2016.12.09 Fri

第9回 浅間聡司さん 「出会いを紡ぎアジアに伸ばすわたしの道」

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PROFILE

浅間聡司さん。神奈川県出身。2010年、中国の大学で日本語教師デビュー。13年から16年まで中国、ベトナム、ミャンマーの技能実習生を鳥取県と海外で指導。現在は東京の日本語学校に勤務中。



多くの民族が交流したシルクロードの歴史に憧れ、大学で中国古代史を学んだ浅間聡司さんは、2001年商社に入社した。しかし、会社は1年後に倒産。中国に語学留学し、帰国後は大手企業などで働いたが、30歳を前に再び進むべき道について考えた。

「再就職先で中国に駐在した時、現地従業員との摩擦を経験しました。ただ、雰囲気が殺伐としていても、話せば誤解は解けるんです。お互いの言葉をもっと学び、教え合わなければと考えさせられた体験でした」。

会社を辞めて日本語教師の養成講座に通い、10年から中国河南省にある大学で日本語を教え始めた。尖閣問題による対日感情の悪化にもかかわらず、日本語を学ぶ学生は増えていて、中国の懐の深さを感じた。

13年に帰国し、技能実習生として来日する中国の若者たちに日本語を教える仕事に就いた。

「異文化からやって来た何十人もの若者たちとの集団生活は大変でした。1カ月の研修後には、彼らは国内の工場で働き始めるので、日本の生活習慣や規律を守る働き方まで教えなければなりません。朝6時に起き、みんなでジョギングや掃除。朝ご飯を作って食べたら、8時から17時までみっちりと日本語を学ぶ。運動部の合宿みたいな研修のサイクルを1カ月単位で続けていました」。

ベトナムとミャンマーでの出会い

中国からの応募者が経済の発展によって減少したため、ベトナムでの研修センター新設が決まった。浅間さんはハノイに9カ月常駐し、カリキュラム作り、ベトナム人日本語教師への指導、参加者への来日前トレーニングを行った。

「ベトナムの人は本音がつかみにくく最初は戸惑いました。ただ、日本語も生活の規律も必要だから厳しく教えているんだと伝わると、本気で取り組んでくれるようになりました。私の姿勢が鏡のように彼らの意欲に反映されるんです。ある日、禁煙の施設内で隠れてたばこを吸っていた男の子を見つけて叱ったら、ポロポロと泣き出してしまって。きつく叱り過ぎてしまったと謝りながら、でもルールは守ってほしいと伝えたら、泣きながら抱き付いてきたんです。そんな素直さもありましたね」。

ベトナムの仕事に続けてミャンマーのモニワでも研修センターを立ち上げた。現地スタッフの中にソウさんという日本語教師がいた。

「彼とはすぐに意気投合しました。NGO団体を2人で立ち上げ、勉強する機会に恵まれない、へき地に住む子どものための寺子屋教室を展開し、日本に送り出せないかとよく話していました。帰国前にお酒を飲み『また会おう』と別れた翌日、心筋梗塞で突然亡くなってしまったんです。彼が生きていたら、今頃、ミャンマーで働いていたかもしれませんね」。

会えなくなった人がいれば、再び会える人もいる。たばこを叱ったベトナムの青年は今、山陰地方の牧場で働いていて、連絡がよく届く。中国で教えた学生たちの中にも、卒業後、日本で働いている者がいる。

「ファッションやメイクがすっかり垢あか抜け、洗練された日本語のメールを送ってきます(笑)。彼らの活躍や成長をメールやFacebookで知るのは教師としての喜びです」。

現在、浅間さんは日本語学校で海外からやって来る学生との出会いを紡いでいる。いつの日か訪れてみたい国はウズベキスタン。シルクロードの中継地点として栄えた地で日本語を教える夢はきっとかなうはずだ。

取材・文◆村上 充

DATA
※国際交流基金2012年度日本語教育機関調査結果より
フィリピン
日本語学習者数:中国(1,046,490人)、ベトナム(46,762人)、ミャンマー(3,297人)
日本語教育機関:中国(1,800機関)、ベトナム(180機関)、ミャンマー(44機関)
日本語教師数:中国(16,752人)、ベトナム(1,528人)、ミャンマー(194人)



2014年にベトナムのハノイで立ち上げた研修センターの1期生たちと。前列の中央が浅間さん







☆本記事は、語学学習や異文化情報が満載のクラブアルク会員誌『マガジンアルク』にも掲載されています。



http://www.alc.co.jp/jpn/article/aitoheiwa/img/womanFIX_360x70.jpg

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