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苦手なりの受験英語

 

2013年9月16日

5文型をなぜやるか?(1)

今回の新シリーズは「5文型をなぜやるか?」という話にします。


 まず、最初に申し上げますが、私は「全ての英語学習者に文法が必ず必要なわけではない。文法の必要度は人によって異なる」という意見の持ち主です。文法なんか全く不要な人もいれば、マニアックになるほど必要な人もいる、というのが私の意見です。


 5文型の知識が必要な英語学習者は、私の見解だと、8割ぐらいと思います。つまり大多数には多かれ少なかれ必要(ただし不要な人もいるのは事実)という見解です。以下は、その見解に則って話を進めます。


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 5文型ですが、皆さんはいつ習ったか覚えていらっしゃいますか? 現在のカリキュラムだと中2か中3で習います。私もその頃にやったと記憶してます。でも当時はさっぱり意味・意義が分からない。当時「なんでこんなものやるの?」と不思議でした。ここを読んでいる人も、もしかしたら同じように疑問に思う(思った)人が多いのではないかと思います。


 ちなみに、「5文型」という分類は今から約150年前くらいのイギリスの文法学者が提唱したものらしいです。けっこう古いのです。その所為かどうか分かりませんが、本国イギリスではもちろん、アメリカにいたっても、現在普通「5文型」という文法を扱いません。ちゃんと調べたわけではありませんが、今どき5文型を学ぶ国なんか、世界では日本くらいだと思います。例えば洋書版の文法問題集などを見て欲しいです。5文型を扱っているものはおそらく1冊もないです。あるのは日本ぐらいなものです。(補足追加情報:金沢の英会話学校の清水恭宏さんが知る限りにおいて、【洋書で五文型に触れているものは、ジョン・イーストウッドのOXFORD PRACTICE GRAMMARと参考書では、彼の書いたOXFORD GUIDE TO ENGLISH GRAMMARだけ】だそうです<このブログのコメント欄参照>)


 こう書くと、単細胞の方は「じゃあ5文型なんか意味ないんじゃないの?(だから日本の英語教育はダメなんだ)」と思うかもしれません。もちろんそうではない、というのが私の見解です。ここは「見方」を変えて欲しいと思うのです。日本では必要だから生き残った。私はそう考えています。


●日本語と英語は全く違う文法体系を持っている
●日本で5文型が学ばれるのは
  日本語しか知らない普通の日本人にとっては、英語を学ぶ上で5文型は、日本語との違いを理解するのに簡潔だから


と思います。


 日本語と英語は違う言語です。文法オタクの私に言わせれば、文法ルールは180度違う、と言いたいくらい違います。意味を表現する上で、両者は全く異なる方法を使っています。日本語とは違う「英語側」の特徴を簡潔に説明したのが「5文型」と思います。
もう少し具体的に言うと


 日本語は「助詞さえ正しく使っていれば、多少語順がおかしくても意味は通じる」言語
なのに対し
 英語は「助詞がないので、【5文型に則った正しい語順】でないと意味が通じない、おかしくなる」言語
という具合です。

だから、5文型の概念が普通の日本人の英語学習者には必要だと思うのです。


とはいえ、分かりにくいと思います。そこでこのブログではそれを少しずつ説明していこうと思います。
よろしいでしょうか?


では試しに1つ例を出します。


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次の2つの英語の意味を日本語で書きなさい。


1・Ken has a dog.
2・A dog has Ken.


どうでしょうか? 英語が苦手でかつ「5文型ってどこが重要なの?」と思う方こそ、この2つの英文の意味をしっかりと考えて欲しいです。ぜひやってみて下さい。


この説明は来週の月曜日にいたします。今週の金曜日はいつもの文法学習です。


(↓目次はこちら)
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Comments

>nogaさん
はあ。そうですか。

英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっている環境で生活していれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしそのものが成り立たない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境が整わないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。

「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

日本人は、国連中心主義が好きなようだ。
国連の議場で世界の人々を説得するためには、自己の言葉が冴えわたる必要がある。
議論のできない人があえて国連中心主義を唱えるのは、自己の他力本願を表明するための手段ということになるのであろうか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

>清水恭宏さん
>洋書で五文型に触れているものは、私の知る限りジョン・イーストウッドのOXFORD PRACTICE GRAMMARと参考書では、彼の書いたOXFORD GUIDE TO ENGLISH GRAMMARだけです


なんと! あるんですね。びっくりしました。本文に情報を追加しました。ありがとうございます。もっともこれしかないか、あるにしても極少数と思います。私の生徒さんで洋書好みの方は GRANNAR IN USE を使いたがる傾向があります。もちろんこれは5文型を扱っていません。だから私の印象は「日本人向けじゃないな」というものでした。


>海外の語学学校では、授業で五文型に触れることは全くといってありません。それどころか、英語を解釈する基本的単位(まとまり)である、「句、節、文」も教えません。母語がヨーロッパ言語の学習者には、そういった知識は必要ないので、スルーされるのでしょう。イギリスは圧倒的にヨーロッパの生徒が多いので、その傾向は顕著だと思います。


イギリスの語学学校の出身の清水さんのご意見は説得力がありますね。実は最近、新たに、【海外の語学学校在学中の日本人英語学習者】が私のインターネット授業の生徒さんになりました。
http://www.ye-study.com/jugyohome01.htm
 『海外の語学学校にいても、私に文法を教えて欲しい』そうなのです。ちゃんと調べたわけでないので断定はできませんが、清水さんの情報をもとに考えると、そこの語学学校も「母語がヨーロッパ言語の学習者向けの授業内容」ではないかと思います。5文型は教わらないと思います。私のネット授業展開は【海外の語学学校に行き、現地で文法の所為で困った人向け】という側面があるかもしれない、と思いました。


今後もどうかお楽しみください。

洋書で五文型に触れているものは、私の知る限りジョン・イーストウッドのOXFORD PRACTICE GRAMMARと参考書では、彼の書いたOXFORD GUIDE TO ENGLISH GRAMMARだけです。

私の個人的意見ですが、目的が英会話であろうと、受験であろうと五文型の知識は不可欠です。海外へ留学経験のあって、中途半端なレベルで帰国する学習者に共通して言えるのは、五文型の知識が決定的に欠如していることです。

その結果、英語を話そうとするものの、主語が人以外の物主構文が組立てられないので、表現の幅が広がらず、もどかしい思いをしています。そのようなレベルだと、英語を使って仕事をするなどということは論外です。

どれだけアウトプットをしようが、ワンパターンの表現ばかり使っていては上達は望めません。英語を話せるようになりたい、と考えている人には、話す練習さえすれば上手くなると思う人が少なくありません。これは大きな間違いです。

海外の語学学校では、授業で五文型に触れることは全くといってありません。それどころか、英語を解釈する基本的単位(まとまり)である、「句、節、文」も教えません。母語がヨーロッパ言語の学習者には、そういった知識は必要ないので、スルーされるのでしょう。イギリスは圧倒的にヨーロッパの生徒が多いので、その傾向は顕著だと思います。

留学するなら、日本でしか学べないことは、日本人の先生から学ぶべきだというのが私の持論です。五文型はその大切な一つです。言語体系が全く違う日本人学習者にとって、頼れる羅針盤です。このシリーズの続きを楽しみにしています。