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苦手なりの受験英語

 

2009年6月 4日

受験英語:良くある質問とその返事の【ひどさ】(4)

受験英語:良くある質問とその返事の【ひどさ】


NHKでやっていた【中学生日記◇スタジオに「英語なんて大嫌い!」という中学生が集まり、本音を語り合う。】という番組で、私が頭に来たシーンを紹介します(その2)。


【番組での質問・その2】
中規模のホワイトボードのような場所に「英語は難しい」と書かれたカードが貼り付けられている


【司会者の発言】
・「そういうふうに考えるから難しいんだよ~。そんな身構えるなよ~気楽に考えればいいんだよ~(^^)」


【司会者の行動】
そのカードを引っ剥がし、投げ捨てる。そして次のような趣旨のことを言う→「はい、これで英語は難しくなりました。よろしいですね。納得していただければ拍手をお願いします(^^)。
会場で鳴り響く拍手。


この返事の私の見解ここがひどい!
じゃあ、てめえ、数学や物理を身構えずに「気楽に」考えてみやがれ! そうしたら数学や物理は簡単になるのか?


私の見解
たまたま、英語が上手く理解「できる人」、と「できない人」がいるだけだ! たまたま、数学や物理がが上手く理解「できる人」、と「できない人」がいるだけだ! 世の中には数学や物理を簡単に解く人たちだっているのさ! 信じられないのか? でも数学や物理を簡単に解く人はあなたの周りにいたはずだ。 個人差ってやつだよ! 得意不得意には個人差があるだろうに。まさかそれも納得しないのか? お前らはたまたま「英語が上手く理解できた」んだよ。それを「万人に」押し付けるな! 


「英語は難しい」ってカードを投げ捨てたら、英語の難しさは変わるのか? どこの未開の地の呪術だ? これが効くなら、「世の中の難しいものなど全てなくなる」よなあ~(嘲笑)。 そんなわけなだろうがっ! フザケンジャネーッ!(激怒) 


ちなみに、この「拍手」を強要するする場面において、私は1つの「興味深い部分」に気がついた。
・番組では「英語が苦手な中学生たち」が向かって左側に座っていた。中央に司会者が立っていた。右側には「英語は得意な中学生たち」が座っていた。
・司会者が「拍手を強要」したシーンで、「英語が苦手な中学生たち」はどのように拍手をするのか?…これについて私は注意深く観察した。
司会者に一番近い場所に座っていた英語が苦手な1人の女の子は「明らかに」拍手をしていなかった


彼女はなぜ拍手をしなかったのだろうか? 


彼女は司会者の言動をどう思ったのだろうか? この番組自体をどう思っただろうか? 英語の得意な人たちの意見は彼女の耳にすんなり入っただろうか? この番組のあと彼女は「英語をやさしく感じ、英語が得意になる」だろうか?


ぜひ皆さんにも考えて欲しい。


ちなみに、私が彼女の立場ならこういう感想になる。→「この番組のおかげで、私はかえって英語を難しく感じるようになった。ますます英語が嫌いになった。だって納得できる要素が1つもないから。彼らが提案してくれた方法など、とっくの昔に経験済みだ。得意な人にとってはそれらは「薬」なのかも知れない。しかし私にとっては「猛毒」だった。既にものすごく苦しんでいる私に、彼らは猛毒を“ニコニコしながら”「よく効くよ~^^♪」って感じで、処方しようと試みているのだお前はどこの悪魔だ!?


だからは私は激怒しているのである。病人に猛毒をよこした人間に対し、拍手などできるわけがないだろうに!


明日はいつもの文法放送。この続きは月曜日です。


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Comments

>Dr.Sさん
受験英語を悪とするような風潮は確かにありますね。戦前は「英語をしゃべる」意識は弱く「読み書き」が中心でした。戦後は逆に「しゃべろうとする」意識が徐々に増えていったように思います。しかし受験英語は相変わらず「読み書き」中心のままですね。特に「読む」ほうは恐ろしく変化を遂げているように思います。長文問題は恐ろしく長くなっています。伊藤師たちが作り上げた文法による学習が「悪」とされ、ないがしろにされつつあるのは嫌なことです。
ただ1つだけ言っておくと、ゲストの「光浦靖子(東京外語大出身・英語しゃべれる)」はきちんと「文法の大事さ」を言ってました。「文法の下地があるから私はしゃべれる」と。
もっとも、高校で文法の授業がなくなっている現在、どの程度文法の大事さが、中学、高校で教えられるのか、疑問だし、不安です。

マウスバード様
Dr. Sです。このようなことに関して、故伊藤和先先生による批判は、事欠かないですね。また(人のふんどしで相撲を取るようですが)、引用になりますが「予備校の英語」に興味ある一節がありました。少し長いですが、引用します。

 初学の王という地位を失った後の英語教育を、国際社会に対する閉鎖性をますます強めてゆく大正・昭和の社会の中で支え、その水準を維持したのは、善悪は別として入学試験であり、その谷間に咲いたあだ花が山崎貞・小野圭二代表される一連の英文解釈法であった。しかし、戦後にいたって情勢は一変した。滔々と流れ込む米国文化に直面し、米国との交流を深める中で、受験の英語とその学習法が諸悪の根源として片隅に追いやられ、もっぱら話し各能力の必要性が強調されるに至ったのは怪しむに足りない。しかし、必要性を強調することとある水準の目標を設定することとは別問題である。目標がないまま姿勢の善悪だけを論じているところに「正常英語」の欠陥があり、教育の大衆化に伴って生じる教育水準の果てしない低下に対し、なんら有効な防波堤たり得ぬ所に、その限界は示されているのではないだろうか。

このシリーズに関係することは、まだまだで出てくると思います。英語教育に携わる方々、英語教育に感心のある方々が、もう少し、故伊藤和夫先生の「遺言」をかみしめていただければよいのですが、他界されて12年以上が経過してこのていらくでは、期待薄ですね。