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苦手なりの受験英語

 

2012年3月26日

勉強法。苦手な人へ・指導者へ(15)

・英語好きの教育者は理数系に恨みがあるのではないかと思えて仕方がない


テーマ
教育者側が勝手に洗脳していないか?


苦手な人へ


次の会話文を読んで欲しい。


ゆき   :マーティン、あなたの未来の予定はなんですか?
マーティン:うーんと、私は世界中を旅したいです。私はたくさんの国々訪れたいです。
ゆき   :それはかっこいい。ジュリーはどうですか?
ジュリー :私はフランスで美術の勉強をしたいです。私はモネのような偉大な芸術家になりたいです。
ゆき   :それは素晴らしい
ジュリー :リーはどう?
リー   :私は数学を学ぶために大学に行きたいです。私はコンピューターエンジニアになりたいです。
ゆき   :それは難しいように思えます。


あなたは、ゆきの感想をどう思うか?


(数学が得意で)英語が苦手な人(あなたかもしれない)は、最後に納得がいかなかったはずである。一部はたぶん「最後でゆきにむかついた」はずである。


ゆきにとっては
・世界中を旅するのはカッコよく
・数学を学んで大学に入ってコンピューターエンジニアになるのは「難しい」
らしい。


あなたは納得しないはずである。一部は「そんなことはない!」とむかついたはずである。


-----


指導者へ


次の会話文を読んで欲しい。


マウスバード:マーティン、あなたの未来の予定はなんですか?
マーティン :うーんと、私は数学を学ぶために大学に行きたいです。私はコンピューターエンジニアになりたいです。
マウスバード:それはかっこいい。ジュリーはどうですか?
ジュリー  :私はフランスで美術の勉強をしたいです。私はモネのような偉大な芸術家になりたいです。
マウスバード:それは素晴らしい
ジュリー  :リーはどう?
リー    :私は世界中を旅したいです。私はたくさんの国々訪れたいです。
マウスバード:それは難しいように思えます。


あなたは、マウスバードの感想をどう思うか?


(英語が得意で)数学が苦手な人(あなたかもしれない)は、最後に納得がいかなかったはずである。一部はたぶん「最後でマウスバードにむかついた」はずである。


マウスバードにとっては
・数学を学んで大学に入ってコンピューターエンジニアになるのはカッコよく
・世界中を旅するのは「難しい」
らしい。


あなたは納得しないはずである。一部は「そんなことはない!」とむかついたはずである。


-----


マウスバードの一言


下の「マウスバード」のほうは私の創作である。


しかし上の「ゆき」のほうは元ネタがある。実は、この会話文は、中学二年生の向けの「文部科学省検定済の英語の教科書の英文」を翻訳したものである。


ゆきにとっては
・世界中を旅するのはカッコよく
・数学を学んで大学に入ってコンピューターエンジニアになるのは「難しい」
らしい。


ゆきの個人的な感想なんだから、別に良いと言えば良いかもしれない。しかし「恣意的なもの」を感じてしょうがない。


穿った見解と自認しているが
私には、この教科書を作った人は↓こういう見解を公的に認めさせようとしているように思える。なにせ「教科書」なのだ。


>> 世界中を旅するのはかっこいいよね! そのためには英語が喋れると便利だよね!
>>  それに引き換え
>> 数学を学んでコンピュータエンジニアになるだって? 難しい!>< あなたもそう思うよね!


冗談ではない。それは「あなたの感想」だ!
「私(マウスバード)の感想」はそうではない。
 私は世界中を旅したくない。かっこいいとは露ほども思っていない。
 コンピュータエンジニアになるほうがカッコイイと思っている。
それは「私が英語が嫌いで英語なんかこれっぽっちも喋りたくないから」である。コンピュータは山ほどいじりたい。というか私にとっては「割と簡単」なので、今でもプログラムを作っている。
 しかし、これは私の個人的感想だと分かっている。ましてそんなのを「押し付け」やしない。


しかし、文部科学省はどうなのだろうか?


今年のセンター試験といい、文部科学省検定の教科書といい、「理数系」によほど恨みがあるように思えてならない。


教科書で「数学やコンピュータが難しいと思い込ませる」ような記述が堂々となされているのである。


英語嫌いはどんどん増えている。この教科書の英文もそうだが「英会話特化」に変調され、さらに小学校に英語が必修化され、ますます英語嫌いが増えているのが現状である。
証明データ


英語嫌いはただでさえ英語が嫌いなのに、こんな教科書で習えば、さらに英語が嫌いになるはずである。内容に納得がいかないからである。


今週の金曜日は文法放送。この続きは来週の月曜日です。


(↓目次はこちら)
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Comments

Dr.Sさん

コメントどうもありがとうございます。


英語教育に存在する考え方、すなわち【数学が得意な人は「異常」とでも言いたい風潮】は、時代を問わず、日本に限らず、「母国語以外の言語教育に興味があり、数学に興味がない人」に共通だと思います。
類は友を呼び、そういう人が、声を上げ、参考書や教科書やセンター試験で堂々と「当然」として載せてきていると思います。


そうかー「大人はみんな数学の失敗者と感じる」んだーじゃあ数学者は実はみんな子供なんだあー知らなかったなあーー
俺には数学者が子供には全く見えず、「おっさん、爺さん、おばはん、婆さん」に見える。きっと俺の目が悪いんだろうなあw


また折に触れてコメントをお待ちしています。
m(_ _)m

マウスバード様

Dr. Sです。
 上記の文章を読んで、英文解釈教室のある例題を思い出しました。少し長いですが、引用します。

 数学は非常に幼いこともに教えるのが一番やさしい。子供は探求心に富み、自信があり、独力でものごとを理解しようと望んでいるからである。
 大人の場合は、下手な教え方のために非常に多くの人が自信を失っているので、教えることは困難である。大人は、自分が数学の失敗者だと感じている。誰でも、失敗しそうなことはやってみようとしないものである。この当惑の意識から人々は、「数学だって? だめだ、学校でもサッパリだった。数学ができる人なんていなかった」などと言うようになる。この言葉の目ざすところは言いわけである。「私は失敗したが、何も私が悪かったわけではない。見てごらん、誰だって失敗するんだし、数学ができないのは人間である以上、当たり前のことなんだ」親は子ともの時々こういう話し方をする。そして、親は自分の威厳を保とうとしながら、子供が親と同様な失敗をすることをきわめて確実なこととしているのに気づかぬことがよくある。なぜなら、失敗するだろうと思っている人はその通り失敗するものだからである。
(伊藤和夫:「英文解釈教室」, 別冊p.5 2.2例題3;本編p.29 2.2例題3の訳文)

英語教育界には昔からこのような傾向があったのでしょうか。

 ところで、理数系に対するこのような態度は、国の経済や産業に対して大きな問題があるようです。信頼できweb上で後悔されている資料が見つかれば、また、コメントしたいなと思っています。