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苦手なりの受験英語

 

2012年7月30日

マウスバードの英語教育の見解(3)

●ネイティブとたくさん触れさせる英語教育はどうか?


・私の意見:現状なら大反対


【理由】
何言ってるか分からないのが不快だから。


 英語好きの方々と多く接してきて、私が不思議に思ったことがいくつかある。その1つは「彼らはできるだけネイティブスピーカーと話そうとする」ということだ。中にはお金を払ってでも話そうとする人々が大勢いる。私にはこれが不思議でならなかった。多くの英語嫌いも同様のはずである。英語嫌いはネイティブとなど全く話したくないから。


 こう書くと必ず↓こうぬかすが出てくる。
「中学や高校時にネイティブと接する機会が少なかったor遅かったからそうなったのではないか?」


 冗談ではない私の中学は、ネイティブとできるだけ話させようとする教育方針であった。山ほど経験させられた。


 授業中、日本人英語の先生はたまにネイティブの先生に、テキストの話題の意見を求めた。このときネイティブの先生は何か英語で喋る。我々生徒側はそれを聞いていた。(うちの学校は英語ができる生徒が多かった所為もあるが)、時々面白いことを言ったらしい。生徒や先生はネイティブ様のお言葉を聞いて笑うことがあった。もしくはネイティブの先生と無理やり話させられる時間帯を多く取られた。私の中学ではこんな授業が週6コマで、山ほど続けられた。


 この授業こそ、中学時の授業で他のどんな科目の授業よりも、最も不快であった。
 当時の私は
「ネイティブ様のお言葉が分かったことが1度もなかった」から。
「ネイティブ様と意思の疎通ができたことがなかった」から。


 数学嫌いの方が「数学の授業が訳が分からず不快だった」ように
 は「ネイティブ様がいらっしゃる授業が最高に訳が分からず不快だった」。


英語で何か言ってるらしいが、私には何を言っているかさっぱりわからない。先生や友人たちは笑っている。時々は大笑いしている。でも私にはさっぱりわからない。「何か会話せよ!」という先生の指示があった場合、私はネイティブ様に怪しげな英語で語ったが、ネイティブ様は「???」みたいな顔しかなさらなかった。私はこういう体験ばかりさせられた。


もし数学嫌いな人がいたらぜひ、次のようなことを想像して欲しい。
 ⇒数学の授業にはアシスタントに「えらい数学者」が1人付いてくる。
 ⇒授業中に数学者様は数学的なジョークを語る。生徒は笑わなければならない。
 ⇒あなたは必ず数学者様と何かお話をする機会を数学教師によって与えられる。
 ⇒毎週必ずこの授業がある。下手すりゃ2回も3回もある。
さあ、あなたは楽しいか??? この英語版が私の体験である。


 だからにとって「ネイティブスピーカー様」は「英語をより嫌わせるもの」以外のなにものでもなかった。


 何がまずいか...「訳が分からないことが問題」なのだ。


ネイティブ様が何か言っても、英語が嫌いな人は「なんといったかが分からない」のだ。「分からない」から、それがたとえどんなに面白いジョークでも笑うことができない。会話にしてもそうだ。ネイティブ様は何を言っているか分からないから、会話のチャッチボールができない。


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だが実は...


改善する手段は実はとても簡単である。


ネイティブのアシスタントティーチャーを「日本語がペラペラな人に限る」とすれば良い。
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ネイティブのアシスタントティーチャーが日本語ができれば、
・ネイティブ様は「日本語で」自分の英語のジョークが説明できる。これなら英語が苦手な人も安心である。
・こっちが変な英語で喋った場合、ネイティブ様は日本語で「それってこういう意味?」と聞けて、意思の疎通ができて、ちゃんと「会話」になる。


 要するに「英語だけの一方通行」なのが問題なのだ。全ての「英語ネイティブアシスタントティーチャー」は「日本語ができる」べきだ。


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もう1つ重要な要素を考えて欲しい。
英語教育関係者はよく「バイリンガルは有用だ」と仰る。悪いが私にはこれに全く説得力を感じない。なぜなら「ネイティブのアシスタントティーチャー」は、英語しかできないから。「日本語もできるアシスタントティーチャー」ならば「2カ国語ができる重要性」を主張できるだろう。彼らが「バイリンガルは有用だ」と言えば「そうかもしれない」と思うことができる。


 ところが、今の多くの中学校、高等学校では「英語しかできない英語ネイティブアシスタントティーチャー」を採用してくる。とても滑稽だ。「英語しかできないネイティブスピーカーを中学高校の英語の先生にして⇒⇒⇒バイリンガルの有用性を主張している」のだ...こんな矛盾がまかり通るのが日本の英語教育。皆さんはこれがおかしいと思わないのだろうか? 英語嫌いはみな一様にこの矛盾を感じているはずである。これも英語を嫌わせる要素にほかならない。


 しかし英語教育界には「おかしくない」と思っている人々が沢山いるらしい。文部科学省は「日本語ができないネイティブスピーカー」をアメリカやイギリスから今日もせっせとスカウトしているのだ。


金曜日はいつもの文法放送。この続きは月曜日です。


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Comments

>匿名さん
確かにバイリンガルなアシスタントティーチャーのみになったぐらいでは、大きく変わらないかもしれません。
ただマシになる可能性は高いと思っています。バイリンガルなアシスタントティーチャーはどのようにして日本語を話せるようになったのか、は、どのように英語を話せるようになるのか…のヒントになると思うからです。

英語を喋れるようにするのが英語教育の目的なら、入試を英会話にすることです。そうすればみんな「別の方法で」躍起になります。しかし長い入試の伝統から、英会話試験が試験になるのはまず不可能と思っています。

正直言ってバイリンガルだろうと、なかろうとまったくもって違いはないと思いますけどね。
総じてクソですよ。そんな程度で変わるならハリウッド映画字幕でみてたって英語ができるようになる。
現実的には殆ど誰もそうなってはいないし、好き好んで英会話教室に通ってる奴も大半が喋れるようにはなってない。

日本の英語教育をなんとかするとしたら
そもそも喋れるってことを目指すことが間違ってて
小学校2年で九九覚えさせられたみたいに
基本文と基本文法丸暗記させるようにすればいいと思います。

そしてそれをするなら中学校の最初に出てくる教科書の最初の例文から抜本的に変えるべき。
良くいわれるような、こんなこと言わないとかいうアホみたいな理由じゃなくて、文法的にイレギュラーな英語から紹介していくなんて正気の沙汰じゃない。
あのイレギュラーな文の記憶が確実に足ひっぱっている。

口語表現とか会話表現なんか多少適当でも通じるんだしやりたい奴が勝手に勉強してくれっていうね