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苦手なりの受験英語

 

2013年7月29日

英語に関する先入観と矛盾点(4)

【先入観】
日本の学校の英語教育は文法を過度に重視し、会話を軽視し続けてきた。だから日本人は英語ができない


【矛盾点】
戦後、文法が過度に重視された時期など1度もない。
科目として「英文法」というものがあった時期は1度もない
さらに、昭和44、45年(1969、1970年)以降、文法は軽視され続け、会話が重視され続けてきた。さらに平成元年(1989年)からはかなり会話が重要視されるようになった。


【現実】
ここに戦後の学校英語教育の変遷を辿ったwebページがある。
■第6章 学習指導要領における英語教育観の変遷
ただ↑こちらはあまりにも長く、わかりにくいかもしれないので、要点だけ書く。(5つ)


、昭和35年(1960年)の高校の英語教育は、「学年が上がるごとに、[聞くこと・話すこと]から、[読むこと・書くこと]に重点が移るようになっている」(文法が【まだ重視している】と言って無理にでも言えるのは、たかだかここからの10年ぐらいである)


ここ以後はどうでろうか?


、昭和44、45年(1969、1970年)からは徐々にコミュニケーションに力が加えられて行く。科目の1つとして「英語会話」が加えられた。単語数も減った。


、昭和52、53年(1977、1978年)からは、中学で習う文法事項が減らされ、その分は高校にまわされる。単語数も減る。


平成元年(1989年)から、かなり会話に重点が置かれる
>外国語科の改善の基本方針として,「聞くこと・話すことの言語活動の,一層の充実をはかること」,「国際理解をつちかうこと」,「指導内容の重点化・明確化と発展的,段階的指導」が掲げられ,学習指導要領の改訂を求めた。同年,JETプログラムが発足している。(JETプログラム=英米から、英語を母国語とした外国人をガンガン日本に呼び寄せて、アシスタントティーチャーとして雇う)
さらに、科目として「オーラル・コミュニケーションA,B,C」というものができた。


、平成10年(1998年)から、いわゆるゆとり教育の影響で。習得英単語数が減る。


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日本の学校の英語教育は文法を過度に重視している、という考えはどこから生まれたのだろう? なんとかその時期を探れば、昭和35年(1960年)~昭和45年(1970年)の10年間だ。この時期は、学年が上がるににつれて、聞くこと・話すことに重点が置かれなくなったのは事実だ。しかしその所為だろうか? この間はたかだが10年である。


会話に重点が置かれ始めた昭和45年(1970年)に高校生になった人は現在57~58歳
さらに会話が重点が置かれた平成元年(1989年)に高校生になった人は現在39~40歳である。

会話にかなりの重点が置かれた平成元年以降、もう20年以上になっている。
また見てわかるように、科目として「英文法」というものがあった時期は1度もない

なぜになぜ
 日本の学校の英語教育は文法を過度に重視し、会話を軽視し続けてきた。だから日本人は英語ができない
というふうに思う人が多いのか?

 よほど文法が嫌だったのではないかと思われる。しかし私に言わせれば「大してやってないのに、沢山やらされた」と思い込んでいると思う。それは嫌だったからに他ならない。嫌なものは印象が強く残るものだ。(なお、私は英語そのものが嫌いである


 安心しよう。会話に重点が置かれ始めた昭和45年(1970年)以来、もう43年もたっている。
 過度に会話に重点が置かれ始めた平成元年(1989年)以来、もう24年もたっている。


その結果、三単現のSさえできない高校生が沢山生まれているのだ。


これは文法軽視の結果ではないのだろうか?


今週の金曜日はいつもの文法学習です。この続きは来週の月曜日です。


(↓目次はこちら)
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Comments

>清水恭宏さん
清水恭宏さんのコメントは簡潔にまとめられていますね。おっしゃる通りと思います。

「ALTが日本人は文法はできるが会話ができない」と認識している、という部分に感銘を受けました。この問題は「ALTの見解を日本人の多くが鵜呑みにしている所為」かもと思いました。我々日本人が日本語の文法を知らないように、彼らは英文法に詳しくないのは当たり前のはずなんです。彼らからすれば、日本人の方が英文法に詳しいのは「頭に来る」か、少なくとも「嫌」だと思います。 私がネイティブに文法の質問をすると、彼らは大体は逃げていきます。

 でも実際は、日本人英語学習者の多くは恐ろしいほど文法に詳しくありません。前に例に挙げた話だと、「某・元高校英語教師」は私に「分詞構文ってなに?」と聞いてきました。「よくそんなんで高校英語教師なんてやれたなあ」と思ったものです。

 ただ、いつも書きますが「文法の必要度」は個人によってばらつきがある、というのが私の見解です。私はたまたまかなり必要なタイプだったに過ぎません。一方前述の某・元高校英語教師には文法はさほど必要がなかったのです。しかし彼と同程度に文法の必要がないタイプの人はたぶん10%もいないと思います。残り90%は文法が多かれ少なかれ必要だと思います。ですが多くの英語学習者は「文法を必要量学ぶ機会」を学校指導要領によって奪われてしまっていると思います。

MOUTHBIRD様
そうですね。現状認識に大きな誤りがあります。学校ではそんなに文法をやっていないのにやっている、と勝手に思い込んでいるのです。それは事実です。私がスクールで使っているマーフィーのケンブリッジ英文法の分量を見れば明らかです。初級編、中級編それぞれ300ページ以上のものになっています。主にヨーロッパの学習者を想定して書かれたもので、それだけの厚さになるのですから、日本の高校で使用しているテキストの見れば、絶対的練習量が足りないのは一目瞭然だと思います。(例えば、「ブレイクスルー英文法36章」という高校生対象のテキストがあります。これで110ページ程度です。)

中学でのALTとの英会話ごっこは、最低の時間とお金の浪費です。そんな時間があるなら、長文読解と文法演習に全部まわすべきです。「国際理解を培うこと」という趣旨も癖ものです。彼らの大部分がESLやEFLを修了したプロでないので、プログラムの意義を正当化する言い訳でしかないのです。こんないい加減な事業に税金が使われているのは本当に甚だしいです。

そういった「英語を話せるだけの外国人教師」のほとんどは、日本人は「文法は出来るけど話せない」というステレオタイプを洗脳されたかのように信じています。だから楽しく英語を話す練習をすればいい!となるのですが、前提が全く間違っているのですから、彼らの担当するクラスは「外国人に慣れる」ということ以外達成されるものは何もありません。

私は正しい現状認識のもと指導をしています。マーフィーの文法書を見て、無理という方には残念ながら諦めて頂くしかありません。その位の覚悟がなければ、英語習得は不可能ですから。