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苦手なりの受験英語

 

2016年4月11日

英語嫌いの英語教師の理由(4)

英語が嫌いなのに英語の先生をやってる理由
その3・「英語が必要だ」なんて「嘘だ」と叫べるから


先日、最近私の授業の生徒になってくださった高校生の男子とこんな会話をした。同じく英語が嫌いである。(重要)


私 「お父さんやお母さんに『英語は将来必要だから英語を勉強しろ!』って言われる?」
生徒「言われますね」
私 「そうか…じゃあお父さんやお母さんは英語を使えるの?
生徒「使えないですね」
私 「じゃあ大いなる疑問を感じないか?」
生徒「?」
私 「親が英語を使えないんだよ。英語が必要ではない証拠じゃないか! でも息子には『英語が必要』って言ってんだぜ!」
生徒「あっははw。そうですねw」
私 「もしそう言うならせめて、自分が英語ができるようなってから『英語が必要』て言えってんだ!(怒)」


親は自分には英語が必要ないのに、息子には英語が必要だと説得しているこういう家庭はおそらく日本国中に溢れかえっているはずである。


で、この会話には続きがある。


生徒「でも親に、そう言っても、『屁理屈を言うな』って言われそうですよ」


 まさにその通りである、と思った。いや「屁理屈であること」に同意しているのではない。私は「屁理屈と言うな、と言われそうなこと」私は同意しているのだ。


 本当に屁理屈であろうか? 私はそうは全く思っていない。英語がほんとうに必要なら、今現在日本国中で英語があちこちで話されているはずである。あなたの近所で英語が普通に使いこなせる人は何%いるだろうか? 5%もいないだろう。違うだろうか? もし英語が必要ならまず親が英語を普段使いこなしているはずだ。しかし使っちゃ―いない。「英語が必要」なんて嘘っぱちなのは火を見るよりも明らかだろう。嘘に決まってるじゃないか! にも関わらず「英語が必要」などと抜かす連中が多い。しかも多くは「英語が必要だと声高に叫ぶくせに、自分は英語ができない」のである。しかし子供には「必要だ!」と言い続け、英語を勉強させる親が多いのだ。


 こういう親はいい気なものだな!
 自分は英語ができないくせに、子供には「英語が必要」とか抜かし、
 自分は英語を勉強せず、子供に英語の勉強を強要する。
 自分は勉強しないから苦しまないが子供は勉強で苦しむ


・こういう親……なんのことはない。実は私の親も↑同様であった。


 私も中学・高校時代に親に言いたかった…「英語が必要だと声高に叫ぶくせに、自分は英語ができないのはなぜだ!?」と。
しかし、上の生徒さんと同様、こういうセリフを当時の私は親に言わなかった。言ったところで現状は変わらない。生徒さんと同じ予想…「屁理屈言うな!」と言われるのが落ちである。でも言いたかった…。


●しかし、、、、今の、英語教師の私なら言える。今は英語が使えるからである。


・「英語が必要」なんて嘘っぱちである。
・日本で通常英語が必要なのは「受験の時」だけである。


私はこのブログなどで何度も↑こう叫んでいる。
そりゃあ一部の大企業などでは英語の高い能力がビジネス上要求される。しかしそれは日本国民の全員ではない。
つまり「必要」ではなく


有利


と言えば良いのだ。「英語が必要」ではなく「英語ができると有利」と言えば良い。それだったら私は少しも怒らない。「必要」って言うから私は怒るのである。


 英語のセンスがないやつは日本国中にたくさんいる。彼らには英語なんかできなくてもいい選択肢はいくらでもあるはずである。必要と言ったらその選択肢を排除することになるではないか! 「冷静に考えて英語が必要な日本人は日本国民の何%だ?」…おそらく5%もいないと私は考えている。


 こういうことを声高に叫びたい…でもそうする人はなぜか少ない。だから私は英語教師であり続け、同じことを叫びつづける必要がある…と私は考えているのである。


 金曜日は文法放送。この続きは来週の月曜日です。


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Comments

>清水恭宏さん
ご無沙汰しております。コメントありがとうございます。


>英語が必要というある種強迫的観念が英語教育を悪い方向に導いてしまっていると思うのです。必要=英語を話すこと という図式で「英会話ごっこ」の域を出ない授業を文科省は奨励しているのです。
英会話学校の先生である清水さんに取っても、英会話ごっこにしかなっていない現状を快く思っていらっしゃらないようですね。
>英語を英語で授業するのは大学入学後であっても全然遅くないでしょう。
同感です。むしろこちらのほうがやるなら効率がいいと思います


>そもそも教える教師の大半に英語を話すだけのインプットがあるかというとありません。(中学教師の約7割が準一級以上のレベルを取得していない、という文科省のデータがあります。)


そうでしょうなあ。ただそういう周りが「英語がペラペラ喋れる先生」に恵まれた環境であってもうまく行くとは限りません。


 私の中学高校は特殊で、英語教師の殆どは英語がペラペラでした。日本人の先生でも英語の発音が素晴らしかったです。話も楽しげです。受験英語らしい学習も殆ど無く、英会話主体(文法は蔑ろ)でした。ネイティブ様と触れ合う機会が(中学から)たくさんありました。
 その中で私はどうなったかというと、→英語でスーパー落ちこぼれて、スーパー英語嫌いになりました。もちろん英語が喋れるわけがない。


 しかし浪人してちゃんと受験勉強して、文法覚えて、単語覚えて、読解やって…大学に入ったあと、(偶然により)英会話サークルに入ったら、英語がペラペラになりました(1週間だけですけどね。その後は英会話能力の維持に努めなかったからもはや片言)
参考
http://www.alc.co.jp/beginner/article/mouthbird/2014/01/post_1089.html
http://www.alc.co.jp/beginner/article/mouthbird/2014/02/post_1094.html


 私みたいな英語が大嫌いで英語なんか少しも触れたくない人でも、英語が喋れるようになる素晴らしい方法があるのになあー。なんで文部科学省は、そっちに舵を切らないんでしょうかねえ…。

マウスバード様
お久しぶりです。大変大切な視点を述べらているのでコメントしたいと思います。

「私はこのブログなどで何度も↑こう叫んでいる。
そりゃあ一部の大企業などでは英語の高い能力がビジネス上要求される。しかしそれは日本国民の全員ではない。つまり必要ではなく有利と言えば良いのだ。英語が必要ではなく英語ができると有利と言えば良い。それだったら私は少しも怒らない。必要って言うから私は怒るのである。

英語が必要というある種強迫的観念が英語教育を悪い方向に導いてしまっていると思うのです。必要=英語を話すこと という図式で「英会話ごっこ」の域を出ない授業を文科省は奨励しているのです。将来英語ができると有利だから、という視点に立つなら将来必要になった時のための基礎を学校は提供すればいいのです。その基礎をおろそかにしたまま、話すアウトプットのみ増やしても全く無意味です。そもそも教える教師の大半に英語を話すだけのインプットがあるかというとありません。(中学教師の約7割が準一級以上のレベルを取得していない、という文科省のデータがあります。)

「将来必要になった時のための基礎」とは文法、英文読解力、語彙力などに他なりません。英語を英語で授業するのは大学入学後であっても全然遅くないでしょう。入学時に英検二級レベルの学力があれば十分可能なことです。中学、高校は「英会話ごっこ」に時間を浪費する時間がある位なら、将来のための土台作りに専念すべきです。

コメントありがとうございます。英語を必要とする職種分野でも、英文を読むと聞いて、表情が凍り拒絶反応を示す人がいらっしゃるようですね。私は彼らが不憫でならないです。無論、英語を必要とする職種はあります。それを否定するつもりはありません。

昔、プログラマーをしていたときたまに英文を読むことはありました。
マウスバードさんのいう5%の人間になるのかもしれませんが。文芸書と違い技術文書なのでまだ楽でした。それでも同僚には英文を読むと聞いて、表情が凍り拒絶反応を示す人もいましたが。

プログラマーを辞めてからは英文が必要になることはありません。それでも就職面接でTOEIC取ってますかと訊かれることはあります。ただこれは業務で英語が必須というより、偏差値に代わる物差しとしてTOEICを利用している感はあります。