放送通訳については以前にも書いたが、今回は放送通訳が自分の中国語のリスニング力に与えた影響について述べたい。
同時通訳の長い経験をもってしても、生放送の同時通訳が至難の業であることに変わりはない。
理由は主に2つ。
ニュース番組の内容がほぼ予測不能であるためと、アナウンサーのニュースを読むスピードが異常に速いためだ。何せCCTV(中国の国営テレビ局)のアナウンサーは、毎分300字以上の速さでまくし立てる。1秒5文字のペースだ。それを日本語に訳す際には情報量が中国語の約1.5倍、単純計算で毎分450文字になる。しかし、毎秒7.5文字のペースで日本語訳をするなどというのはどう考えてもあり得ない。
では、棒読み調にも直訳調にもならずに、視聴者に聴きやすい訳をするにはどうすればよいのか。そのためには情報を削ぎ落とすしかない。
ただ、情報を瞬時に取捨選択しながら訳すのはたやすいことではない。リスニングと訳出の経験を相当積み、話者のスピードに十分対応できるようになって、初めて大量の情報の中から要点を瞬時にかつ的確につかみ取れるようになる。
もちろん、そういう私も毎回、放送通訳を理想どおりこなしているかというとそんなことはなく、今でもはらはらドキドキの連続である。
リスニング力の向上に必須の「訳す」プロセス
しかし、放送通訳を続けるうちに、明らかに変化したことが1つある。放送通訳を始めてしばらくは、怒濤のように押し寄せる音声情報を耳で捉え、文脈を把握するところまでで精一杯で、それらをスムーズに訳すことにはずいぶん苦心した。
ところが、3年ほど経ったころから、いつの間にかニュースのスピードに耳が慣れていることに気が付いた。以前に比べてアナウンサーの話す速度が遅く感じられ、一つひとつの単語がより細かく聴き分けられるようになった。結果的に訳しやすくなっていたのだ。
このことを感じていたのは私だけではなかった。同じ放送通訳に携わる同僚たちも異口同音にこう言う。
「放送通訳を何年か続けると、リスニング力が明らかに向上し、普通の会議での同時通訳が以前に比べて格段にやりやすくなった」。
これは日本人の通訳者のみならず、中国語ネイティブの通訳者も同様に感じていたというのだから面白い。
ただ、考えてみればそれも当然だ。放送通訳を一定の頻度で何年もやり続ければ、中国語ネイティブでも情報の処理速度が増し、その分、日本語訳を練るための時間的余裕がコンマ何秒かは増えるのだから、通訳の精度が上がっても不思議ではない。
しかし、いくらスピードについていけても、新出単語や未知の単語という別のハードルがある。どこかの国の聞いたことのない人名や新しい外来語は、本番前に情報が入手できていれば事前に調べ、生放送中に突然出てきた場合は、字幕があればそれを必死に追い、音声のみの場合は、瞬時に頭の中で音声を文字に変換して、どうにか訳すほかない。
リスニング力は、音声をただひたすら聴き続けていれば自然に伸びるというものではなく、「訳す」というプロセスを経ることによって顕著に伸ばすことができる。
自分としても、今後それがどこまで伸ばせるのか楽しみでもある。
イラスト つぼいひろき
『マガジンアルク』2016年9-10月号掲載