第34回アルク翻訳大賞
実務翻訳部門 講評・解説

出題/審査/講評
阿部川 久広 先生(実務翻訳者/フェロー・アカデミー講師)

実務翻訳部門 講評・解説

まず始めにご応募いただいた103名の方々に御礼と敬意を表します。どんな文章でも翻訳することは簡単なことではありません。私も一人の翻訳者として、翻訳の鍛錬は一生続くと思っていますから、本来評価などおこがましいですが、一先輩として今後の皆様の学習に活かしていただけるような視点から、講評いたします。

課題は、「メソッド」という製品、あるいはブランドの創設者、背景、デザイン、差別化のポイントなど、マーケティング全般を解説した文章で、出典は”The Physics of Brand”という書籍です。Methodはここでは製品名ですが、辞書を引くと「方法」「体系」「秩序」「几帳面さ」などの訳語が並んでいます。この単語の、製品名と意味を掛けた表現で、この文章の最後は少しだけユーモラスに結ばれていますが、それはまた追って考えます。

まず第一に、このような製品名や、あるいは企業に関する翻訳では、何をおいても正式なサイトなどでその企業の経営陣や歴史、製品名などの固有名詞や頻出する表現などを一通り確認しましょう。今回の場合は容器(ボトル)の色使いやデザインも、マーケティング上の大事な要素ですから、写真や画像など、いわゆるビジュアルな要素もしっかり見ましょう。それによって、例えば創設者二人の名前の表記(エリック・リ(筆者注:リの上に点)アンではない、アダム・ロウリー(筆者注:ウの上に点)ではない)や、カリム・ラシド(筆者注:シの上に点)ではない)の表記の仕方がわかりますし、設立当初の思いも表現されています。
製品のカラフルな色使いやユニークなボトルのデザイン、それを「メソッドのアイコンであるナミダ型ハンドソープ」と呼んでいることや、2000年の創設から現在までの簡単な会社のトピック(その中には、課題文の中に出てくる、2002年の『スーパーマーケット「ターゲット」の90店舗で』という表現も出てきます)もわかります。製品は『ハンドソープ』『食器用洗剤』『住居用洗剤』と呼んでいますし、創設者の二人の言葉として、『シンクの下に隠さなくともいい、スタイリッシュなクリーナー』とか、『どうすれば安全な成分だけでクリーナーをつくることができるか』などが紹介されています。これらの単語や表現は、そのままではなくとも、翻訳の際に必ず参考にできる情報です。調べることは翻訳の一部ですので、どうぞ骨身を惜しまずに、許される限り(とは言っても現実的には、常に時間とコストの制約があります)調べましょう。ネットの情報は、必ずしも全てが正しいものばかりではありませんが、それは有益な調べ物の一手段です。

次に私がどのような点を考慮して評価したかを簡単にお話しします。
(1) 何と言っても英文解釈です。翻訳は、あくまでも原作者に寄り添って行うもので、原文の正しい解釈がなければ、どんなに上手な日本語でもダメです。
(2) その上で、原文の意を体現した、整合性のある自然な日本語になっているか、意味は過不足なく通じるか、表現したいことと、日本語の構文や訳文は合致しているか、選んだ単語の種類や、意味そのものは良いか、などを考慮し、
(3) そして、多少(2)と矛盾しますが、英語としての表現や良さを、日本語に反映する工夫をしたり、場合によってその匂いのようなものを残しているか(今回の場合は、a loudly at the retail shelfが典型的)(4)最後に総合的にみて、全体のトーンがしっかりしているか(例えば、優しいタッチ(です、ます調)なのか、堅い(である調)か、砕けた感じか、あるいは、わざと堅くしたり柔らかくしたりして、ユーモラスな表現にしようとしているか、など)、そしてそれは原文のトーンと一致しているか、といった点を考慮しました。逆にいえば、これらのポイントが弱いと、翻訳文として完成度が低いものになりますので、今後ご自身の翻訳を見返す際のチェックポイントとして、ご銘記いただければと思います。

具体的な内容に入る前に、もう一つ、タイトルに関して。何名かの方は、DESIGN AND ENVIRONMENTAL SCIENCE GOT MARRIEDと、THE METHOD HOME MOVEMENTをお訳しいただきました。実務では当然タイトルや注釈なども訳出の対象になる場合がありますが、特にタイトルに関しては、一見して魅力的だと思わせるような表現力や字面が必要になり、原文の訳文的な表現を超えて、大胆に変えるケースもあります。本来であれば、意味に加えて表現としてキャッチーなものを評価するべきですが、今回訳出いただいた方のものは、そのようなものはなく、堅実な訳としての出された方がほとんどでしたので、その視点でのみ評価しました。そこだけは実務レベルとは違うということをご理解ください。

それでは、いくつかの点を詳解します。

1.出だしの訳は実は一番難しい。最初の6行にわたる文は、解釈はそれほど難しくはないと思われますが、(1.1) 日本文としてどう処理するか、それと(1.2) biodegradable、nontoxicなどをどう訳すか、がポイントです。
一般的には、when以下を最初に訳す方法もありますし、文頭から順番に訳す方法もあります。重要なことは、この二人が会社を立ち上げた頃は、エコな洗剤に対する市場の評価が低かったことが、読んだそばから伝わることです。「〜で、〜な、〜という〜を、誰々と誰々がサンフランシスコで...」とするのは会話の理解としては、あるいは解釈としては良いですが、翻訳ではありません。選ばれたお三方は、いきなり「サンフランシスコにて...」などとはやらず、a brand of naturally derived...を出だしにする、あるいはwhenから訳す、あるいは文章をうまく区切る、など、読ませるための工夫がご訳出にみてとれました。
またbiodegradableは辞書を引くと、「(殺菌の作用による生物の)化学分解」(ジーニアス英和)や、「(紙や台所クズなど)腐敗して土に還元できるアルミニウム、プラスチックに対して(の意味)」(ランダムハウス)など、難解な漢語や、具体的説明です。nontoxicも同様で「非中毒の」「無害の」など。つまり単語一つで、しかも漢語で表すと多少意味がわかりづらくなる。その前のnaturally derivedも同様で、多くの方々が「自然由来の」「天然由来の」とお訳しです。このような場合は、単語を句や節として「開く」ことをお考えください。つまり、naturally derivedは「自然から作られた」「自然に由来する成分から作られた」biodegradableは「破棄した後も自然に戻る」nontoxicは「人体に害のない」など。良い訳の方は、節にしたり、あるいはカッコをつけて説明したり、という工夫が見られました。つまり英単語を、辞書に載っている漢語で機械的に置き換えてよしとしない、ということです。(もちろん、特に文学などでは、もともとラテン語だった単語は、支配者の言語としてあえて漢語で堅く訳出し、アングロサクソン語は、より読みやすい和語で訳す、という方法もあります。例えばimpregnableなどを「難攻不落」、trespassは「不法侵入」など)
また(1.3) 発言の訳と、(1.4)最後のThank youの訳も多少工夫が必要です。
Quotation内の発言はgreenとcleanをかけていますのでそれをなんとか訳出したいところですが、「グリーンではクリーンにならなかった」などでは意味が不明になるので、それをやるのであれば、ルビやカッコでの説明が必要でしょう。あるいはあえてそこは無視して意味を重視し、「エコ」「環境に優しい」「汚れが落ちにくい」といったわかり易い表現を用いるのも方法です。
最後のthank youは、もちろん「感謝する」ですが、ここで言いたいことは「この場を借りてご本人と引用元の雑誌社に感謝します」といった程度ですので、あまり大げさに謝意を表するのも変ですし、無視して訳さないものいけません。またThank youと語りかけていて、Thanks to ではないので、「〜のおかげだ」といった訳はニュアンスが多少異なります。

2. 次のパラグラフでは、主に訳語の選択です。(2.1) two lifelong friends ですから、”生涯続く親友”といった意味ですが、それを自然な日本語ではどう表現するか、です。「幼なじみ」「長年の友人」「幼い頃からの親友」や、「子供の頃からの付き合い」などが考えられますが、起業したことがきっかけで、二人の生涯の友人関係が始まったかのような表現はダメです。(2.2) Ryan had a eye for: had a eye for は「見る目がある」「目が肥える」の意味ですが、ただ単に「目利きだった」「得意だった」ではなく、それまでの経歴から培ったデザイン力があった意味で、「〜することができた」「判断力があった」などとするとニュアンスが伝わります。またGap、Fallon、Saturnなどの企業名も、そのまま英語表記にせず社名とわかるように、〜社をつける、あるいは簡単に説明する(「ファション業界のGap」)などの配慮があるとより良いと思います。(2.3) Hiring industrial designer Karim Rashid helped...:help=「助ける」とやらず、適訳を考えてみましょう。「〜のおかげで」「役立つ」など。(2.4) ...in the brand’s iconic teardrop-shaped bottle.「メソッドのアイコンである涙型のボトル」。(2.5) Eric also hung a banner over...は「旗印に掲げる」「標榜する」などの意味です。
“ウエブサイトの広告としてのバナー”と捉えた方が多数いらっしゃいましたが、ここはそのあとの「”People Against Dirty”をスローガンにして」といった意味です。(2.6) その標語については、そのまま英語で表記された方も多いですが、やはり多少説明が欲しいところです。「汚れと戦う人々」「汚いこと反対」あたりが妥当です。「〜党」「〜同盟」とするよりも、人々を鼓舞し、「この製品を使うと良いですよ」と暗に呼びかけていることがわかるような表現が良いと思います。

3. 第3パラグラフは、(3.1) multisensoryの訳出の方法です。辞書によってはこのままでは載っていないものもありますが、multi+sensoryで、「多くの」+「感覚や知覚」ですから、例えば「多感覚の」の意味です。しかしその訳語でちょっと立ち止まり、原文が言いたいことは何かを考えます。この企業は、常識を破るカラフルでユニークなデザインのボトルを作り、またこの文章以降で、競合との競争優位を多くの差別化で果たして行くのですから「五感に訴える」「五感に働きかける」「いくつもの感覚に訴求する」また「様々な感覚にアピールする」などの訳であればわかりやすいでしょう。(3.2) The design intention of Softsoap is focused on selling loudly at the retail shelf : loudlyはもちろん「大声で」ですが、「(服や色が)けばけばしい」「派手」です。原文はSoftsoapが競合と区別されるために、棚で目立つことを狙っていることの表現ですから「うるさい」ではなく「目立つ」「注意を引く」「強烈に目につく」などと工夫したいところです。また「視覚的に”うるさい”」などの表現は、多少奇異ではありますが、loudや原文のニュアンスを出そうと工夫した、良い例だと思います。

4. 最後のパラグラフでは二つご指摘します。(4.1) socially sharable:多くの方々がSNSなどのいわゆる「ソーシャルメディアで拡散され」となさっていますが、 (1) socializeは、広く社会や、関係者に周知する意味ですし、(2) このボトルの発表は2003年のことで、facebookが台頭するのはそれ以降ですから、前後関係から、(ちょっと堅いですが)「人口に膾炙するようになり」などです。(4.2) 最後は、メソッドはこのメソッドで(=方法で)勝利を収めた、といった、ちょっとしたオチといってもいい結びですが、表現の方法として (1) メソッドの上に、方法とルビをふる (2) 上記の表現のようにカッコで補足する (3) 「このメソッドによって(ここは掛詞だ)」などと説明を入れる、加えて「シャレでいえば」「掛詞でいえば」などの説明も添える、くらいが良いでしょう。ここで例えば「お後がよろしいようで」「なんちゃって」などはやりすぎですし、「名は体を現す」「信念があれば売れる」などと、意味だけを前面に出しては、ユーモラスな雰囲気で文章を終わろうとした筆者の意図が失われます。

応募してくださった皆さんそれぞれの訳文の中に、必ずと言っていいほど光る訳文が一つないしは二つはありましたが、残念ながらそれ以外の箇所で解釈が間違っていたり、表現が稚拙だったりという方々が多かったです。受賞された方々はおしなべて質の高い訳でしたが、お三方のうまい部分を選んで抽出し一編にすると、実は丁度良い。大賞が選べなかった所以です。つまり、常に一定の実力を保ち、質の高い翻訳をし続けることがいかに難しいか、ということですが、逆に言えば、それが継続してできれば、翻訳の質は飛躍的に伸びることの証左でもあります。是非倦まず弛まず、鍛錬して行きましょう。有難うございます。

課題文

DESIGN AND ENVIRONMENTAL SCIENCE GOT MARRIED
― THE METHOD HOME MOVEMENT ―
The Physics of Brand  -Understand the Forces Behind Brands that Matter -
by Aaron Keller, Renee Marino, Dan Wallace Published by HOW Books.

In San Francisco, Eric Ryan and Adam Lowry started Method, a brand of naturally derived, biodegradable, nontoxic household cleaners, laundry supplies, personal care, and soap, when green cleaning products didn't have the reputation for being effective at, well, cleaning. "Back in 2001, green cleaners were just hideous looking," Ryan says, "and the conventional wisdom was that green didn't clean." Thank you Slate Magazine and Mr. Ryan.

(中略)

These two lifelong friends took on two challenges at once: redesign of the cleaning category and the effectiveness of environmentally responsible cleaning. Lowry, with a degree in chemical engineering and a background in environmental science, formulated dish soap and a line of all-purpose cleaners that were nontoxic and biodegradable. Ryan has an eye for design from working at Gap, Fallon, and Saturn, so he could see sleek, elegant containers. Hiring industrial designer Karim Rashid helped Method seal a distribution deal with Target. From there, Method unveiled hand soap in the brand's iconic teardrop-shaped bottle. Eric also hung a banner over their movement by calling it "People Against Dirty."

(中略)

As a multisensory example, Method was required to take a distinctive route to market in order to achieve success. Let's consider a leading competitor, the hand soap container for Softsoap owned by Colgate-Palmolive. The design intention of Softsoap is focused on selling loudly at the retail shelf with far less concern for where this container would be displayed in a typical household. The Method teardrop vessel was designed to fit nicely in a designed bathroom and set itself apart from a cluttered (visually loud) shelf space at Target.

(中略)

This kind of thinking isn't accidental; it is a "design thinking" approach to understanding the relationship people have with cleaning products. Having empathy for the person and his individual context is a contrast with considering the selling environment (Target in this case) first. The outcome from Method's approach is a visually appealing design for the Target shopper buying Method and their houseguests (community). Couple this with the unique scents used to distinguish the brand and the feel of the containers in your hand and Eric and Adam designed a multisensory moment. Perhaps you've had this moment, the first time when you enter a friend's house with the Method teardrop proudly displayed in the main floor loo.

All these efforts make for socially sharable stories, good feelings, media coverage, and a product experience that is designed to earn loyalty. Purpose has trumped promotion with this method, pun intended.

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