HOME > 初心者英語 > 苦手なりの受験英語 > 英語指導者と数学と理科 > 英語指導者と数学と理科(3)


苦手なりの受験英語

 

2013年1月28日

英語指導者と数学と理科(3)

多くの英語大好き英語教師は「数学が嫌い・苦手だった」と表明する(のに...)。


(1)
 私の中学時代の英語教師Kは「英会話」の授業の先生であった。英語が大好きで、いつもニコニコしながら英語の素晴らしさを語っていた。その英語教師はよく【笑いながら】「数学は俺は苦手で嫌いだった」と授業で語っていた。そしてその直後に続けざまに「でも英語は得意だった」と続けた。


(2)
 テレビのCMでも姿が流れるような某有名予備校講師の著書を何冊か持っている。その1冊には自分が如何に数学が苦手だったかが書かれていた。同時に、英語は得意で、単身アメリカに長旅をし英語力を磨いた話が書かれていた。


(3)
 今はもう見れないブログだが、某予備校の先生のブログにもやはり、中学高校時代「数学が嫌いで苦手でしょうがなかった話」を載せていた。同時に中学の頃から英語は得意で、その頃から英字の雑誌をバリバリ読んでいた話が書かれていた。


この3例の共通項は【自分が如何に数学が苦手だったかを表明し、代わりに英語は得意だったと自慢する】ということである。この手の例を探せば、「あなたのそばの英語教師の場合」たくさん見つかると思う。




 ここを読んでいるあなたにも問いたい。今までのあなたの英語の先生のうち少なくとも1人は「私は数学が嫌いで苦手だった。けど英語は得意だった」と表明したことがないか?


 彼らはなぜわざわざ「数学が嫌いなこと・苦手だった」ということを表明するのか?
 理由の1つは「よっぽど数学に苦しめられたから」だと思う。




私もしょっちゅう「英語が嫌いだ」と言う。それは私は【英語で苦しめられたから】言うのだ。「教科が違えど【苦しめられた】という同じ理由」である。


 ちなみに私が「英語が嫌い」と言うのは、「英語が嫌いなままでも得意に成れる」と英語が嫌いで苦手な中学生・高校生、浪人生に言いたいからである。


 また、別の理由もある。私が【嫌い】と声高に主張するのは「昔、言いたくても言えなかったから」だ。英語が苦手だった頃、親や英語教師にこう言われたものだ→「嫌いだからやらなくてもいいってことにはならないだろう。言い訳言うな! 英語を勉強しやがれ!」
 ⇒これはそのとおりだと思う。


 だから私は当時言えず、得意になったからようやく言っているのだ。中学高校の6年間+浪人の2年間、我慢していたのだ。




 しかしである。
 私は、英語好きと思われる人物から「英語が嫌いと言うのは良くない行為だと思う」と批判を受ける



ふ~~~~~ん。てめえらは「数学が嫌いだ」と表明するくせに、私が「英語が嫌いだ」と言うのはダメだと言うわけか。


ふ~~~~~~ん。
てめえらは苦手科目を逃げまくって、苦手なままのくせに。
私は逃げずに戦って得意になったのに。
それでも私の場合は「嫌いと言ってはいけない」と言うんだな?


ふ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん


でも自分たちは「数学嫌い・理科嫌いを表明しても良い」んだ。


ふ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん


金曜日はいつもの文法放送。この続きは来週の月曜日の予定です。


(↓目次はこちら)
目次ページへ

Comments

>Dr.Sさん
コメントをいつもありがとうございます。

>英語教育に携わろうとする人は、英語は良くできるが理数系はダメな人が多いのではと思います。英語と理数系に堪能であれば、通常は、英語教師よりももっと実入りのよい稼業に就くと思われます。

なるほど! これは合点がいく考え方ですね。新たな知識を得た気がします。ありがとうございます。

 あの数学の問題はそれなりに難しい問題だったのですね。解いていただきありがとうございました。

>江利川先生が埼玉で3月2日に英語教育講演会「協同学習に関する講演・実践交流」で講演をされるようなので

 こちらは実はご連絡いただく前にチェックしてました。熊谷は江利川先生の出身地なんですよねー。スケジュール的に行けるか行けないか、微妙なところなんです。直前まで分かりません。行ければ行きたいと考えています。ご連絡ありがとうございました。
m(_ _)m

マウスバード様

どうもDr.Sです。
 この問題に書き込みをしたと思っていましたが、少々多忙だったもので。本当は次の回に書こうと思っていたのですが、活発な論争があったので、とりあえず、この回に書き込みをしました。

 この数学に対する態度の主な原因は、まさに英文解釈教室のあの例題に取り上げられていた態度そのものですね。しかし、もう少し深く突っ込んでみると以下のような事情がるのではないかと勝手に思っています。

まず、
「英語にもかつては、その学習を通じて初めて諸学に接しうるという意味で、実は手段でありながら、英語が諸学の王であるかのごとき地位を占めた幸福な時代があった。」
(伊藤和夫:「予備校の英語」,p.3, 研究社)
このような意識が明治の昔から、英語教育界に連綿と受け継がれて来たのではないかと思います。もっとも。グローバル化の進展でこのような意識が、昨今、復活しつつあるような気がします。

 さらに、英語教育に携わろうとする人は、英語は良くできるが理数系はダメな人が多いのではと思います。英語と理数系に堪能であれば、通常は、英語教師よりももっと実入りのよい稼業に就くと思われます。
(実は、例外と思われる人がいます。江利川先生です。工業高専から、何故か大阪市大の経済学部に進学したようです。)

 さらにそれに輪をかけているのは、実業界における英語至上主義的な風潮です。実業界においては、高校以上の理数系の能力は、ある種の「専門知識」に属するのにで一部の人のみでよいのに対して、英語はほとんどのビジネスパーソン(といっても上場企業の総合職なので多分2~3割程度の人数)が必要との考えがあります。(専門知識の割には理数系の能力に対する対価が少ないと思われますが)

 ちなみに、私が解答を作成したあの数学の問題ですが、文系でも、東大や京大(や一橋大学)であれば、あの程度の問題を解けなければ、おそらく合格できないでしょう。

 それから、江利川先生が埼玉で3月2日に英語教育講演会「協同学習に関する講演・実践交流」で講演をされるようなので、ご興味があればどうかなと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/gibson_erich_man/32396882.html

ではでは。