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苦手なりの受験英語

 

2011年12月 5日

勉強法。苦手な人へ・指導者へ(番外編)

(あまりに長文なので、番外編扱いで)


※某所で「私の体験上、英語嫌いに最も拍車がかかること」を「英語好きになるはずのこと」として書かれていた文章があった。私はこれに黙っていられない。なので、ここでそれについて書かせていただく。


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感想は個々人で異なり、けっして同じではない。


例えばネイティブと英会話体験をした時
 →快感だった人が→英語好きになる
 →不快だった人が→英語嫌いになる


『テーマ』
英米人と英会話をした時、誰でも嬉しく思うものなのか?


【状況】

(遅くとも)中学校で、あなたは「アメリカ人かイギリス人の先生と英会話の練習」をさせられたはずである。


教科書か何かで、例えば


A:How are you?
B:Fine, thank you. And you?
A:I'm fine.


という英文が載っていたとする。で、英語の授業でこれを覚えるように言われて、なんとか覚えたとする。そして授業で、「ネイティブの先生」がA、あなたがB(もしくはその逆)の役割で、お互いこの英語を言い合った。


↑このようなことを、あなたは中学ぐらいでさせられたはずである。この時、あなたはどう思っただろうか?


苦手な人へ
(全てとは言わないが)英語嫌いで苦手な人(主に偏差値40台以下の人)は、こういう「英会話練習」が嫌だったはずである。特に会話相手が「ネイティブ様」だったら、スーパー嫌だったはずである。


でも、英会話好きの英語の先生にとっては、逆である。英会話好きの先生にとってはなんと「ネイティブとの英会話はスーパー楽しい体験」なのだ。そして彼らはそれを我々「英語嫌い」にも当てはめる。彼らは「ネイティブとの英会話は【誰にとっても】楽しい経験である」と認識している。彼らはどうあっても「そうではない人もいる」とは思えないらしいのだ。


残念だが「我慢するしかない」ようだ。彼らは死んでも「そうではない人もいる」とは思えない生物らしい。少なくとも私は彼らを「そうかもしれない」と思わせることに成功したことがない。


彼らは口では「コミュニケーションが大事。相手の言っていることを理解することが大事だ」と言っておきながら、「(我々)英語嫌いが言っていることを理解した」...という出来事を私は1つも知らない。要するに「欺瞞の塊」である。


 彼らは「自分の嬉しい体験」は、同じことをすれば「だれもが嬉しい体験と思うはずだ」と固く信じており、別のように感じる人もいる、とはなぜか思ってくれない。どうやらそういう生物らしい。


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指導者へ
指導者の皆さん。
あなたは↑このような「ネイティブとの英会話練習」の時、例えば↓このように思ったのではなかろうか?


・ネイティブの先生と意志が通じた体験ができたー
・なんか嬉しい(#^.^#)♪


 そして、指導者のみなさんの場合は


・このようなネイティブとの会話体験が楽しい、もっとこの体験を味わいたいなー


と思った。そして


このようなネイティブとの楽しい意志が通じた会話体験は【誰でも】味わえる。英語が嫌いな人はこの体験が少ないから、もしくは、早くから体験していないから、英語が嫌いなのでは?


...と思っているのではないか?


 もしもそうであればそれは「完全な思い違い」である。少なくとも「私」には全く当てはまらない。英語が嫌いな人ほど当てはまらないのではないかと私は思う。しかし、あなたはこれを「思い違い」とは思わないはずである。


 以下で私の体験を書くが、おそらくあなたには「ピン」と来ないはずである。もしかしたら以下の私の体験を「嘘」である、とさえ思うのではないかと思う。


 今回は「怒り」で黙っていられなかったので、以下は駄文になってしまった。次回はここを上手く書ければいいなあ...と思っている。


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マウスバードのケース


以下を考えて欲しい。


劇で、


A:ご機嫌いかが?
B:いいよ. あなたは?
A:うん。いいよ。


というセリフがあったとする。で、学芸会の劇でこれを覚えるように言われて、なんとか覚えたとする。そして劇で、「生徒の1人」がA、あなたがB(もしくはその逆)の役割で、お互いこのセリフを言い合った。


あなたは↑この時、例えば↓このように思うだろうか?


・生徒の1人と意志が通じた体験ができたー
・なんか嬉しい(#^.^#)♪


英語の指導者は↑こう思うものなのだろうか?
しかし少なくとも私はそうは思えない。


私には↓こう思える。


・そもそも「意志が通じている」とは思えない。「あらかじめ決まったセリフ」を覚え、それを言っただけ。
・もちろん、嬉しくともなんとも思わない。
・嬉しいとすればそれはせいぜい「セリフを間違えずに言えた。ああ良かった」というもの。


↑これと全く同じ感想が、「私が中学のとき、ネイティブの先生と無理やり『AとBの英会話』をやらされた時の、私の感想」である。『ネイティブの先生とAとBの英会話体験?』と『この演劇の話』ではどこがどう違うのであろうか? 「相手がネイティブの場合&英語」だと「意志が通じたことになる」のだろうか? 私には同じに思えるのだが。


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 私の中学は特殊で、英語、とりわけ『英会話』に力をいれた学校であった。英語の授業は毎日(週6コマ)あり、そのうち半分(3コマ)は『英会話』の授業であった。テキストはなんとNHKラジオ講座・基礎英語(中1)・続基礎英語(中2)・英会話(中3)であった。つまり、出ている英文は「AとBの会話」みたいなもの【しか】なかった。授業では必ずネイティブの先生が加わっていた。そしてよくこのネイティブ先生と会話練習をさせられたのだ。


私はこの英会話の授業が大嫌いだった。中学のとき1番嫌いな授業だった。この授業ではよく、ネイティブの先生と会話練習をさせられたのだが、それが1番苦痛だった。


 だいたい私は「たった【1文】の英語を覚えるだけ」で精一杯であった。しかし授業では少なくとも「A、B、A、B」 と【4つ】は英文があり、私がこの【4つ】を全て覚えられたことはまずなかった。しかし授業では「テキストを見ずに」この AとBの会話練習をさせられ、みんな前で「発表」のようなことをさせられた。このとき私はだいたい「どこかで英語を間違って言ってしまう」か、「覚えきれなくて言えずに恥をかく結果」になった。


 奇跡的に課題の(最低4つの)英文をなんとか全部覚え、【ネイティブの先生相手に間違えなく言えた】場合、この場合の私の感想があなたにわかるだろうか?


絶対に↓
「ネイティブと意志が通じた~わーい嬉しい(#^.^#)」
...ではなかった。そんなことは微塵も思わなかった。


私の感想は
「あ~良かった。間違えずに英文を言えた」
...のみである。間違えずに言えることが奇跡だったからでもある。


それももちろんだが、私には「え~~~意志が通じた? え~~? 決められたセリフを言い合っただけでしょ?」としか思えなかった。


 しかしこの間、ある英語好きと思われる人物は、これを「『ネイティブと意志が通じた』と認識している」ということが分かった。私はこれにかなり愕然とした。ちなみに、我が母(母はドイツ語が話せる)にもこれを聞いたところ、母もこれを「意志が通じた」と認識していることが分かった。(だからこれを書いている。もしかしたら、英語好きはみな同様に感じるのではないかと思ったからである)


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 それから、「AとBの会話の練習相手」がネイティブと友人(日本人)もどちらの場合が、私にとって嬉しかったか? これも良ければ考えて欲しい。


どうやら、英語好きの多くは「ネイティブに決まっているだろう」と思うようだ。これにも私は愕然とした。私にとっては「友人(日本人)に決まっている」からだ。私の場合、ネイティブよりも隣の席の友人(当然日本人)の場合が圧倒的に嬉しかった。


理由
練習相手(友人)は私を「こいつの場合は英語を言えなくてもしょうがないな」と思ってくれたから。(なお、私は現在でも当時の私の隣の席の友人にはとても悪かったと思っている) しかし相手がネイティブ様の場合そうはいかない。「ネイティブ様の顔」は、「こいつは英語を覚える気がない奴だ」という感じにしか、私には思えなかった。私だって恥をかきたくなかった。だから「必死に課題の英文を覚えよう」としていたし、ネイティブさんに迷惑をかけたくなかった。しかし、ネイティブさんは私に対して「そうは思っていない顔」をしていた。少なくとも私にはそう思えた。でも、私はこのネイティブ様と英会話練習を授業で何度かしなければならなかった。そしてネイティブ様に迷惑をかけた。


 私は「おなさけ」でネイティブ様と会話をした。意志の疎通? そんなものあるわけがない。たとえ正確に英語を言えたとしてもだ。覚えたセリフをたまたま間違えずに言えただけだ。大体は「つっかえつっかえ言って」、先生方とネイティブ様と友人たちの失笑を買うだけの実に苦しい体験だった。(それが意志の疎通? ちゃんちゃらおかしい。だって決まった「セリフ」を言うだけなのだから)


 だから私は中学の英語の授業で「ネイティブとの英会話?の体験?」が【超ウルトラハイパー不快】であった。中学時代でさせられたもっとも嫌な体験の1つはまさに「ネイティブとの英会話?の体験?」にほかならない。「恥をかかされたうえ、周りに迷惑をかける苦しいだけ体験」にほかならなかった。私の中学時代にはこの授業が週に3回もあった。私の「英語嫌い」はまさにここ(「ネイティブとの英会話体験」)に1番の原因があるのかもしれない。


 にもかかわらず、某所に「ネイティブと英会話体験をしないと良さは伝わらない。だから指導者は早くネイティブと英会話体験させるべきで、そうしないから英語嫌いが生まれる」などと書かれていた。これを見たとき私は唖然とした。


冗談ではない!!!!


「私が英語嫌いに最も拍車がかかったこと」を「英語好きになるはずだ」と思われて、黙っていられるものかっ!!!


感想は個々人で異なり、けっして同じではない。


例えばネイティブと英会話体験をした時
 →快感だった人が→英語好きになる
 →不快だった人が→英語嫌いになる
のだ。


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今週の金曜日は文法放送。この続きは来週の月曜日です。


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