日本文化

和心の真髄、日本の伝統芸能

回答:岡本佐智子(北海道文教大学)

Q.  どうして、日本では夏に花火をしますか。(タイ)
A.  花火は暑気払いの代名詞です。江戸時代、夏の昼間の暑さが和らいだ夜に、川に涼を求めて屋形船を出していた大名やお金持ちには、花火は舟遊びの一つでした。火薬の観賞用として発展した花火は、はじめは地味なものでしたが、徳川吉宗が飢饉や悪病の流行への対処として、水神祭を行い、隅田川の両国橋で花火を打ち上げて以来、打ち上げ花火は川開きの恒例行事になりました。今では各地で花火大会が催され、夏の風物詩となりました。家庭で行う「おもちゃ花火」もささやかな納涼の一つでしょう。
Q.  どうして、日本人はお花見で大騒ぎをしますか。(中国)
A.  お花見は豊作を願う農事でしたが、平安時代に貴族たちが満開の桜の木の下で歌会や舞を踊る華やかな宴を催したことから、町の有力者たちも、ご馳走と酒を振る舞う花見をするようになりました。それが大衆化したのは江戸時代で、花を愛でる鑑賞よりも「団子」へ、あるいは花見「酒」へと、現在のお花見スタイルが確立したわけです。古来、桜は人を惑わせるといわれています。桜の花びらが舞う中で酒を酌み交わしていると、短い花の命に刹那的な解放が重なり、気分が高揚してしまうのかもしれません。
Q.  折り紙の起源はどのようなものですか。(カナダ)
A.  起源は、中国、日本、ヨーロッパ説と明らかではありません。日本の折り紙は古代の神事で、神が乗り移る依り代(よりしろ)や、みそぎや祓いを受ける人間の形代(かたしろ)として、祈りや占い用に作り出されました。平安時代には、貴族たちが贈り物を紙で美しく包装することを競い、儀礼の折り紙が生まれました。鶴などの遊戯折り紙は室町時代に発達しています。紙が大量生産された江戸時代には、物の形に見立てて折ることで、病気や災難を人間に代わって背負ってくれるという願掛けも出てきました。
Q.  日本人は歌舞伎を観るとき、意味を全部わかっていますか。(韓国)
A.  いくら日本の代表的な無形文化遺産とはいえ、全部わかっている人はそう多くないでしょう。なにしろ歌舞伎座にはイヤホンで解説をしてくれる有料サービスがあるくらいですから。演目にもよりますが、伝統歌舞伎独特の科白(せりふ)まわしは、観慣れていないと、聞き取れないこともあります。そんなときは役者の動作や文脈で推測していきます。舞台は、豪華絢爛な着物や黒子(くろご)、めったに見られない和楽器の生演奏(お囃子)と、伝統芸術で演出されているので、そのムードに、わかったような気になってしまいます。
Q.  歌舞伎は男性が宝塚は女性が演じるのはなぜですか。(国籍不明)
A.  歌舞伎は「出雲の阿国(おくに)」という女性の踊りが始まりでしたし、宝塚歌劇団も男性を入門させたことがありましたが、現在の演劇方法になりました。男優が女性を、女優が男性の役を演じると、そこには異性ならではの究極の「男/女らしさ」を追及した「芸」が生まれます。歌舞伎の女形はちょっとした身振りや、視線、歩き方など、女優には演じられない妖艶さがあります。宝塚歌劇も、男役は思いっきりキザで格好良くて、しかも麗しくて、といった、現実にはあり得ない理想の男性像が魅力です。
Q.  なぜ、祭りの時には、法被や浴衣などの和服を着るのですか。(中国)
A.  祭事は伝統的な着物が正装ですが、祭りは庶民が気取らずに参加できる数少ない娯楽で、夏に集中していたことから、浴衣が略装となりました。江戸時代の神輿の担ぎ手は商人や職人が多く、勤め先の店の印や町火消しの組名が入った半纏(はんてん)に股引の普段着姿でした。やがて町名や睦名入りの半纏やそろいの浴衣踊りになり、共通の衣服が地域住民の結束を強める役割を担っていきました。半纏も法被も今では区別がつきませんが、法被は、武家などに仕えていた人が羽織代わりに着た家紋印付きで、丈がやや長い半纏です。
Q.  なぜ、盆踊りはお寺でダンスをしますか。うるさいと思います。(ポーランド)
A.  盆踊りは、平安時代の雨乞いの踊りに、念仏踊りが盂蘭盆の行事と結び付いて、年に一度戻ってくる精霊を迎え、死者(先祖)を供養したり、精霊を送ったりするための仏教行事の一つでしたから、お寺で踊っていました。室町時代から太鼓をたたいてにぎやかに踊るようになり、江戸時代には先祖の霊をもてなすことよりも、日々の憂さを踊りで晴らす祭りの要素が色濃くなっていきました。現代の盆踊りは、「盆」という名があっても、お寺からも離れ、宗教色のない、単なる夏の地域娯楽になってきています。
Q.  なぜ、相撲取りは太っていますか。体に悪いと思います。(ペルー)
A.  体重六八キロで入門した白鵬は、横綱昇進時には一五五キロになりました。相撲は体が大きいほうが優位なので、力士は「肉」を付けることに励みます。というのも、相撲では立ち合いでぶつかり合った時の激しい衝撃に耐え、簡単に押し出されたり、持ち上げられたりしない重さが必要になります。そして、その大きい体を支える足腰を鍛えることも、技も大切です。力士は毎日厳しい稽古をし、たっぷりのちゃんこと睡眠で体づくりをしているので、普通の人の「肥満」とはちょっと違います。柔肌に見えても、触ると鋼ですよ。
Q.  どうして、「七五三」のお祝いをしますか。(台湾)
A.  近世までの日本では、幼児の死亡率が高かったため、昔の中国思想で祝い事に良い数の年とされる三、五、七歳の時に厄払いし、子どもが無事に成長できたことを神に感謝して、さらなる成長を願っていました。江戸時代の武家社会では、男女三歳になると、髪を伸ばしはじめる「赤ちゃん卒業」の儀式に始まり、男児五歳で袴を着用し、女児七歳で大人の幅広帯を締めて、子どもが社会に出て行くことを祝っていました。今でも親の思いは同じで、子どもの「命が延びる」ようにと、細長くした千歳飴も欠かせません。
Q.  どうして、節分には豆を投げますか。もったいないです。(ドイツ)
A.  節分は、立春の前日で、旧暦では大晦日です。年や季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられていたので、鬼に豆をぶつけて邪気を追い払い、一年の無病息災を願います。豆を悪魔のような鬼の目「魔目(まめ)」にぶつければ、「魔滅(まめ)」になる、という意味もあります。一般に、「鬼は外」と唱えるのは、豆が、鬼を追い払う道具であると同時に、鬼そのものとして捉えられていたようです。ちなみに北海道では、大豆ではなく殻付き落花生を投げて、後で雪の中から拾って食べます。
Q.  どうして、日本には星にまつわる神話が少ないですか。(国籍不明)
A.  ギリシャ神話と違って、日本神話の源『古事記』『日本書紀』では、星への信仰は強くなかったようです。農耕民族の生活は移動のない土着でしたから、天体では月と太陽が重要で、星は北の方角を知る北極星(北斗七星)で十分だったと思われます。

平安時代の宮廷では、中国伝来の星の信仰、織女(しょくじょ)と牽牛(けんぎゅう)の星を眺める宴が、日本古来の「棚機津女(たなばたつめ)」の話と結び付いて、たなばたとなり、星にまつわる祭りも行われていました。しかし、こうした星への思いは、水への信仰に結び付いていったようです。
Q.  どうして、茶道でお茶碗をくるくる回しますか。(アメリカ)
A.  茶道には、陶器、花、造園、織物などなど、日本の芸術文化が凝縮されています。「和・敬・清・寂」を尊び、亭主は客に一碗を出すために、そのすべてに気配りします。流派によって作法が異なりますが、お茶を飲むときは、感謝や尊敬・謙遜の態度を表します。茶碗を回すのは亭主への謙遜です。茶碗は正面(形や模様の一番良いところ)を向けて出されるので、正面を避けて反対側から飲むために茶碗を回します。飲み終わったら、正面が自分の前に来るように回し戻して、茶碗を拝見します。この茶碗とも一期一会なのです。

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