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苦手なりの受験英語

 

2011年12月26日

勉強法。苦手な人へ・指導者へ(5)

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・苦手な人にはきめ細かい指示と先生が必要


テーマ
その指示は具体的か?(その2)


苦手な人へ
あまりに苦手なあなたは、英語の先生から、あなたような苦手な人だけに「特別に指示をもらう」場合がある。
例えば
・「これをやりなさい」といった参考書などの課題が与えられる。
・「この英文を暗記しなさい」といったものを与えられる。
といった具合である。
(その「質」や「量」については次回の話題に回す。今回はその【方法】を考える)


例えば、何か薄い副読本を与えれたとする。「これは、易しい本だから、音読しながら訳しなさい」とでも指示されたとする。


英語が苦手なあなたなら、まず、この段階で「ぽかーん」となるはずである。


【理由】
・英語が苦手な人は「アルファベットが大量に並ぶ英文」を見たくない
 (→やる気が削がれる)
・仮に見たとしても、1行目から「読み方が分からない」英文が並ぶ。
 (→音読ができない)
・訳例を作ろうにも、大抵1行目から「自信がない」
 (→自分が作った訳があっている自信が全くない。だから不安でつまらない。ますます英語が嫌いになる)


だからほおって置いたら「死んでもやらない」のである。私なら、友人のノートを借りて写して終わりである。今の時代なら、ネットの自動翻訳の世話を借りる。


全く無意味。しかし英語の先生にしてみれば「私はちゃんと苦手な人に的確な指示を出した。やらないお前らが悪い」というわけだ。


仮に、こういう課題が出されたら、もしやるつもりなならば、【簡単な解決法】がある。
こういう課題を手伝ってくれる(塾などの)先生を見つけて、協力してもらうのだ。
そうしてやっと「意味があるもの」になる。


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指導者へ


指導者の中には、自分が「適切だ」と思う参考書を苦手な人に渡して、「私は具体的な指示を出した」と言い張る人がいる。
ところどっこい、これは苦手な人にとっては「ちっとも具体的ではない」のだ。


 何度も悪いが「数学に置き換えて」みよう。


仮にあなたが、数学の先生から
「これは易しい数学問題集だ。そんなに厚くないから全部やるように」
とでも指示を受けたとする。まず次のようになると思う。


数学が苦手なあなたなら、まず、この段階で「ぽかーん」となるはずである。


【理由】
・数学が苦手な人は「数式が大量に並ぶ問題文」を見たくない。
 (→やる気が削がれる)
・仮に見たとしても、1問目から「意味が分からない」数式が並ぶ。
 (→数式の意味が分からない)
・問題を解こうにも、大抵1問目から「自信がない」
 (→自分が作った答えがあっている自信が全くない。だから不安でつまらない。ますます数学が嫌いになる)


こうなるはずだ。もしかしたら「中学高校時代にこうした経験を持った英語の先生」があなたではないか? しかしその先生は英語で苦手な人に「同様なことをしている」場合があるのだ。どんな優れた英語の参考書を苦手な人に与えたとしても、そのままではまず英語の苦手な人はそれをやらないのだ。


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マウスバードの一言


まず、私の主張として「英語の苦手な人には、塾などの先生が必要」というものがある。例えば
学校から何か例えば、何か薄い副読本を与えれたとする。「これは、易しい本だから、音読しながら訳しなさい」とでも指示されたとする。


塾などの先生がいれば
・「アルファベットが大量に並ぶ英文」を見たくないが、見ざるをえない
・1行目から「読み方が分からない」英文が並ぶが、読み方を教えてくれる。
・1行目から「訳例に自信がない」はずだが、違っていれば先生が直してくれる。合ってればお墨付きをくれる。
という具合になるはずである。


ただこれだけではまだまだ不十分だ。【勉強ノートの作り方】を彼らは知らない。
・ノートの左ページに英文を(コピーして)貼る
・ノートの右ページにその訳例を自分なりに【1行おきに】書く
・その自分の訳例を、先生と一緒に直していく
といった【具体的な指示】が必要だ。これでも不安なぐらいだ。本当なら私が昔作ったノートをサンプルで提示したいぐらいだ。


また「ものすごく手間と時間がかかる」ことも伝えなければならない。だからこそ「先生が居ない」と、どんな優れた参考書もやるわけがないのだ。


このテーマには「質」と「量」の話をまだしなければならない。それは次回に。


今週の文法放送はお休み。この続きは来週の月曜日(新年)です。
それでは良いお年を!


(↓目次はこちら)
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Comments

>Nyさん
こちらにもどうもありがとうございます。(何度も書きますが、インフルエンザで倒れてました。すみません)


> 分からない事、できない事 → つまらない
> 分かる事、できる事     → おもしろい


はい、その通りだと思います。


>そんなに「アンチ文法主義」でも無かったような気がします。
羨ましい。


> マウスバード先生の周りの皆さんはどうな感じでしたでしょうか。洋楽なんて、2年生のとき先生が一度、余興でテープを流してくれただけです。歌詞のプリントが配られましたが、もちろん「さあ歌いましょう♪」なんてKYなことは言いませんでした。いずれにしても私は、いい先生に恵まれたと思っています。若くて優しくてキレイな女性の先生ばかりだったからです(笑)。
英会話ばかりやらされました。英文を覚えないと授業でしゃべれないのです。何度必死になって覚えようとしても覚えられず、地獄の連続でした。
NHK基礎英語(授業科目であった)には必ず、英語で歌を歌うコーナーがありました。もちろん私は覚えられず、恥をかきまくりの日々でした。
私もNyさんと同じ環境だったらよかったなあ。


> 洋楽なんか押しつけられません。もっと予備校的な感じで、文法的な説明を1つ1つカチッ、カチッと地道に積み上げていくタイプの指導です。5文型なんか、そりゃもう、口酸っぱく叩きこまれました。読解は、故・伊藤和夫氏の直読直解のように英文を前から前から汲み取っていくタイプの教え方と、精読とでもいいましょうか、カッコで括ったり、どこがどこに掛ると説明したりする教え方を、両立させてるようなやり方でした。
私の浪人時代のようですね。私もNyさんと同じような授業が高校生活であったなら、もしかしたら落ちこぼれなかったと思います(わかりませんけどね^^;)。


> 英語経歴なので、私の中で「英語が分かる状態」とは「文法的に説明が付いて納得がいってる状態」とイコールでしたが、英語が超得意な人は文法すら必要ないというマウスバード先生の話を聞いて、非常に驚きました。ていうか、最初は「うっそ~ん!」と疑ってました(笑)。
私も、大学の英語部に入るまで「うそ~ん」でしたよ。私が文法の話をすると彼らは逃げ出しましたから。信じられませんでしたよ。


> 自分が既に読める・書ける・話せる状態になっている構文や表現を改めて文法的にメスを入れると、これまで気にも留めていなかったことがあちこち気になり始めます。
Nyさんは私よりは、少ない文法力で良い人だと思いました。しかし平均的な英語ができるとの中では文法が必要な量が多い人とも思いました。こういうのを気にならない人は、たとえ文法の裏付けを知っても気にならないものです。


> 文法的な視点だけでなく、「息遣い的にナチュラルか否か」みたいなものも見えてきました。
> 要は、英語ネイティブにとって、personとwhoを離したくないんですよね。その気持ちが分かってきたから、「まーいっか、許してやる」、と(笑)。
ここは「音読訓練した後の私」なら理解できるところです。私みたいのでもわかるのですから、音読は素晴らしい練習方法だと私は思っています。


> 文法的な論理的納得感よりも、こういうその他の要素による納得感のほうが著しく大きい人が、きっと文法不要論を唱えるんでしょうね。
はい。まさにそうだと思います。


> 國弘正雄氏も言ってるように、「英文法は、本人が必要だと思う分量だけをやればいい。」というところに尽きると思います。
はい。全く持ってそのとおりだと思います。これに同意しない人が如何に多いことか。同意しない人ばかりいるので「文法必要派と不要派の対立」があちこちで見受けられているのです。


> 私は文法オタクなので、これからも誰の目も気にせず文法オタクの道を究めようと思います(笑)。
自分の英語力を上げるのならば必要だと思います。頑張ってください! それでは!

マウスバード先生、こんにちは。
お返事ありがとうございます。

>英語嫌いは英文に目を背け、英語好きは逆に英文に向かう…というページはこれですね。
>/beginner/article/mouthbird/2005/07/post_6.html

そうです、まさにそのページです!!


>読み飛ばさないあなたの感覚が私にはわからず、信じられないのです。

私も昔(学生~社会人になりたての頃まで)は読み飛ばしていました。読むようになった理由はいくつかありますが、簡単な話です。

勉強を続けているうちに、以前に比べて文法力や語彙力がUPしてきて、理解できない英文がほぼ無くなってきたためです。少なくとも、辞書を用意すれば(ほぼ)必ず読める。

なので、

 分からない事、できない事 → つまらない
 分かる事、できる事     → おもしろい

という単純な方程式のとおり、だんだんと英文に目を通すのが苦痛じゃなくなってきて、やがては面白くなってきたのです。

何だってそうだと思います。
テニス、スキー、料理、ゴルフ、車の運転、そして仕事に勉強。
得意で周りからも褒められるけど嫌い・・・ってのは、滅多にないような気がします。逆に苦手なものは嫌いになります。何回トライしても転倒してばかりだったらスキーも嫌になりますし、車庫入れの度に毎回壁にこすっていたら車の運転が憂鬱になります。

私の場合、マウスバード先生と違って、ごく普通の公立の中学を出て、その後は私立高校(そこそこの進学校)に進みました。中学時代ともなると、授業風景の記憶がかなりアヤフヤになるのですが、そんなに「アンチ文法主義」でも無かったような気がします。マウスバード先生の周りの皆さんはどうな感じでしたでしょうか。洋楽なんて、2年生のとき先生が一度、余興でテープを流してくれただけです。歌詞のプリントが配られましたが、もちろん「さあ歌いましょう♪」なんてKYなことは言いませんでした。いずれにしても私は、いい先生に恵まれたと思っています。若くて優しくてキレイな女性の先生ばかりだったからです(笑)。

高校のほうは、英語に力を入れている学校で、これもいい先生方に恵まれました。今度は男子校なので全員男性教師ですが、今風な言い方をすれば「教師力」の高い方々が多かったです。この高校が英語に力を入れていると言っても、決して英語部のノリではありません。洋楽なんか押しつけられません。もっと予備校的な感じで、文法的な説明を1つ1つカチッ、カチッと地道に積み上げていくタイプの指導です。5文型なんか、そりゃもう、口酸っぱく叩きこまれました。読解は、故・伊藤和夫氏の直読直解のように英文を前から前から汲み取っていくタイプの教え方と、精読とでもいいましょうか、カッコで括ったり、どこがどこに掛ると説明したりする教え方を、両立させてるようなやり方でした。

そんな英語経歴なので、私の中で「英語が分かる状態」とは「文法的に説明が付いて納得がいってる状態」とイコールでしたが、英語が超得意な人は文法すら必要ないというマウスバード先生の話を聞いて、非常に驚きました。ていうか、最初は「うっそ~ん!」と疑ってました(笑)。

が、今は少し分かる気もします。よくよく考えれば私にも、多少そういう部分があるからです。例の有名な命題
「これは間接疑問文か?関係詞か?」 について文法的に説明付けようとすると、頭がおかしくなって発狂しそうになるからです。苛立つのではなく、発狂しそうになります。

ゲシュタルト崩壊ってご存知ですか?
1つの漢字を30秒ぐらい じっっっっっっっっっ と凝視してると、
「あれ?そもそもこの字って、こんな形状だったっけ?」
と違和感を覚え、その漢字を認識できなくなってしまう現象です。

それと似てるんです。自分が既に読める・書ける・話せる状態になっている構文や表現を改めて文法的にメスを入れると、これまで気にも留めていなかったことがあちこち気になり始めます。そうなるともう、それが「気になる以前の自分」には戻れませんから、以前と同じように「無邪気に」そのフレーズや構文を使いこなせなくなってしまうんですね。

それから、こんなこともありました。
私は長いこと、以下の表現が分かりませんでした。

This is the place to which he wanted to go when he was very young.
(ここは、彼が幼少の頃に行きたいと思っていた場所です)

よくある、to which とか in which とか、関係代名詞の目的格の前に前置詞を付けるパターンです。

This is the place which he wanted to go to when he was very young.

なら文法的に分かるんですが、、to which って何やねん!\(`0´ )/=3
と、ずっと納得がいきませんでした。しかし、「この文気持ち悪いなあ、この文気持ち悪いなあ」と思いながら例文を何度もつぶやいているうちに、次第になんとなく、「まっ、これはこれでいっか」「うん、むしろ全然アリだな」と和解してしまいました。要は、前置詞は前置詞と言うぐらいだから「前に置く詞」なんですよね。それがあまりに引き離されると、何と言うか、苦しいんです。息が持たないんです。何度も何度もつぶやくと、文法的な視点だけでなく、「息遣い的にナチュラルか否か」みたいなものも見えてきました。

他にも、連鎖関係代名詞って言うんでしたっけ、

He is the man who I think was standing in flont of the station yesterday.

のような文も、これも最初は気持ち悪かったです。でも理屈は分からないまま口ずさんでいるうちに違和感がなくなってきました。最初は、I think wasとつながるところが気持ち悪くて仕方なかったのですが、要は、英語ネイティブにとって、personとwhoを離したくないんですよね。その気持ちが分かってきたから、「まーいっか、許してやる」、と(笑)。

文法的な論理的納得感よりも、こういうその他の要素による納得感のほうが著しく大きい人が、きっと文法不要論を唱えるんでしょうね。私は英文法大好き人間だと自認してきたのですが、上記のような「なんとなく分かるからOK」という一面も、若干あったみたいです。

國弘正雄氏も言ってるように、「英文法は、本人が必要だと思う分量だけをやればいい。」というところに尽きると思います。私は文法オタクなので、これからも誰の目も気にせず文法オタクの道を究めようと思います(笑)。

>Nyさん
こちらこそはじめまして。
私のこの連載をおもしろいと思って下さってありがとうございます。なるべく面白くしたいので、かなり嬉しく思います。

 長く続いているのは、英語に積年の恨みつらみがあるからでしょう。(最近「英語嫌って30年 英語嫌いの達人・マウスバード」というキャッチフレーズを考えました。30年分は恨みが貯まっているので、続けようと思えば30年は続けられると思います)


英語嫌いは英文に目を背け、英語好きは逆に英文に向かう…というページはこれですね。
/beginner/article/mouthbird/2005/07/post_6.html
これは私も好きなページです。
ここの内容は
 私の感覚的には⇒「全く自信がない」
しかし
 私が得意な人を観察した結果としては⇒「かなり自信がある」
 という意見でした。


 私はこの英文を「感覚的には」絶対に読み飛ばします。それはあなたが数式を読み飛ばしたの同じように読み飛ばします。読み飛ばさないあなたの感覚が私にはわからず、信じられないのです。
 ところが、長年、英語が出来る人を観察してきたら、英語が好きな人は「食いいるように見る・読む」ということが分かったのです。
 この記事は↑その経験を踏まえた内容でした。感覚的には自信がなかったので、この記事はかなり大丈夫かなあ…と不安に思いながら「思い切って書いた」ものです。Nyさんの印象に残った内容になったようで嬉しく思います。

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What is war? の御意見ありがとうございます。なるほどご指摘いただいた側面もあるとお思います。実を言うと「私自身、中3ぐらいのとき、 What is 〇〇? を「難しいな」と思った覚えがあります。 幸い 第2文型の説明をその後に受けて、それからは間違いにくくはなりました。

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数学ばかりの比喩はいまいちですかねー? 私もたまには体育の比喩を使います。が、「英語好きー」の人のマジョリティを考えますと、数学嫌いが体育嫌いよりも多いと思っています。だからどうしてもそっちを使ってしまいますね。

結局、同じような「嫌さを体感」しないと、嫌いさは分かってもらえないのです。とりあえず「置き換え」作戦で行きます。今のところ、これが一番有効そうに思えるからです。

今後ともよろしければどうぞ私の連載をお楽しみ下さい。

コメントありがとうございました。
m(_ _)m

はじめまして。
私は大学受験から離れて久しい、33歳(男性)です。
国内のメーカーで技術系の仕事をしています。

ネットサーフィンしていたらマウスバード先生のブログやこのalcのコラムを偶然見つけ、あまりの面白さに吸い込まれるように読んでしまいました。(まだ全部読み切れていませんが)

これだけの充実したコラムを2005年から現在まで継続して執筆なさっているようで、驚きました。
本当に脱帽の限りです!!

ちなみに私は、英語はさほど得意ではありませんが、好きか嫌いかで分類したら明らかに「好き」の部類の人間です。視界に英語が入った時に、英語好きの人は好んで目線を向けるか、英語嫌いの人は見なかったことにする・・・の説明は、目から鱗でした。たしかに私は英文部分は逃げずに(むしろ嬉々として)読んでたくせに、数式の部分はすっ飛ばしていました。「逃げてる罪悪感」すら感じることなく、自動的に数式を読み飛ばしてました。

会社の同僚には英語が苦手(というか、嫌い?)で苦しんでる方が多いので、先生のウェブサイトが彼らの気持ちの理解に役に立ちそうです。


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ところでマウスバード先生、いくつか疑問点が・・・

「What is war?」 が高校3年でも分からなかったとのことですが、これって普通に難しくないですか?日本語でも
「○○は何ですか?」 と
「○○とは何ですか?」では、微妙に意味が違いますよね。微妙だけど確実に意味が違うと思います。「とは」は、より根源的な説明を求めるときに使うような・・・

 A:「これは何ですか?」
 B:「これは時計ですよ。」(←まずここで一旦回答が出てる)
 A:「時計とは何ですか?」(←一度得た回答に対して再定義を求めている)
 B:「時計とは時刻を示す機械のことです。」

単に
"What is ○○?"  =   「○○は何ですか?」
という形で暗記していた人がWhat is war?に遭遇したら、

「ふむ、この訳は『戦争は何ですか?』か。いやいやこれでは変だぞ。うーん、『戦争はどれですか?』なら不自然じゃないんだけどなあ。あ、もしや、何戦争か尋ねているのかな?アヘン戦争とか百年戦争とか。『何戦争ですか?』よし、出来た♪」

という思考経路を辿る人がいても不思議ではないように感じました。

あともう1つ、先生はいつも英語との対比として数学を例に出されていますが、私は小中学時代、ずっと運動音痴でした。体育も、比較の例として是非お勧めです(笑)。それも陸上や水泳のような個人競技じゃなくて、サッカーやバスケのような球技(団体競技)が適していると思います。私のような運動音痴は、これら球技に対して、恨みにも似たような感情を持っているからです。30歳を超えた今でも、その恨みは鍋にこびりついた焦げのごとく、消える気配すらありません。会社の同僚に週末にフットサルやらないかと誘われたことが何度かありましたが、丁重にお断りしました。

そして恨みの極致はドッジボールです。ドッジボールを考案した人間を、今からでも遅くは無いので、裁判に掛けたい気分です(笑)。

人によっては、音楽の合唱なども、この種のトラウマになっているかしれません。いずれにしても、他の生徒の見てる前で継続的に恥をかかされ、しかも上達するためのメソッドを教師からちっとも提示して貰えなかった経験なら、何でも該当するのでは?と思います。

ついつい、いきなり長文になってしまい、申し訳ありません。
これからも、マウスバード先生のコラムを楽しみにしています。