだけの反対運動があったにも関わらず、安保の自動延長は承認されてしまった」ということです。アメリカ側は「日本で革命が起こるかもしれない」と考えたらしいです。しかし反対派は安保自動延長を阻止できなかった。失敗したのです。逆に岸は自分の総理の椅子と引き換えに安保の自動延長を成功させました。
 一方安部さんは、自分の総理の椅子と引き換えにTOEFLを導入しようとまでは思っていないとは思います。ただ教育関係のTOEFL導入派の方々は議員バッチを捨ててまでも、TOEFL導入成功させようとする可能性を私は捨てきれないでいます。

 反対運動を起こすからには「成功させないと意味がない」と思うのです。私はもちろん反対ですが、よほど上手くやらないと成功しないと思っているのです。現時点で私は「TOEFLEはどんなことがあっても導入される」と思っています。
・小学校英語も導入されてしまった
・高校の「英語による英語の授業」も導入されてしまった
⇒今度は「TOEFLを導入」
しようとしていると思います。戦略的に優れています。


 私たちは、ゆとり教育の失敗を目にしています。つまり「ゆとりが失敗だった」と分かるまで、ゆとり教育は続けられたのです。今回も同じ変遷をたどると思っています。「英語が返って普及しない」という結果が明らかになるまで、「良い政策だ」と彼らは連呼すると思います。ちなみに、ゆとり推進派はいまだに「ゆとりが失敗だった」と認めていません。「それでもゆとり教育は間違っていない」という本が出版されています。
 同じように「失敗を認められない人たち」がTOEFLを導入しようとしていると思います。

ただ、このタイミングで声を大きく上げることはある程度有効だとは思っています。

・小学校英語も導入されてしまった
・高校の「英語による英語の授業」も導入されてしまった
この段階で日本各地で「英語嫌いが増えた」「授業にならない」と悲鳴が上がっている。

【この声が大きくならないうちに、目立たないうちに】

⇒今度は「TOEFLを導入」

しようとしています。だからもし声を大きく荒げるとしたら、「【今】が最も効果的」とは私も思っています。


一部のグローバルエリートを創出したいのなら、すでに創出している、と思うのは私だけでしょうか? 今現在の日本で英語ができなくて致命的に困っている人がいるとはとても思えないのです。現状で十分だと私は思うのです。


仮にもっとグローバルエリートが必要だとしても、そのために英語が苦手な人が現状よりもさらに苦しむような施策ならば、私はそれに異を唱えるのです。私は英語が嫌いな人の味方ですから。

マウスバード様

どうもDr. Sです。
政権与党が提言したものである以上、これは教育問題ではなく政治問題です。

安保闘争の話を持ち出したのでは、安保を当時の首相である岸信介が進めたのに対して、孫でその強い影響下にある安倍晋三がTOEFLを進めているという点でのアナロジーを意識したのでしょうか。岸は自らの退陣とアイゼンハワー大統領の訪日中止という大きな代償を払いましたが、TOEFL導入にそんな覚悟あるとも思えない安倍晋三が相手なので何とかなるでしょう。

政治問題である以上、まず、いかに声を大きくするかというのが重要です。現場の高校教員、大学教員、予備校講師が一丸となること、それから何としてもメディア受けの良さそうな人物を引き込むことが重要です。そして、テレビ、ネット、あらゆるメディアに発信する必要があります。

それから、分かりやすいキャッチフレーズが必要です。「英語帝国主義」、「日本語による高等教育の消失」はどうかと思いますが、「英語学習の加重負担により理数能力の低下」(多分、現実に起こるでしょう)、「親の収入による教育機会の不均衡化」(これも、多分、起こります)、「高校入試にセンター試験を義務づけるような無理難題」(上半分の層に対してなら概ね当てはなると思います)等が考えられます。

それとは別に、私は、経済界が主張するように英語のできるグローバルエリートは必要で、ある程度は高等教育で経済界の求める人材を供給する必要もあると考えています。したがって、TOEFLを大学入試で義務化しないなら、どのようにして英語のできるグローバルエリートを(だいたい1割程度の1学年あたり12万人程度)育成するのかの具体的な案を考えておく必要があります。ただし、これは、さほど困難なことではないでしょう。

一般ピープルの私が考えるのは、こんなところでしょうか。

>Dr. S さん
いつも見守ってくれてありがとうございます。
>「英語教育、迫り来る破綻―みんなで考え、行動しよう―」
これは行くべきですね。皆様の意見を伺いたいと思いました。

>一貫したカリキュラムを考えるに障害となっていることは何だとお考えでしょうか。

・単純な偏見(思い込み)
・都合が悪い結果の無視/データ無視

だと思います。

・単純な偏見(思い込み)
 ・日本に英語が普及しないのは、早期から英語を学習しない所為だ
 ・文法なんかやってるから喋れないんだ
 ・英語の授業を英語でやらないから駄目なんだ


・都合が悪い結果の無視
 小学校から英語を導入した結果、英語嫌いが増えた
 http://blogs.yahoo.co.jp/gibson_erich_man/24586975.html


>(1)学習文法が読解に有用になるように教えられていない

高等学校の多くではおそらく教えられていないと思います。私が伊藤師のような方法を私が教わったのは浪人時代の予備校でです。
私の昔の仕事の同僚で、元高校英語教師がいましたが、彼は文法をぜんぜん知りませんでしたよ。知らないものを教えられるわけはないのです。

>(2)ある種の文法事項は文脈の中で理解すべき

これは人によるのではないかと思います。私は100%文法が先で、文脈が後でした。でもこれは人によってその割合が変わると思っています。


今私は、どうやったらTOEFL導入を止められるかを考えています。おそらく当たり前の方法では止められないと思うのです。
あれだけ激しかった安保反対闘争でも安保は止められなかった。事実を突きつけたところで、目が悪い彼らには数字が見えない。
したがって、もっと根本的に違う方法を取らないと、このままこの流れは変わらず、TOEFLは導入されると思います。


その結果、英語嫌いが増えるだけで、英語は一向に普及しない…となると思います。←こうなるのは私にとっては望ましいです。
ただ、同時に、英語嫌いはますます苦しむと思います。これは私の本意ではないので、この流れを止めたいと考えています。

マウスバード様

ご無沙しております。Dr. Sです。
既にご存じかもしれませんが、
「英語教育、迫り来る破綻―みんなで考え、行動しよう―」
という講演会が7月14日にあります。
http://kotobanokyouiku.blog.fc2.com/blog-entry-17.html
江利川先生、大津先生、斉藤兆史先生、鳥越久美子先生のそうそうたる方々が講演されるようです。


マウスバード様、清水恭宏様

これまでの議論、興味深く拝見させていただきました。
現在の日本人の英語力の向上が芳しくない最大の原因が、一貫したカリキュラムなど存在していないことだと思っています。それこそ、小学生から大学院まで一貫して考える必要があるのですが、議論は低年齢教育と高校教育・大学入試に偏りイビツになっています。先の自民党の「成長戦力に資するグローバル人材育成部会提言」では、大学院における英語教育には全く触れられていません。そもそも日本において英語による口頭の意思疎通を必要とするのは1~2割程度であり、まず、1割を目指して大学院から整備するのが筋だと考えられます。自民党や経済界にこの考えがないのは、階級社会であるヨーロッパや「大日本帝国」の発想から抜けられないからだと思われます。

ところで、一貫したカリキュラムを考えるに障害となっていることは何だとお考えでしょうか。
私を先頃、「学習英文法を見直したい」(大津由紀雄編著)という本を読みました。そこでは(1)学習文法が読解に有用になるように教えられていないとか(2)ある種の文法事項は文脈の中で理解すべきだとの記載がありました。この種の議論を見てとても奇異な印象を受けました。(1)については1970年代から90年代にかけて故伊藤和先生のより構築されたシステムで解決済みであり、わざわざ21世紀に議論する理由が理解できません。(2)についても一部ぶうですがそれに対する答えが著書の中で提示されています。1980年代以降に日本人の英語の読解力に最大の影響を与えたのは故伊藤和先生であると考えているのですが、アカデミズムの多くはまるで無視を決め込んでいるようです(江利川先生を始めとして少しずつ議論の俎上には上っていますが)。
それとは別に、日本人は毎年、大量の英語論文を書いているのですから、このあたりにライティングの方法が豊富にあるはずなのに、研究関係の範囲外の教育に生かされることはないようです。
リスニングについては、シャドーイングやリピーティング等のトレーニングが提案され、多分、 清水恭宏さんが教えられている英会話の学校でもスピーキングを向上させる種々の方法が蓄積されていると思います。まず、これらのある程度、成功した方法を軸にカリキュラムを構築すべきなのに、その調査や評価が行われる気配すらないようです。

このような状況が続く限り日本人の英語力の向上へは、議論すら堂々巡り一歩も進まないでしょうし、議論すら進まなければ、おそらく日本人英語力は低下する一方でしょう。

長々と失礼しました。

> 清水恭宏さん


そうですね。英米圏での留学がまともに活用するには英検2級レベルの実力がないと難しいでしょうね。


>中学に入る時点で50%の子は既に英語嫌いというのが現実だそうです。


私もそう思います。


以下にベネッセの調査結果を提示しておきます

<小学校英語導入後>
ベネッセ教育研究開発センターの意識調査(2009)
質問「中学校に入学する前,中学校で英語を学ぶことが楽しみでしたか」


「楽しみでなかった」...53%
「楽しみだった」...42%


2009年は小学校英語導入後である。楽しみでない方が多く、半分以上である。
それ以前は、楽しみだった方が多かった(7~8割)のである。(江利川先生のブログ記事 最後のグラフ参照)
http://blogs.yahoo.co.jp/gibson_erich_man/24586975.html


偉い人は、「自分の都合の悪いデータが見えない、聞こえない」と思います。彼らは目医者や耳鼻科に行くべきだ、というのが私の意見です。
・小学校英語に関する私の意見
/beginner/article/mouthbird/2012/09/post_964.html


>そうなると高校生の英語嫌いは何%になるのでしょうか。おぞましい数字だと思います。


「偉い人は目が悪い」ので、悪い結果の数字が見えないようです。
それかあるいは、
【昨今の学校英語教育の立て続けの変革の真の目的は「英語嫌いを増やすこと」にある】
と思っています。その目的なら納得がいきます。成果は十分に上がっていると思います。

ただ、英語嫌いな生徒は増え続け、そういう生徒はますます苦しみの度合いが深まると思います。

才能という要素は、確かに語学学習には否定できないですね。海外で才能が花開くには、日本でのそれなりの準備が必要だと考えます。私は何となく留学を、と考えている子にはっきり言っていることがあります。日本にいる間に到達可能なレベルまでは勉強しなさいと。具体的に言うと英検二級だと思います。そこまで達していれば、語学学校で英語だけの授業を受けても、慣れで順応でき上達可能だと考えるからです。現地では文法用語など全て英語で説明を受けるのですから、最低英検二級程度のレベルは不可欠です。(私の体験からです。)又、英語を英語で考えるレベルに達するには英英辞典が必要ですが、これも二級程度のレベルでないと、説明の定義で使っている英単語の意味さえ分からないでしょう。そうでないと、MOUTHBIRDさんの担当したケースのように、海外へ行ってから、生徒さんは困ってしまいます。困ったことに、自民党は小学校の英語教育の前倒しも提言しています。金沢市は英語教育特区を取って早くから、英語に取り組んできましたが、結果は大失敗です。貴重な時間を割いているにもかかわらず、中学一年生に入ると教科書の最初のページから再スタートです。ABCからなんですよ。一貫したカリキュラムなど存在していないのです。今、現役の中学英語教員の方を一人教えているのですが、中学に入る時点で50%の子は既に英語嫌いというのが現実だそうです。そうなると高校生の英語嫌いは何%になるのでしょうか。おぞましい数字だと思います。

>清水恭宏さん
これは私の意見に過ぎないのですが、外国語の習得には才能が50%を占める、と思っています。語学の才能がある人ほど留学などで英語漬けの生活を送って英語が身につきますが、才能がない人ほど苦しむと思います。私の昔の生徒である社会人の生徒さんがいました。彼女はカルフォルニアに在住でした。「1年もアメリカに住めば英語が身につくだろう」と考えたらしいです。向こうでも留学生向けの学習プログラムがあり、それに則って1年カルフォルニアで生活したらしいです。
 その結果どうなったか…
彼女いわく
・アメリカ人の先生がなんて言ってるか分からない。(英語だから)
・一生懸命アメリカ人の先生が慰めてくれるのは分かるが、その慰めの言葉が「なんて言ってるか分からない」。ので泣くだけだった。(英語だから)<実際授業中にワンワン泣いたそうです>


●彼女はアメリカにいながら、日本にいる私の生徒になりました。私の塾はインターネット専門ですから、スカイプでつなぎながら日本の私の【文法】の授業を受けたのです。
http://www.ye-study.com/jugyohome01.htm

 その1年後。私だけの力ではないですが、私の「日本語で行う文法の授業」を受けて彼女は英語を喋れるようになって日本に帰ってきました。

 ただ、こうした事実をいくら突きつけたところで、英語で英語の授業をすればいいと考えてしまう人の発想は変わらないと思います。

最近、高校の交換留学で一年間留学した後に帰国した子を教え始めました。少し教えて気づきました。なんと一般動詞の疑問文が全く組み立てられないのです。留学前の英語力について、尋ねてみたのですが、どうも準備せずに行ってしまったようです。高校は3年で卒業できずに現在4年生?をしています。大学受験も考えているそうですが、本人には本当にこれから猛勉強が必要だと伝えました。

この事実が示すことは、英語漬けの環境に身をおいたとしても、それが英語力につながる保証はないということです。体系的な学習を積んで準備して行かないと、こういった悲劇が起こってしまうのは自明のことです。

海外で英語漬けの生活をしても基礎力がないと、英語が身につかないのですから、中学を卒業したばかりの土台がない状態で「英語で英語の授業」をしても効果は上がらないことは、誰が考えてもわかることではないでしょうか。

>清水恭宏さん
>「英会話へとつながる学校英語教育のあり方」こそ、私が受験指導をずっと続けてきて、一番考えさせられるテーマです。
参考までに。2つ
1・私は大学は行って1年目はESAという英会話サークルに入りました。受験英語で英語を鍛えなかったらESAに入る気も生まれなかったし、英語がペラペラになった経験も積めなかったと思います。その後は片言ですが、片言でもしゃべれるのは、常に受験英語が私が英語がベースにあるからです。
2・ESAの同僚や先輩方は、受験英語の良さも悪さも語っていませんでした。少なくとも受験英語が英会話の弊害になる要素はなにもないと思います。
>文科省の新指導要領の意義には、「大量の英文に日本語を介さずに触れること」とあります。
ご教示ありがとうございます。なるほど「文意」はどうでもいいんですね。
 学校英語教育は「英語でのコミュニケーション(意志伝達)能力」を養うのを目的としているはずです。で、指導が「大量の英文に日本語を介さずに触れること」なのですか、そうですか。ということは文科省は、「たとえ単語の意味がわからなくても、その英語を発音するだけで、相手に意志が伝わる」とお考えなのでしょうね。文部科学省は「学校英語教育で【テレパシー能力】を養う」のを目標にしているのだと思いました。

>戸惑いさん
 でも、とーいっく、とーいっくと騒いでる政界や経済界の偉い方々は、「精読などしているから時間がなくなるんだ。とにかく多読! 考えるな、感じろ!」と言うのでしょう。
そういう方向性だと思います。
「大量に走れば100mを12秒以内で走れるようになる」と思っているようなものだと思います。ただそれができる人は世の中にいると思います。でもそれは30人に1人ぐらいだと思います。そういう人が普通、体育で活躍したり、英語の先生になるんです。
そうじゃない普通の人は、それだけでは無理だと思います。

横から口を挟むようで申し訳ないのですが
>そもそも文構造を自ら分析もできない状態で、どれだけいい加減な読解練習をしても無意味です。読みにおいて、よく「正確(ACCURACY)さと流暢さ(FLUENCY)」どちらが大切かと言うことが議論されますが、ACCURACY抜きでFLUENCYはありえません。

 (1)の記事に、清水さんは
>実際、 TOEIC受験者の多くの悩みはREADINGセクションが時間内に終わらないことです。
と書いていらっしゃいましたね。
 今の私にはネットでしか知る術がないのですが、TOEIC対策に大学受験用の文法書や英文解釈本などを買う人も少なくないようです。TOEICのようなテストでさえ、文法や文構造の読み取りがきちんとできないと、スコアアップは難しいのでしょう。少なくとも、多くの受験者が受験の実体験をもとに、ACCURACY抜きのFLUENCYはありえないと、身にしみて感じた結果なのではないかと、私は思いました。
 でも、とーいっく、とーいっくと騒いでる政界や経済界の偉い方々は、「精読などしているから時間がなくなるんだ。とにかく多読! 考えるな、感じろ!」と言うのでしょう。

 かく言う私も、大学生の時や卒業後、英文を読まなければならなくなった時に後悔したのは、高校や浪人の時に、もっと真面目に精読をしておくべきだったということです。読解において、教えてくれる人がいるうちにやっておくべきことは、多読の方法などではなく、最低でも検定教科書レベルの文章は構造を分析出来た上で意味を正確に理解できる能力だと感じています。

MOUTHBIRDさんへ

「英会話へとつながる学校英語教育のあり方」こそ、私が受験指導をずっと続けてきて、一番考えさせられるテーマです。昨日、早稲田を卒業して某大手企業に就職した私の教え子に再開しました。彼は、大学時代よく遊んだそうですが、英語学習だけは続けていたそうです。その努力のおかげで、大学4年時にはTOEICで800点を突破したそうです。彼は、「早慶の入試問題を高校時代に沢山やったことが一番糧になった。」と言いました。それを聞いてうれしかったです。彼は高校一年からセンスあるとは思いましたが、特に地道に和訳に取り組んでいました。母親が国語の教員なので、自分で書いた訳を日本語として母親に添削してもらっていたそうです。

文科省の新指導要領の意義には、「大量の英文に日本語を介さずに触れること」とあります。現在の学校の授業で1時間で教科書1ページもしくは2ページしか進まない現状を改善したいのでしょうが、そもそも文構造を自ら分析もできない状態で、どれだけいい加減な読解練習をしても無意味です。読みにおいて、よく「正確(ACCURACY)さと流暢さ(FLUENCY)」どちらが大切かと言うことが議論されますが、ACCURACY抜きでFLUENCYはありえません。

理想は、一文一文の和訳を超えて、文章全体の論旨を捉えることでしょう。かといって、パラグラフリーディングの話をするのは、あまりに短絡的です。トピックセンテンスも正確に訳せないで、どうして次の段階へ行けるのでしょうか。早稲田へ行った教え子はその段階まで確かに達しました。正当へ導くためにパラグラフリーディングを指導しました。しかし、大半の高校生には、必要ないし、そこまでそもそも3年間では到達できないでしょう。

スピードラーニングのように何か読解にも魔法の杖があるのでは?と思っている高校生もいるでしょう。でも、そんなものはないです。「学問に王道なし」これに尽きるのではないでしょうか。根拠のない理想や幻想を、現場に押しつけるのはやめてほしいですね。正直、将来英語を話したいと思っても、その道のりは、大半の受講生にとっては、学校英語教育の崩壊と退化でどんどん遠ざかっていくことは間違いなしです。


戸惑いさんへ

「私自身は中学校時代、教科書程度なら頭の中で意味をとった上で和訳も出来てしまっていた上、英語が苦手な子に和訳などさせるのは苦痛だろう、検定教科書に出てくる文は全部基本例文みたいなものだから、こっちでさっさと説明しちゃって、暗唱に重点を置こう、と考えてやっていたのですが、その子は伸びませんでした。今考えれば当たり前ですね。やはり踏むべきステップはきちんと踏ませるべきでした。」

自らの経験を語って頂きありがとうございます。英語が苦手な生徒さんに和訳をさせるのはもちろんですが、、英語に加えて国語も苦手な生徒さんにとってはもっと大切ですね。和訳を書かないと、どういう意味なのか客観化できないですし、間違った単語の訳を選んでいることにも気づかないですし。中学生を指導していると、国語の補習授業も並行して行っているような気持ちに最近なります。特に、国語の苦手な生徒さんは、訳す時に適切な日本語の助詞が出てこないので、少し長い文になると、つじつまが合わなくなってしまいます。

現場の先生方は、このことを肌で感じ取っているはずなのですが、ついつい訳例を渡したりして、「分かったつもり」にさせるごまかしをしているのです。学問に王道なし。この件について、現場の高校教師の意見も聞いてみたいものですが。言われたとうりにするしかないと、諦めているのですかね?

マウスバード様、清水恭宏様

 お二方とも、私の書き込みにご返事いただき、ありがとうございました。

 実のところ、昨日投稿した段階において、お二人のやり取りに違和感を感じながらも、それが何故なのか、いまいち分からなかったのですが、今になって、その1つの(おそらく最大の)原因は、お二人がお互いの考えをどの程度知った上でこのコーナーに書き込んでいらっしゃるのかが見えていなかったからだ、と分かりました。
 しかし、お二人のお返事により、お互いにご自分と意見が合致する点と相違する点とを理解した上でのやり取りであることが分かりました。
 私の違和感は解消されました。
 私の読解力の無さのため、お二人に貴重な時間を割いていただくことになってしまったようで、申し訳ありませんでした。

>「戸惑いさん」は「高校における英語で英語の授業」についてどういった意見をお持ちでしょうか。
という清水さんのお言葉ですが、正直なところ、現在は中高生の英語教育に全く携わっていないのであまり偉そうなことは言えませんし、はっきりとした英語教育像があるわけではありません。が、お二人が一致している
⇒・高校の英語の授業が英語でなされることは、多くの生徒にとって良くない
⇒・大学受験要件や高校卒業要件にTOEFLの点数を課するのは無謀の極み
⇒・和訳例を作成する作業が英語苦手な学習者には必要。
については、私も正しいのではないかと思います。

 また、お二人のやり取りを読んで、学生時代にバイトでやっていた家庭教師時代のことを反省しました。上手くおだてて、和訳を紙に書かせるべきだったと。
 私自身は中学校時代、教科書程度なら頭の中で意味をとった上で和訳も出来てしまっていた上、英語が苦手な子に和訳などさせるのは苦痛だろう、検定教科書に出てくる文は全部基本例文みたいなものだから、こっちでさっさと説明しちゃって、暗唱に重点を置こう、と考えてやっていたのですが、その子は伸びませんでした。今考えれば当たり前ですね。やはり踏むべきステップはきちんと踏ませるべきでした。

戸惑いさんへ

はじめまして。私がずっとここでコメントしてきたのは、英会話スクールのあり方ではありません。音声面の点においては、確かにMOUTHBIRDさんとは立場は違います。しかし、次のMOUTHBIRDさんの述べる3点では完全に見解は一致しています。

⇒・高校の英語の授業が英語でなされることは、多くの生徒にとって良くない
⇒・大学受験要件や高校卒業要件にTOEFLの点数を課するのは無謀の極み
⇒・和訳例を作成する作業が英語苦手な学習者には必要。

HPでご存知だと思いますが、私は「受験英語=悪」という立場では全くありません。私は英語の重要性がますます高まると思っています。しかし、英語の重要性=英会話の必要性という図式では捉えてほしくありません。製薬会社の方であれば、大量の論文を読みこなす力であるかもしれません。スペインのZARAのような外資のアパレル会社では、商品の発注を英語で直接本社とやっています。海外のお店から輸入で何かをインターネットで購入するにも英語を使う人はいるでしょう。

一口に英語と言ってもニーズは千差万別。なのに「英語を話す」ことばかりに焦点を当てた、まさに近視眼的な「英語教育政策」が問題だと思うのです。「木を見て森を見ず」といったところでしょうか。

高校での英語教育はそういった多様なニーズを大局的にふまえたものでなくてはなりません。だから、私は「英語で英語の授業」をすることに反対しているのです。「英語が話せるようになりたい」という欲求があっても、最低限の読解能力がなければ、それは夢のような話です。受験英語という土台をふまえた上で、「英語が話せるようになりたい」なら大学以降でそのような選択をすれば良いということではないでしょうか。今の改革では、結局「英語を話せるようにならない」し、加えて「読み書きレベルの著しい低下を招く」最悪の状況が想定されます。生徒30人以上に教師が1人という物理的制約を無視してはいけないでしょう。海外の語学学校では、せいぜい生徒10人で先生1人ですから。

目的が受験英語であろうが、英会話であろうが、例えば「3単現のS」が分からなければ、その先には進めません。現実は高校レベルにおいても、3単現のSのルールを理解していない子が少なくないのです。こういった現場の現実を無視した英語教育改革論が平然と出ているので、私は憤慨しているのです。

英語教育のあり方について、立場は違っても、共感できる部分があれば、どんどん議論すれば良いのではないでしょうか。私は英会話スクールの経営者ですが、受験指導のプロでもあるので、その立場でここの議論に参加しているだけです。「戸惑いさん」は「高校における英語で英語の授業」についてどういった意見をお持ちでしょうか。

>清水恭宏さん
>ひどいのは、あまりにも翻訳調なので、なぜそんな訳になるのか、というプロセスが全く見えないようなものばかりです。
翻訳調なのは良い面と悪い面がありますね。良い面は、ナチュラルな日本語ですっきり頭に意味が入ること。悪い面はまさに「なぜそんな訳例になるのか」が分かりにくくなることです。私の授業では、直訳例と意訳例を両方教えるようにしています。生徒に対しては、まず直訳例を作るように薦めています。直訳例ががあっていれば褒めますし、正解、と判定します。さらに「こういう意訳例になるよ」という具合に意訳例を伝えます。私もそうやって浪人のときに教わりましたから。
 訳例を書いて間違いを訂正する作業をしないと、苦手な人は間違いが直りません。しかも苦手な人ほど同じところを何回も間違えるので、苦手な人ほど嫌になります。したがって苦手な人ほど嫌がります。しかしやらなければ結局間違えまくるので、そのままなら成績は伸びないですね。苦手な人は勉強しなければ得意になれないのは普遍の事実です。それを踏まえられない生徒は仕方がないと私は考えています。もし踏まえられれば、あとは考える時間を与えれば学習すると思います。うちの姪は、10行にも満たない(我々から見て)平易な英文でも、和訳を作るのに余裕で90分ぐらいかかる場合があります。でも学校の予習として90分かけてやらせます。ヒントなんて出しません。普通の英会話学校ではこんなことは難しいでしょうね。姪に関してはこちらをご覧ください。姪は努力のかいあって、なんとか無事に志望の公立高校に合格しました。
http://q-eng.com/diary/12358
>小学校から英語を始めても、英語教育は進歩するどころか、退化する一方ですね。
退化…! 素晴らしい言葉ですね。同感です。どこかでこの言葉を使わせていただこうと思います。




>戸惑いさん
コメントありがとうございます。まず私に対して失礼と感じる部分は全くございません。ご安心ください。


 戸惑いさんがおっしゃるように
(i)清水さんは「今後さらに重要になる」、マウスバードさんは「必要になるのは一部の人のみ」
と思います。(少なくとも私に関してはそうです)
(ii)こちらですが、私が発音に拘らないのは、受験を突破するだけなら正確な発音は(少なくとも現在は)それほど重要でない、と考えているためです。それよりも苦手な人には必要なものがあり、正確な発音にこだわる時間があったら別のほうにこだわった方が成績は上がり合格につながる、と考えているためです。(他にも理由はありますが割愛) 清水さんはそうお考えかどうかは私には分かりません。ただ少なくとも私とぴったり100%同じであるとは思っていません。もしかしたら0%かもしれません。

私はこう思います。
・英語が今後さらに重要になろうか、一部の人が必要なだけであろうが、
・正確な発音が重要であろうと、さほど重要でなかろうと
⇒・高校の英語の授業が英語でなされることは、多くの生徒にとって良くない
⇒・大学受験要件や高校卒業要件にTOEFLの点数を課するのは無謀の極み
⇒・和訳例を作成する作業が英語苦手な学習者には必要。
という意見は一致する。


つまり
どちらの立場であっても、「学校英語教育方針はどんどん間違ったほうに舵が切られている」という見解は一致する、ということになると思うのです。この先Aに進もうが、Bに進もうが、どちらに行くにも「C」を通るべきだ、「D」ではなくて、と言っている様なものだと思います。


今回の話題は、あくまで学校教育における英語の授業のあり方であると思います。またこのブログは「苦手なりの受験英語」であって「苦手なりの英会話」ではありません。したがって、私の感じ方は「清水恭宏さんは英会話スクールの立場なのに、わざわざ学校英語教育の土俵に上がって、学校英語教育のあり方について語ってくださっている」と思っています。もちろん英会話学校の先生ですから「英会話につながるのにふさわしい学校英語教育の姿」という意見であると思います。

マウスバード様、清水恭宏様

 まず最初に、以下、特にマウスバードさんに対して失礼な発言が多いことに関してお詫びしておきます。
 ここ最近、お二人の間でお話が盛り上がっているようですが、(必ずしも本筋と関係のない点かもしれませんが)気になることがあります。
 それは、英語教育に関して、かなり本質的な点で、お二人の考えに差がありすぎるのではないか、ということです。清水さんの教室のHPは、以前リンクが貼ってあったので見せて頂きました。英語教育における日本語の役割などについてのお考えはほぼ同じなのかなと感じましたが、それ以前の点として
(i)英語そのものの重要性:清水さんは「今後さらに重要になる」、マウスバードさんは「必要になるのは一部の人のみ」と考えていらっしゃるように思います。
(ii)発音の重要性:清水さんのページを見ていると、発音を非常に重視していらっしゃるように思います。一方、マウスバードさんは、公開されている文法講義の動画を見る限り、完全なカタカナ英語(しかもイントネーションまで日本語の方言)です。
 また、(これは私の思い込みによる誤読かもしれませんが)清水さんは英語ができない(「話せない」を含む)英語教師を問題視しているように感じたのですが、マウスバードさんは、ご本人の言葉が本当であれば、現在はカタコトだそうです。

 先に述べた通り、英語学習における和訳の意義、また新指導要領の高校の授業における「英語で行うことを基本とする」方針に反対である点において、お二人の考えが一致していることは分かっていますし、だからこそのやり取りなのでしょうが、それ以外の英語教育に関する基本的な点があまりにも違いすぎているようにも感じられ、その点をスルーして対話が進められていることに、それを見ている一閲覧者としては、少し戸惑いを覚えています。

追伸:ここが個人ブログであれば、特に何も言うつもりはありませんでした。しかし、ここは、アルクという、英語教育を手がけている企業のコンテンツですので、敢えて思い切って書き込むことにしました。

中学で和訳例を配るのは金沢でも広く行われています。ひどいのは、あまりにも翻訳調なので、なぜそんな訳になるのか、というプロセスが全く見えないようなものばかりです。中学の教科書は、巻末に単語リストがついていて、中3の教科書には一年生の分までさかのぼって全部載っています。それだけでも、生徒が覚える努力をしなくなるので問題だと思うのですが、訳まで与えてしまったら、考える作業が全く必要なくなってしまいます。その延長が高校なのでしょう。自ら論理的に文構造を理解するというプロセスがどこにもないですね。実は自力で考えて訳を書かせるという課題が嫌になって、塾を止めてしまった子がいます。本人にも親にも、「自ら考えるプロセスを放棄したら大学受験は無理です」と愛のムチを込めて諭したのですが、ダメでしたね。どれだけ文構造の捉え方を説明しても、それを応用しようと努力しないのでは、教えていても無意味です。小学校から英語を始めても、英語教育は進歩するどころか、退化する一方ですね。

>清水恭宏さん
今年高1になった姪の中学も和訳例は配られていたそうです。構造が書いてあるプリントを渡すのも、そうしないと大半の生徒が授業を受けようとしてくれないからだと思います。これだと構造を把握できる力はつかないと思います。学校の英語教育は「英語を勉強している振り・分かっている振り」をさせるのに役立つようにどんどん変わっていると思います。コミュニケーション(意志伝達)能力をつけさせるのを目標にしているはずですが、より意志が伝わらないように変質しているように思います。

中学においても、高校においても先生方は大きな勘違いをしている気がしてなりません。生徒に安易に和訳を配布しているのです。私にはその意味が全く理解できません。それが恒常化した結果、自らの力で文構造を把握して読もうという努力を生徒が全くしなくなり、全く受身の姿勢になっています。ある学校では、教科書の本文の「単語の意味リスト」「フレーズリーディングにおける意味の区切りを予め書いてあるプリント」を先渡ししています。おまけに各文の主語と動詞までそこにはしるしてあります。皮肉なのは、そういった授業を受けている生徒ほど模試の点数はよくありません。なぜなら、分かったつもりのままで、読解力がついていないからです。算数で1+1=2だよと、答えを最初から教えるのと同じではないでしょうか。最近、その傾向がますます強まっています。「生徒の学力が落ちている」「生徒が予習しない」からと先生は言うのでしょうが、最初から妥協して何の解決になるのでしょうか。教育哲学そのものを疑ってしまいます。とても、「英語で英語の授業をする」なんて絵にかいた餅です。

>清水恭宏さん

「英語で英語を授業する」ために外国人教師を1500人増員するとしか考えようがないですね。偉い方々の辞書には「思い込み」とか「先入観」という文字で埋め尽くされていると思います。そして分析とか反省と言った文字がないのだと思います。責任も全くないでしょうね。。
 苦手な人ほど和訳練習が必要だと思います。「英語で英語を授業する」ことになれば、和訳の練習が薄れることになりそうです。もしそうなったら英語が分からない生徒が今の3倍ぐらいに増えて、したがって英語嫌いは今の3倍ぐらいになると思います。
 清水恭宏さんは苦手な人に適切な指導をなさったと思います。

自民党の議席を盾にした暴走が止まらないですね。今朝のニュースで外国人教師を1500人増員するという計画があるとのこと。「英語で英語を授業する」ためでしょうが、ここにも今までの英語教育政策に対する反省が全くないですね。JETプログラムで日本全国に外国人教師は既にいますが、彼らは英語教育の質の向上には全く貢献していません。なぜなら、大学を出たばかりで、英語教育はおろか、社会人としての経験も無い、右も左も分からないレベルの教師がほとんどだからです。1500人の根拠も不明だし、100%の確率で税金の無駄使いになるでしょう。「ネイティブ講師=まともな英語教師」という思い込みにはあきれますね。

私が指導している高校生で、英語が苦手な子がいるのですが、最近和訳の宿題を出して提出を求めると、すごく嫌がります。MOUTHBIRDさんのおっしゃるとうりです。頭を悩ませています。去年も同様の子を教えていました。その子は国語も苦手でしたが、和訳の課題をきちんとこなし続けました。その結果、2年生のはじめ模試で200点中70点だったものが、センター本番では154点に上がりました。

彼女はALL ENGLISHでの授業方法を研究する文科省の研究指定校へ通っていたので、入学時から地獄でした。もし、僕が指導していなかったら、彼女の人生は大きくくるっていたでしょう。小学校の英語教育導入にはじまり、役人のやっていることは英語難民を増やしているだけです。これが、もっと増えると思うとぞっとします。

>清水恭宏さん
大学生がオールイングリッシュで不可能なのですから、高校生ならなおのこと難しいはずです。大学の教材が中学英語なら、高等学校の英語教育はどうなっているでしょうね。というか、今年から某公立高校の1年の姪を教えていますが、アルファベットを書くところから始まっています。もちろんその次で、be動詞と一般動詞、三単現のS、と続きます。中学校の最初の学習が身についていないわけです。

国語力の低下も英語力の低下につながっているのかもしれません。
大津由紀雄先生いいいですね~現場を知っていらっしゃると思います。(昨年引退されたはず) 頼みごとで1度研究室にメールを出したことがあります。返事はなかったですけど。

英語が苦手な人は、和訳練習が絶対に必要だと思います。英語の苦手な人ほど必要なのですが、苦手な人ほどやりたがらない傾向があります。だから、そのままなら苦手な人はいつまでたっても苦手なまま。まして、英語で英語の授業になったら、、、、どうなるんでしょうかね…。

ある地元の私立大学で今年から教えることになった、知人のオーストラリア人の先生と先日話していたところ、大学側からは「ALL ENGLISH」でお願いされたらしいですが、最初の授業を始めてすぐ、それは不可能だと悟り、日本語を使いことにしたそうです。生徒の反応が、「ええ(驚)全部英語でするの?」といった感じで、パニック状態だったらしいです。そもそも中学レベルの文法もきちんと理解していないレベルの子が集まっているのですから、当然だと思いますが。

英語教材関係の方とお話すると、一番大学で売れるのはREMEDIAL TEXTBOOKSだそうです。「やり直し教材」と言うよりは響きはましですが、まさに中学英語の基礎から学び直すという趣旨のものです。「英語の授業を英語で」やるということになると、こういった教材はますます売れるのでしょうね。洋書の全部英語で書いているテキストは本当に売れない、と嘆いています。

今中学生も教えているのですが、とにかく日本語がひどい状態です。SUNSHINEという教科書を使っているのですが、巻末のREADING教材の下に単語の意味が載っています。GIVE AND TAKE 「相互補助」と書いてあるのを「あいごほじょ」と読むありさまです。

私は、中学生・高校生には和訳を徹底的にさせる方針にしています。なぜなら、そうしないと国語力も崩壊していくからです。意味のまとまりごとに、英語の語順どうりに頭から読んでいくフレーズリーディングだけを行っても、日本語の助詞の使い方がいい加減なので、きちんとした日本語訳を最終的に書かてみないと、英文の内容が理解できない子が沢山いるからです。

日本語を使って授業してもこういった現状です。英会話ごっこする暇があったら国語の作文の時間に使ってほしい、というのが正直なところです。

最近「危機に立つ日本の英語教育」という本を読みました。慶応の大津由紀雄先生が編集しているのですが、現実をきちんと見据えた議論がなされていて、納得できます。もちろん高校の新学習指導要領にも反対の立場で触れています。

>清水恭宏さん
鳥飼さんのご意見提示ありがとうございます。鳥飼さんのおっしゃるとおり、と思いました。

>「英語を話せるだけのネイティブ」を税金でALTとして雇って、学校で英会話ごっこレベルのことをやっても効果は全く上がっていない。
概ねおっしゃるとおりだと思います。問題はまさにここだと思います。偉い人はここを「失敗」と認めないのです。失敗と認めると自分の判断で大人数に大迷惑をかけたことになるからです。したがって、今後も大人数に大迷惑をかけ続けることになります。いい加減にして欲しいですが、改善はされないでしょう。偉い人たちは「失敗」と認めませんから。

>英語漬けの教育を行っている大学として、秋田教養大学という所があります。カリキュラムが厳しいので4年間で卒業できる生徒は少ないそうです。
そんな大学があるのですね。そこに行こうと思う人は英語が好きな人ばかりではないでしょうか? 私なら死んでも行かないですね。 ●「英語好きばかりがいる大学」で「英語漬け」で「4年間で卒業できる生徒は少ない」
これが現実だと思います。
>富山県に公立の富山外国語専門学校というスクールがあります。高校時代は、国立大学に入学できる学力が無い生徒も沢山いますが、2年間で英検準一級の取得を目指し、大学へ編入する
これも、ここを希望する人に英語嫌いはいないと思います。英語好きの人たちが英語ばかりやって2年間で英検準一級…これが現実だと思います。

 ●英語好きが集まる大学や専門学校ではなく、「英語嫌いも沢山いる普通の高校」で「英語の授業は英語のみ」…まともにやって3年で卒業できるんでしょうか? しかし普通は無理にでも卒業させるでしょうから、習熟率は推して知るべしだと思います。今より悪くなる、というのが私の予測です。

 これで本当に英語は普及するんでしょうか?
私は普及させたくないので、その意味では願ったりかなったりです。ですが、英語で授業をやらされる英語嫌いの生徒が不憫でなりません。

-コミュニケーション重視か文法・訳読重視か。鳥飼さんはどちらの立場ですか。
鳥飼さんの話ができてきたので、あるインタビュー記事の彼女のコメントを引用したいと思います。

(鳥飼)「どちらも正しいんです。『コミュニケーションが大事』というのも『読み書きを重視しないとだめ』というのもその通りです。ですがいまの子どもたちはどちらもできなくなっている。もう論争はやめて、両方出来るような、しかも日本人の特性に合った、最大限の効果を出すような教育方法をみなさんで考えませんか、と言いたいですね。ある程度の基礎力を身につけたら学校教育としては使命を果たしたと思っていいのでは。あとは本人の努力です。」

最後の、ある程度の基礎力を身につけたら学校教育の使命は終わりであとは本人の努力です、という部分が大切なんだと思います。現状は、「英語を話せるだけのネイティブ」を税金でALTとして雇って、学校で英会話ごっこレベルのことをやっても効果は全く上がっていない。プラス、高校生でも3単現のSのルールが定着しないほど、読み書きのレベルも落ちている。現実的に英語を英語で授業するのは、それを自ら求める生徒を少数精鋭で大学レベルでやれば良いだけの話だと思います。鳥飼さんの真意はそこにあるのでは?と思います。

英語漬けの教育を行っている大学として、秋田教養大学という所があります。カリキュラムが厳しいので4年間で卒業できる生徒は少ないそうです。でも就職率が抜群だそうです。富山県に公立の富山外国語専門学校というスクールがあります。高校時代は、国立大学に入学できる学力が無い生徒も沢山いますが、2年間で英検準一級の取得を目指し、大学へ編入する子も沢山います。つまり、英語を英語で、という授業は高校卒業後からでも十分に間に合うし、高校の役割は将来の進路選択に対応できる基礎力の養成で良いのです。

この議論はもっと多くの方とやってみたいですね。

>清水恭宏さん
そういや、鳥飼さんは、小学校英語反対派でしたね。高校での英語のみの英語授業にも反対していらっしゃるとは知りませんでした。> その知識と努力の蓄積は全く水の泡になってしまいました。
これはすさまじくひどい問題ですね。え? 英語素人の小学校の先生が今の中学1年次ぐらいの英語を教えるの? 不安だらけですねえ(私の知人で、英語が苦手で大嫌いな小学校教師がいます。彼はどうなるんだろう?)
基本は教師のサボタージュが有効なのかもしれない、と思うようになりました。少なくとも英語は日本語で教えるべきだと思います。大勢の日本人にとっては。

小学校での英語教育導入にしろ、高校の英語教育にしろ、アドバルーンを掲げている人たちは英語教育の素人か、自分が英語が話せないコンプレックスのかたまりのような人ばかりだと思います。逆に慎重論(反対論)を唱えている人の中には、鳥飼玖美子さんのような英語の達人が多いというのは何を意味しているのでしょうか。英語が本当にできる人ほど語学学習の大変さが分かっているということではないでしょうか。だから、非現実的な文科省の英語政策に異を唱えるのです。役人って本当に勝手ですね。民間なら結果が出せなければ責任を問われて首になるのですが、「言うだけ番長」で高給を稼ぐ税金泥棒ですから。私はかつて金沢市の文科省英語研究開発指定校の小学校で4年間講師をしていました。小学校の発達段階に合ったカリキュラムを必死で先生方は模索していました。私はそれを支持していました。しかし、金沢市が文科省の英語教育特区に指定されると、その知識と努力の蓄積は全く水の泡になってしまいました。なんと、単純に中学校の教科書を前倒しするという短絡的な発想に行き着いてしまったからです。それなら小学校から英語をする必要な全くありません。英語素人の小学校の先生が教えれば、英語嫌いを大量に作るだけです。財源、実効性、カリキュラム、教員指導カリキュラム =これらのシュミレーションが全くできていない、これが日本の英語教育の現実です。皮肉にも文科省がナンセンスなことをすればするほど、私たちは忙しくなりますね。複雑な気持ちになってしまいます。

>清水恭宏さん
お書きになったコメントが英会話スクールの方の御意見、というところが素晴らしいと思います。
現状の把握分析ありがとうございます。概ねそのとおりであると私も思います。
(大変たくさん書いてくださった割に少なめのお返事になります。申し訳ありません)

<問題の構造>は↓こうなっていると思います。
(1)「~が当然」「~が良いに決まってる」
という発想で、お偉方が方針を決める
(2)●現場は「ちっとも良くない」ことを体感する
(3)あきらかな「失敗」と認める【指標】がないので、お偉方は絶対に「失敗」とは認めない。
(4)●現場は苦しみまくる
(5)お偉方は苦しまない。むしろ「ある程度の成果はあった」とあたかも「成功であった」かの如く誇る。成功なんだから責任を取る訳がない。

別に英語教育に限らず、「あらゆる面」でこのような変遷をたどっていると思います。


「英語での英語の授業」は、まず「高校によって」ばらつく、と思っています。英語で英語の授業をするところもあれば、無視するところも出てくる。その後、このシステムがどうなるか私には予測がつきません。

ただ、「英語が嫌いになる生徒がまずます増加することだけは確か」だと思います。何言ってるかわかりませんから。

今週のコメントもなかなか痛烈ですね。全く同感です。政治家や官僚の世界には無責任体質がはびこっています。「ゆとり教育」がまさに良い例でしょう。教科書は今年から厚くなりました。でも、「ゆとり教育」は間違いだったとは誰も認めようとしません。総括も反省もない中でコロコロ政策を変えても、生徒も先生も振り回されるだけです。高校も英語教育もきっと同じ結論になるのでしょう。90%以上の確率で失敗するが、誰も責任を取らない。英語を英語で教えるのは当然だというような議論において欠落している視点が多くあります。

1.オランダや北欧など、英語と同じ言語ファミリーに属している国の英語教育と比較しても全く参考になりません。そういった国では英語を英語で教えるのはたやすいはずです。

2.日常レベルで英語が普及している国では、英語が英語で教授されている。逆に言うと、これらの国は自らの国語(多言語社会なので)だけで国が統治できない、もしくはかつて植民地だったからそうしているのであって、誇れるべき状況ではないのです。私たちは日本語に誇りを持つべきなのですが、政治家も含めあまりにも不必要なカタカナの乱発が目立ちます。きっと英語コンプレックスの裏返しなのでしょう。

3.「日本人は読み書きはできるが」話せないという迷信がこの政策の前提にあるようです。3単現のSが分からない生徒が多い現状が示しているように、大学を卒業しても読み書きさえもできない状況にあるという認識の欠如があります。

4.「英語を話す」ことよりも「英語で話す」という視点が全く抜けています。つまり日本語でさえ、論理的に意見が述べられない高校生に英語を英語で教えるのは論理の飛躍です。教科書に書いてある内容について、日本語で要約ができたり、意見が述べられるように、まずすべきです。この段階が本当の意味で読解と言えるのでしょう。現実はセンテンスレベルの主語、動詞の把握もできない生徒が多いので、日本語で授業したとしても三年間で、そこまで到達するのは難しい、それが現状ではないでしょうか。さもなければ、内容の無い旅行英会話レベルのものしかできないでしょう。(個人的には全く無意味なので私はそんなレッスンは今していませんが)

教育委員会の査察が無い限り、日本語で授業していても別に親は文句言わないでしょう。だって大学受験の方が大切ですから。赤信号みんなで渡れば怖くない、というようにこの場合は現場の先生方がボイコットすべきです。それが日本の英語教育の崩壊を止める唯一の方法です。