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苦手なりの受験英語!

 

2016年3月21日

英語嫌いの英語教師の理由(1)

 最近、出向で小さな学習塾にも出向いております。この塾には中学生が多いです。小学生や高校生もいらっしゃいますが。そこで特に中学生によく質問されることがあります。それは「なぜ英語がそんなに嫌いなのに英語の先生をやってるの?」という質問です。


 初めてこのブログを見る人は分からないかも知れませんが、私はこの世で英語が1番嫌いです。「英語嫌い」と検索すると、トップページには表示されるwebサイトを開設しています。


 私はこの塾の授業でも生徒に「わしは英語が大嫌い、大嫌い」と叫んでいます。「英語なんかこの世から無くなればいいのに」などと言いながら授業をしています。どうもそれが彼らには不思議らしいのです。もしかしたら、ここの読者も不思議に思うかもしれません。


 「なぜ英語がそんなに嫌いなのに英語の先生をやってるの?」…私はいつものこの返事に困っています。理由がなかなか一言で語れないのです。そこでその話を今回のシリーズにしようと思いました。その内容はおそらく英語嫌いな中学生、高校生、浪人生の英語学習のヒントにはなるのではないかと思います。


 ちなみに私は元々長年(漫画専門の)古本屋の店員だったのです。英語教師なんかになるつもりは全くありませんでした。しかし色々あって現在至っています。


 この続きは来週の月曜日です。金曜日にはいつもの文法放送があります


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2016年3月28日

英語嫌いの英語教師の理由(2)

英語が嫌いなのに英語の先生をやってる理由
 その1・英語の成績の上げ方を知っているから


 先生っていうのは「生徒さんの実力を上げさせる」ってことが仕事だと思うのです。ところが、英語の先生の一部、いや、大半はそれができないのではないかと思っています。理由は「大半の英語の先生は英語の成績の上げ方を知らないから」。こう書くと「えーそうなのー?」とか「そんなはずはないだろうが!」などと思う方が大勢いると思います。「そんなん嘘っぱちだ。ならなんで先生なんてやってられるのだ?」と疑問に思うかもしれません。


 実は「英語の成績の上げ方を知らなくても、英語の先生は十分にできます」…先生が英語ができれば可能。(生徒は無関係)


 まさか、英語ができないのに英語の先生にはなれないでしょう。それなりの英語に関する試験を突破するなり、なんなり、英語について自信がある人でしょう。つまり「英語がデキる人」であれば、英語の先生になれます。こういう先生の多くは「英語の成績の上げ方」なんか実は【全く】と言っていいほど【知りません】。


 私がこう言うと「そんなばかなー! じゃあどうやって彼らは英語ができるようになったんだ?」という疑問を感じるかもしれません。
 では想像してほしいことがあります。あなたのお知り合いの英語の先生を想像して下さい。その先生が中学生や高校生時代、英語の成績はどうだったと思いますか? 成績は良かったと思いませんか? もっと言えば「彼らには英語の成績が悪かった時期がなかった」と思いませんか?


 大半の英語の先生
最初から成績が良く得意だった」→「その維持には務めていた」→「得意なまま
という経歴のはずです。


 ↓こうではないのです


最初は成績が酷く悪かった」→「成績を上げた」→「得意になった


  ↑こういう変遷ではないのです。


 したがって、多くの英語の先生は
  元々英語が得意な生徒さんの成績を維持しより高みに導く方法はよく知っている
しかし
  元々英語が苦手な生徒さんを得意にさせる方法をまるで知らない
ということです。


 アルクのこのブログのここのコメントから生徒さんになって下さった方がいます。お母様からのコメントでした。お嬢様が英語がすごく苦手で苦しまれていました。このコメントくださった当初、学校の英語の先生から「には娘さんの英語の成績を伸ばす方法わからない。とにかく頑張れ」と言われたそうです。


 こういう英語の先生は「英語が苦手な人」に「英語が得意な生徒さんの成績を維持しより高みに導く方法」を強制させることが多いのです。例えば「膨大な量の単語を1日で覚えてこい」とか、「膨大な量の英文を読んでこい」といった課題を生徒に与えます。先生は「生徒のためを思って与えている課題」なのかもしれません。しかしそれは「英語が苦手な人にはまずできない課題」なのです。できないんだからやらないやらないから成績が上がらない。つまり「英語が得意な生徒さんをより高みに導く方法」は「英語が苦手な生徒さんをより成績を下げて苦しめる方法」になってしまうのです。


 なお、この当時高2だった娘さんはその後、私の生徒さんになりました(ここの左下の人です)。約1年半私とともに学習されました。そしてセンター試験では…なんと「英語は9割」取ってきました。学校の英語の先生に「お前が9割!?」と言われ、顔を2度見されたそうです。


 私は
「最初は成績が酷く悪かった」→「成績を上げた」→「得意になった」
 こういう変遷を辿ったのです。だから私は「成績を上げ方」を知ってたのです。私は彼女にそれを教えたに過ぎないのです。


 私は「成績を上げ方」を知っている英語の先生があまりに少ないなあ…と思っているのです。なので「より多くの英語が苦手な人に成績の上げ方を伝授できれば…」と考えて、現在は英語を教えているのです。(本当は漫画家になりたかった…)


 金曜日は文法放送。この続きは来週の月曜日です。


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2016年4月 4日

英語嫌いの英語教師の理由(3)

英語が嫌いなのに英語の先生をやってる理由
その2・英語嫌いの苦しみを知っているから


 私は極端に英語ができませんでした。


中1の最初の英語のテストは100点満点で12点
girlが発音できず大恥をかく
英語の歌が歌えない
・高1時は英語のテストは100点満点で7点(平均点は83~84点のテスト)。ぶっちぎりの学年最低点。
・単語の小テストは合格点など1度も取ったことがない
・英語の宿題を満足に終わらせたことがない(いいとこ、友人のノートを書き写して終わらせる)


・無論通信簿は毎回赤点。毎年成績判定会議にかけられ、落第の危機に陥っていた。


・同級生からは無能扱いされる
・親からも無能扱いされる
・英語の先生からももちろん最高に無能扱いされる


===============


 こういう状態なので、周りからは「頑張ってない奴」と言われたものです。
 これはとんでもない話です。当時これでも「私は頑張っていた」のです。


だいいち、こんな状況で「ウキウキ」しながら学校生活を送れると思いますか? こんな状態で、ありえないぐらい膨大な宿題は課されるは、先生には会うたびに「勉強しているか?」と言われるは、親からは「勉強しろ!」以外の言葉をかけられなくなるは、、、、


 こういう境遇と私は当時戦っていたのです。


=====


 今は、小さな塾に出向で行っています。英語ができない生徒さんも多くいます。できない生徒さんに向けて私は殆どの場合「お前は頑張ってる」と声をかけます。彼らが本当に頑張っていることを私は知っているからです。それは私みたいに「英語嫌いの苦しみを知っている」人しかできないことではないでしょうか? これも私が英語教師をやっている理由の1つなのです。


 金曜日は文法放送。この続きは来週の月曜日です。


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2016年4月11日

英語嫌いの英語教師の理由(4)

英語が嫌いなのに英語の先生をやってる理由
その3・「英語が必要だ」なんて「嘘だ」と叫べるから


先日、最近私の授業の生徒になってくださった高校生の男子とこんな会話をした。同じく英語が嫌いである。(重要)


私 「お父さんやお母さんに『英語は将来必要だから英語を勉強しろ!』って言われる?」
生徒「言われますね」
私 「そうか…じゃあお父さんやお母さんは英語を使えるの?
生徒「使えないですね」
私 「じゃあ大いなる疑問を感じないか?」
生徒「?」
私 「親が英語を使えないんだよ。英語が必要ではない証拠じゃないか! でも息子には『英語が必要』って言ってんだぜ!」
生徒「あっははw。そうですねw」
私 「もしそう言うならせめて、自分が英語ができるようなってから『英語が必要』て言えってんだ!(怒)」


親は自分には英語が必要ないのに、息子には英語が必要だと説得しているこういう家庭はおそらく日本国中に溢れかえっているはずである。


で、この会話には続きがある。


生徒「でも親に、そう言っても、『屁理屈を言うな』って言われそうですよ」


 まさにその通りである、と思った。いや「屁理屈であること」に同意しているのではない。私は「屁理屈と言うな、と言われそうなこと」私は同意しているのだ。


 本当に屁理屈であろうか? 私はそうは全く思っていない。英語がほんとうに必要なら、今現在日本国中で英語があちこちで話されているはずである。あなたの近所で英語が普通に使いこなせる人は何%いるだろうか? 5%もいないだろう。違うだろうか? もし英語が必要ならまず親が英語を普段使いこなしているはずだ。しかし使っちゃ―いない。「英語が必要」なんて嘘っぱちなのは火を見るよりも明らかだろう。嘘に決まってるじゃないか! にも関わらず「英語が必要」などと抜かす連中が多い。しかも多くは「英語が必要だと声高に叫ぶくせに、自分は英語ができない」のである。しかし子供には「必要だ!」と言い続け、英語を勉強させる親が多いのだ。


 こういう親はいい気なものだな!
 自分は英語ができないくせに、子供には「英語が必要」とか抜かし、
 自分は英語を勉強せず、子供に英語の勉強を強要する。
 自分は勉強しないから苦しまないが子供は勉強で苦しむ


・こういう親……なんのことはない。実は私の親も↑同様であった。


 私も中学・高校時代に親に言いたかった…「英語が必要だと声高に叫ぶくせに、自分は英語ができないのはなぜだ!?」と。
しかし、上の生徒さんと同様、こういうセリフを当時の私は親に言わなかった。言ったところで現状は変わらない。生徒さんと同じ予想…「屁理屈言うな!」と言われるのが落ちである。でも言いたかった…。


●しかし、、、、今の、英語教師の私なら言える。今は英語が使えるからである。


・「英語が必要」なんて嘘っぱちである。
・日本で通常英語が必要なのは「受験の時」だけである。


私はこのブログなどで何度も↑こう叫んでいる。
そりゃあ一部の大企業などでは英語の高い能力がビジネス上要求される。しかしそれは日本国民の全員ではない。
つまり「必要」ではなく


有利


と言えば良いのだ。「英語が必要」ではなく「英語ができると有利」と言えば良い。それだったら私は少しも怒らない。「必要」って言うから私は怒るのである。


 英語のセンスがないやつは日本国中にたくさんいる。彼らには英語なんかできなくてもいい選択肢はいくらでもあるはずである。必要と言ったらその選択肢を排除することになるではないか! 「冷静に考えて英語が必要な日本人は日本国民の何%だ?」…おそらく5%もいないと私は考えている。


 こういうことを声高に叫びたい…でもそうする人はなぜか少ない。だから私は英語教師であり続け、同じことを叫びつづける必要がある…と私は考えているのである。


 金曜日は文法放送。この続きは来週の月曜日です。


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2016年4月18日

英語嫌いの英語教師の理由(5)

英語が嫌いなのに英語の先生をやってる理由
その4・私自身が英語が嫌いだった先生に習って成績が伸びたから


 「英語は必要ない」と考えていた中高時代の私でも、学校では必要・受験では必要…とは認識していた。したがって当然それなりの努力はした。しかし当時の私は基本的に脳みそがお花畑である。「なんとかなるよ」と思い込んでいた。つまり大した努力をしていなかったのである。当時はゲームセンターで遊ぶ日々を送っていた。英語を筆頭に学年最低点などを取り続け、卒業自体が奇跡であった。


 高3で「いい加減やばい!」と認識した時、ある宣伝を見つけた。それは私が当時買っていた「ゲーメスト」というゲーム雑誌に載っていた広告だった。


広告文句には↓こう書いてあった。
「ブタさんマークでおなじみの参考書『英語(秘)暗記するだけ』の著者 <井川治久先生>も昔は落ちこぼれのゲーム少年だった」


↑これを見た瞬間、「これだ!」と思った。早速本屋に言った。井川先生の著書を立ち読みし、井川先生のプロフィールを確認した。数学ができたのに、英語で酷く落ちこぼれて浪人したという。私とほぼ同じだった。しかし1浪して早稲田大学に受かった人だった。この人の著書をすぐさま購入した。


 実際、私は現役(高3)ではどこも受からなかった。浪人を決めた時、当時井川先生が所属していた早稲田予備校を迷わず第1候補に上げた。吟味の上、結局早稲田予備校を選んだ。そしてそれは私にとって正しかった。


 私は井川先生の講義を受けた。正直学習内容はきつかった。しかし学習内容はよく分かるのである。中学高校時代とはこれはエライ差だった。
 また、当時の早稲田予備校には、小林弘先生という方もいらした。この方も英語ができない生徒であったという。小林先生の講義も受講した。


 井川先生、小林先生の授業は、私にとって本当に分かりやすかった。私が欲しいと思う情報・解説をズバズバしてくださった。また私が見落としがちな大事な部分をズバズバ指摘してくださった。<こんな内容の講義を中学・高校時代に私は1回だって受けたことがなかった。内容がわからない講義ばかりであった> 私の英語の師匠は4人いるが、そのうちの2人はこのお二方である。どうしようもなく英語ができなかった時代、私の英語力はメキメキ上達した。これは当時このお二方の教えを忠実に守ったからである。


 このお二方から習ったこと…それは【ここ】で言った「成績を上げ方」に他ならなかった。


 英語が苦手な人にこれを伝えられるのは…私のような英語嫌いな英語教師しかいないのではないかと思う。しかし英語嫌いな英語教師はどうやら世の中にそんなに多くないようだ。これは多くの英語嫌いの学生にとって可哀想だと思った。したがってこれも私が英語教師をやる理由の一つになっているのである。


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2016年4月25日

英語嫌いの英語教師の理由(6)

英語が嫌いなのに英語の先生をやってる理由
その5・苦手な人がどこでどのくらい苦しむか知ってるので、苦しい場所をゆっくり教えられるから


 私がよく言う言葉の1つに
関係詞英語が得意な人にとっては簡単で、英語が苦手な人にとっては最悪に難しい
というものがある。


例を挙げる。
 関係詞の問題を解く場合、もしくは関係詞が絡んだ英文の意味を考える場合、不思議な事が起こる。


・英語が得意な人の場合、カンで答えがわかったり、解けたりする。自動的に答えが浮かび、その答えには絶対的な自信がある。
・英語が苦手なな人の場合、カンで答えがわからず、解けず、間違う。答えが全く浮かばないで、散々悩むか諦める。ほぼ毎回間違う。仮に正解を思いついたとしても、その答えには全く自信がない。


 最近は出向先の塾で高1の英語を教えている。生徒さんは3人。1人は英語が得意。残りの2人は苦手。関係詞を念入りに教えている。
 得意な1人は、カンでバシバシ解く。時間が余るので余った時間が退屈そうです。正答率は非常に良い。
 苦手な2人は、悩みまくって答えをようやく出す。恐ろしく時間がかかる。その上で正答率は悪い。「関係詞やだー」とぼやきまくる


 普通の英語の先生なら、関係詞はさっさかすっ飛ばすように教えると思う。彼ら自身が「英語が得意な生徒」だったはず。だから普通の英語の先生の多くは「分かるよねー簡単だよねー」という感じで、関係詞はさっさか進ませるはず。


 しかし私はそうではない。関係詞はものすごく時間をかけて教えている。それは苦手な人はここで苦しむのを私はよく知っているから。現在、私はこの塾でじっくり関係詞を教えている。しかし関係詞を教え終わったところで、彼らが関係詞をきちんと身についたかどうか…非常に怪しい。なにせ私は関係詞の克服に10カ月を要したから。


 関係詞に限らない。こういう「苦手な人が苦しむ場所」というのが他にもある。英語が苦手な人はそういう部分を克服しなければならない。せめてゆっくり教えて、苦しむ部分の理解を少しでも助けられるような授業をする……こういうのが自然にできるのは、私のように英語が嫌いで苦しんだ人しかいないのではないだろうか? しかし普通の英語の先生なら、これに気が付きさえしないのである。


 しかし私は体感で分かるのだ。こういう英語教師は少ないだろう。したがってこれも私が英語教師をやる理由の一つになっているのである。


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2016年5月 2日

英語嫌いの英語教師の理由(7)

英語が嫌いなのに英語の先生をやってる理由
その6・当時どれくらい英語ができなかったかをよく覚えているから


 昔、私はある英語ができる人にこう聞いたことがある。
 「君が中1の頃や中2の頃、どのくらい英語ができるようになっていたか覚えている?
 返事はこうだった↓
 「覚えているわけないじゃーん


 これは私の偏見かもしれないが、「英語がずーっと得意だった人は、いつどのように、どんな英語の知識を身につけたかよく覚えていないのではないか?」単語1つでもそうだ。この単語はいつごろ覚えたのかはっきり覚えていないと思う。(覚えている人も大勢いるとは思うが…)


 実は私は違うのだ。中1の頃どのくらい英語ができなくて、中2の頃どのくらい英語ができなくて、、、中3,高1、高2、高3、、、こういった全ての各時点で、私はどのくらいの英語の知識があったか…これをよく覚えているのである。単語もそう。この単語はいつ覚えたか、いつごろは意味がわかっていたか…などを私はよく覚えているのである。


 私は中学高校時代ろくすっぽ英語を勉強しなかった。。。。と私は常に言っている。中学高校時代の英語の成績が常に赤点であった事実がそれを証明してくれる。ただ全く勉強しなかったわけではない。覚えようとして全然覚えられなかったのだ。だから点数に響かず、赤点を取り続けたのだ。(もちろん、純粋に机に向かって勉強した時間を測れば、一般的な中学・高校生よりも遥かに勉強しなかったのは事実である)


 ただ、当時とても苦しんだことはよく覚えている。何を覚えようとし、何を覚えられて、何を覚えられなかったを覚えている。圧倒的に覚えられなかった事のほうが多いけれども。


 その後(浪人時代)はこれとは違う。中学・高校時代に覚えられなかった英語の知識を、私は浪人の2年間で覚えてしまったのだ。このときはっきり分かったことがある。


 中学高校時代で覚えられなかったことは…それぞれ「何をどうやったら覚えられるようになるのか」…これが浪人時代にようやくわかったのである。
 

 例えば文法。文法を身につけるにはどうすれば良いのか? それは「同じ問題集をゆっくり何度も解かないと身につかない」とよくわかったのである。


 こうしたことがわかっているので…実に生徒に英語を教えやすい。生徒がどんな知識が必要で、その知識を身につけるには何が必要で、それにはどのくらい時間が必要になるのか…が計算できるからである。


 しかしこういう計算ができる英語教師は少ないだろう。彼らは初めから英語ができていたので、【できない人が克服にかかる時間】を測れないからである。例えば「関係詞」は苦手な人は克服に半年以上かかり、大概は挫折してしまう、、、ということも私は計算できる。しかし元々英語が得意であった英語教師ではこれが計算できず、間違ってしまう。関係詞は【自分に取っては】簡単だったから、【どんな生徒でも】すぐできると思ってしまうケースが多い。したがって普通の先生なら関係詞は説明がおざなりになる場合が多い。これでは英語が苦手な生徒は困るだけだ。こういう英語が苦手で困っている人を少しでも助けたいと私は思っている。これも私が英語教師をやる理由の一つになっているのである。


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2016年5月 9日

英語嫌いの英語教師の理由(8)

英語が嫌いなのに英語の先生をやってる理由
その7・何が精一杯かがわかるから


 例えばAくんは「今日は英語の勉強をしよう」と思い立ったとき、90分ぐらい普段勉強するとします。勉強しなきゃ成績は上がりません。逆に言えば勉強すれば成績は上がるはずです。だからこういう人は大抵の場合、成績が普通レベルかそれ以上になります。
 しかし、例えば別のBくんの場合、「今日は英語の勉強をしよう」と思い立ったとき、1分だって勉強しない人だとします。アルファベット見たって読めないし、単語の意味が仮にわかったって、文の意味はわからない(考えたくない/どうせ間違う)。単語をいちいち辞書で引っ張るのが嫌だ。面倒だ。だからやらないやりたくない…こういう人だとします。こういう人は大抵の場合、どうしようもなく英語ができず、結果、英語嫌いになります。


 普通、Bくんのような人が英語の先生になるでしょうか? 英語の先生になる人はたいていAくんのような人ばかりになるはずです。


 さて、ここで問題Bくんが3分英語の勉強をしたとします。(たった3分ですよ)。その後はゲームで遊んでます普通の先生だったら、どういう感想を持つでしょうか? 「なんでたった3分しか勉強しないんだ?」となるはずです。


 では私の場合はどうでしょう? Bくんが3分英語の勉強をしたとします。(たった3分ですよ) 私の感想は「えー3分も勉強したの!? どうしたんだ? 今日はスゴイな!」 になります。なぜそんな感想になるか? それは私がかつてはBくんに他ならなかったためです。


 Bくんのような人は1分だって英語に取り組みたくない。普段は1分だって英語に取り組みません。そんな人が、いきなり英語の勉強を1時間はおろか、30分だって勉強できたらスゴイです。しかしまずこんな長い時間勉強できるはずがない。1分でも英語に取り組めたらそれはそれでスゴイことです。


 …ということを普通の先生はわからないのです。1分でも英語に取り組めたらどれだけスゴイことかを彼らはわからないはずです。だから、Bくんを叱るはずです。「なんでそんな少ししか勉強しないんだ?」と。


 一方私は叱りません。叱るくらいなら褒めると思います。「今日はよく勉強できたね」と。もちろん、3分じゃ成績は上がりません。しかしそれ以上は酷&無理であると私はよく分かるのです。最初は1回に付き3分でも良い。いきなり30分なんて不可能。3分が10分になり、10分が30分になれば良いのです。そして30分が1時間、2時間を増えていくことを期待するしかないと思うのです。


 残念ながら、こういう英語が苦手な人が得意になる、いや、普通になるのでさえ、得意な人の倍以上の勉強時間が必要です。ですが、普通の英語が苦手な中学高校生は、得意な人の20分の1以下の勉強時間しかしないでしょう。まずはそれで精一杯なのです。精一杯なのを理解して、徐々に勉強時間数を増やしていく、、、こうしなければ成績は上がりません。


 ですが、普通の英語の先生じゃ、勉強時間が増える前に「叱ってしまう」のです。「なんでそんな少ししかやらないのだ?」と。これじゃあ、英語のできない人は困るだけだと思います。


 ところが私はそうならない。そうならないようにナチュラルに待てるような先生は…私のような英語嫌いな英語教師しかいないのではないでしょうか?


 金曜日は文法放送。この続きは来週の月曜日です。


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2016年5月16日

英語嫌いの英語教師の理由(9)

英語が嫌いなのに英語の先生をやってる理由
その8・少しも英語なんか喋りたくねーよ!…と言えるから


 先に言っておくと、私はもはや英会話能力は乏しく、もはや片言である。ただし昔は私は英語がペラペラであった(過去形)。普通の英語学習者で英語を話したい人は、英語がペラペラになることを目指すのであろう。そしてもし首尾よく英語がペラペラなったとしたら、その維持に努めるはずであろう。しかし私はそうしなかった。私は英語をペラペラな状態を維持することを自ら放棄したのである。よく「それはもったいない」と言われることがある。そうかもしれないが、私自身は至極当然であった。


 なぜだろうか? なぜなら私は英語がペラペラになりたくなかったからである(今もそうである)。


 私が英語がペラペラだった時期は大学1年のある時期の1週間だけだ。しかし英語がペラペラになった途端、私は「いち早くこの英語がペラペラな能力をなくそう」と考えた。おそらく無意識でそう考えた。なぜなら私は英語、特に英会話が英語のあらゆる要素(英文解釈、単語記憶、熟語記憶、英文法、リスニング、ライティングなどの中)で一番大嫌いだからである


 なぜ私は英会話が一番嫌いか…それは英会話で苦しみまくったからである。


 私の中学高校は特別だった。私の中学高校は特殊で「英会話に特化した授業」がカリキュラムで多く含まれていた。NHK基礎英語やNHK英会話のテキストがそのまま学校の授業のテキストだった。アメリカ人のアシスタントティーチャが必ずいた。きっと英会話好きの人なら羨ましい境遇なのだろう。しかし私にとっては違った。NHK基礎英語やNHK英会話のテキストで載っている Aさん:Bさんのスクリプトを読み合う作業…これがスーパー苦手であった。まず英文を記憶しなければならなかったが、これができない。それだけならまだいい。テキストに載っている単語が発音できないのである。読み方がわからないから。(そりゃあ辞書で調べれば分かるのだが、当時は酷く辞書を引きたがらない生徒であった) 同級生がAさん:Bさんの会話を楽しそうに喋っているあいだ、私は「どうせできねーよ」と苦しんでいたのだ。またアメリカ人のアシスタントティーチャーとAさんBさんの会話をやらされる作業が1番嫌だった。英文を覚えてないわしが嫌々英語を話していることはアメリカ人のアシスタントティーチャーにもよく分かったろう。彼も不快な気にしたくなかったが、できなかった。またこのアメリカ人の先生は(なんでこいつは英語を覚えようとしないんだ?)みたいな目で私を見ていた。それも苦しかった。


 一緒に英語を教える日本人の英語の先生も英語がペラペラだった。発音もネイティブ並に素晴らしい。非の打ち所がないくらい英語を流暢に話していた。しかし、いや違うな、「だから」…この日本人の英語の先生もまた私を(なんでこいつは英語を覚えようとしないんだ?)みたいな目で私を見ていた。それも苦しかった。


 つまり、中学高校で散々英会話の訓練をさせられて、常に全くできなかった。苦しみまくった。あまりにできなさすぎて先生に殴られたことさえある。そのため(トラウマで)英会話が1番嫌いになったのである。


 普通はこんな人は「英会話」を以後学習するわけがないと思う。嫌いなんだから。嫌なことは避けるはずだ。しかし私はその後、あるきかっけで英会話の学習をみっちりやるはめになってしまった。その結果、これだけ嫌いでも、英会話が一時期はできるようになったのである。その経験がある。
 そのきかっけとは……受験を突破したあと恐ろしい偶然(高校時代の友人がサークルの勧誘をしていたため)の結果なのだ。このため私は英会話を学習するはめになったのだ。その頃は大学受験を突破したため、私には英語の基礎ががかなりあった。だからはその頃は英会話の学習が可能になっていたのだ。
 受験英語学習を消化(単語・熟語・文法がバッチリ)→その上での英会話学習をした。これこそが「文字どおり嫌いでも英会話ができるようなる変遷」であった。これを私は身を持って知っているのである。


 世の中には英会話が大嫌いでも英会話をやらされる人がいるのだ。彼らには気持ちをわかって英語を教えられるのである。


 それにしてもだ。世の中には英会話が大嫌いでも英会話をやらされる人がいるのを英語好きの人は知らなすぎる。中学高校にいる【本当の英語嫌い】は英会話が嫌なのである。
 →彼らは英会話の先生に「お前もペラペラになりたいだろう?」などと言われたりする。
 事実、私は↑このように言われまくった!


私の正直な感想↓
 ふざけんじゃねー! 少しも英語なんか喋りたくねーよ!


と私はムカついたものだ。しかし当時はそうは言えなかった。「ふざけんじゃねー! 少しも英語なんか喋りたくねーよ!」英語ができない頃の私が言っても「それはできない言い訳だ」などと言われるのが落ちである。それがどれだけ悔しかったか…きっと英語が好きな人には分からないだろう。


 しかし今は言える。「ふざけんじゃねー! 少しも英語なんか喋りたくねーよ!」と今の私ならいつでも言える。喋れるようになったことがあるから言い訳にならないからだ。これがどれだけ気分が良いか。きっと英語が好きな人には分からないだろう。


 常日頃
 「ふざけんじゃねー! 俺は少しも英語なんか喋りたくねーよ!」
 「ふざけんじゃねー! 俺は少しも英語なんか喋りたくねーよ!」
 「ふざけんじゃねー! 俺は少しも英語なんか喋りたくねーよ!」


と叫ぶためにも、私は英語教師をやっているのである。私が言う分には少しも言い訳に見えないはずであるから。

ああースーッとするぜーーっ!!!


このシリーズはこれでおしまい。来週は雑談です。
今週の金曜日はいつもの文法放送。新しいシリーズは再来週の月曜日です。

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